伍横町の北方に佇む一軒の邸宅――霧夏邸。
降霊術の噂に彩られた、幻想の屋敷だった。
三年前には凄惨な事件が引き起こされ、町内で一躍有名になったこの建物。
しかしそれも時代の流れにより、つい先日解体が完了し、跡形も無くなってしまった。
今では、だだっ広い土地が残るのみだ。
門の柵は取り外され、入口は解放されている。
普通ならばそこに『売地』などの看板があってもよさそうだが、何故かそういうものは一切ない。
曰くつきの場所ゆえ、処理もややこしくなっているのかもしれない。
この場所が他の人の手に渡ることは、暫くの間なさそうに思われた。
「……やっぱり、こんな場所じゃ何の手掛かりも掴めないよね」
所有の問題はともかく、建物が無くなった今となっては、降霊術に関する手掛かりもなさそうだ。
邸内には図書館があったらしいが……そこに収蔵されていた書籍も全て処分されているだろう。
望みがあるとすれば、ハルナちゃんがちらりと口にしたことのある地下室だが。
地面はすっかりならされていて、地下への入口がどこにあるかを確かめるのは困難だった。
「駄目、かな。あれだけ噂になったのに、誰もやり方は知らないんだ。……簡単に、分かるわけもないか」
もう帰ろう。僕は諦めて、くるりと踵を返す。
――しかし、振り返った先に。
「……降霊術が欲しいか」
「え……」
フード付きのローブに身を包む、謎の人物の姿があった。
「だ、誰……」
一目見ただけで、その人物が異様な雰囲気を放っていることは瞭然だ。
ローブで全身を隠しているのみならず、その人物の顔には『仮面』がつけられていた。
目も口も、三日月のような弧を描き。
まるでこちらを嘲笑うかのような、不気味な笑顔が刻まれているのだった。
「お前は、降霊術を求めているか」
「え――えっと」
あからさまな不審者だ。こういう場面でなければ、一目散に逃げだして警察を呼ぶレベルの。
だが、この仮面の男から『降霊術』という明確な単語が発せられたために、僕は魅入られたようにその場から動けなくなっていた。
「答え給え」
「……欲しいです。大事な人を……呼び戻せるのなら」
有無を言わせぬ口調に、本音が零れる。
すると仮面の男は、無遠慮にすぐ傍まで近づいてきて、こちらの様子を観察し始めた。
その間にこちらも男を観察してはみたのだが……あまりにも奇妙過ぎて。
彼が本当に人間かということすら、分からなくなってしまうだけだった。
「……ふむ、なるほど。嘘偽りはないようだな」
しばらくの沈黙の後、男はこくりと頷いた。
そして、一冊の本をそっと差し出してきた。
「この本を使うといい」
ボロボロに擦り切れた一冊の本は、表紙の文字を判別することも殆ど不可能になっているものの……辛うじて、降霊という文字が書かれていることが分かった。
「こ、これ……まさか降霊術の?」
問いかけに対して、仮面の男が肯定の言葉を発することはなかった。
彼は自分の思惑通りに事が運ぶことしか、考えていないようで。
「場所は……そう、三神院がいいだろう」
「三神院? 確かに、あそこなら……」
「偶然にも利害が一致しているようだな。何よりだ」
仮面の男はそう言って、僕に本を押し付ける。
躊躇いがちにそれを受け取ると、彼はすぐさまくるりと身を翻した。
「さて。その本で、君は君の願いを叶えたまえ」
「あ、あの……ありがとうございます! でも、あなたは一体……」
最後に名前くらいは聞いておかなければ。そう思って呼び止めた僕に、彼は振り返ることもせずに名前だけを名乗った。
「私は……『ドール』という。もしかすれば、またどこかで会うこともあるかもしれないな」
ドール――人形。
馬鹿馬鹿しいその名前に、僕はしかし畏れにも似た感情を抱くばかりなのだった……。
*
そこまでを話し終え、ミオくんは申し訳なさげにハルナちゃんを一瞥する。
「……それで、僕はその人物にもらった本を読み、深夜に三神院へ忍び込んで降霊術を行った。その結果が今この状態、ということだね」
「なるほど……」
僕とヨウノは中々その話を呑み込めなかったが、ハルナちゃんだけはすぐに受け止めたようで、
「一度だけの降霊術だから、まだセーフなわけか」
などと呟いていた。
「それにしてもなあ、そのドールってやつは何者なんだろ。ひょっとすると、湯越郁斗より前の所有者だったりするのかな……」
「それはちょっと分からないや。ごめんね」
「ううん、それはいいんだけど」
彼女はそう言ってから、
「何にせよ、その人からもらった本に書かれていたのは、本物の降霊術のやり方だった。そしてミオくんは、ツキノが死んだことに耐え切れず、誘惑に負けてしまったということなのね……」
「……うん」
死者の魂を呼び戻せる。
その誘惑に屈し、降霊術を手にしたミオくんは……その術式を執り行った。
だが、一つ疑問が浮かぶ。
ミオくんが呼び戻したかったのはあくまでもツキノちゃんだ。
しかし、結果として僕たちの元に現れたのはツキノちゃんでなく、ヨウノだった……。
「どうして呼び出したかったツキノちゃんでなく、ヨウノの魂だけが現れたんだろう」
「はい、それが分からないんです。降霊術は思いの力に左右されるから、近しい存在だとしても別の人だけが呼び戻されることなんて、なさそうなものなんですけど……」
ハルナちゃんが悩ましげにそう話したとき、隣にいたヨウノがふいに、あっという声を上げた。
「……それは、多分ね」
…………
……
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