音楽室は三階にある。
校内を徘徊する怪物には出会わなかったが、その代わりミイちゃんとも再会できなかった。
二年一組には、もう彼女の姿はなかったのだ。
ひょっとしたら、オレを探して彷徨い歩いているのかもしれない。
探索中に見つけたいけれど、今はとにかく彼女が怪物と鉢合わせしていないことを祈るばかりだった。
「さて、音楽室には来てみたものの」
さっきの鍵で解錠しながらミオさんは呟く。
「ここには、どんな七不思議があるのかな」
「ええっと……何て言ってたっけ」
朧気な記憶から、ミイちゃんの言葉を何とか引っ張り出そうとする。
そう、確か音楽室には――。
「……ん?」
ふいに、室内に音が響いた。……ピアノの高音だ。
一つだけだった鍵盤の音は、やがて滑らかに曲を紡いでいく。
僅かなフレーズではあったが、その音色はとても美しく、高らかに響き渡った。
これが日常の世界であれば、拍手が起きてもおかしくないほどの演奏だった。
「……今、のは」
震える声で、オレはミオさんの方を見る。彼は警戒しながら、室内に置かれたピアノに視線を注いでいた。
次第に、ピアノ椅子の上に薄っすらと、人の輪郭が浮かび始める。
それは、長髪の女性の姿だった。
……半透明の。
「……ふふ。ようこそ、音楽室へ」
鍵盤から手を離した、紅髪の女性は、不敵な笑みを湛えながら、こちらを振り返る。
そうして、音もなくピアノ椅子から立ち上がって、オレたちと対峙した。
「……あ」
長い前髪に、目元は覆い隠されていたけれど。
何故だろう、その顔立ちには何となく見覚えがあった。
……分からない。
「あ……あなたは、もしかして」
「ええ。……この学校の子たちから、音楽室の少女と呼ばれている霊。それが私よ」
「そうだ、音楽室の、少女……!」
「とは言え、少女という出で立ちではないけれどもね?」
自嘲気味に、また彼女はくすくすと笑う。
確かに、彼女の体はどう見ても二十代後半、大人の女性といったスタイルだ。七不思議にある、少女という文言は相応しくない。
「噂はインクを垂らしたように急速に広がるわ……どんどんと尾鰭がついて。その中でいつのまにか、私は少女にされていたみたい」
噂というものは得てしてそういう感じだ。七不思議だって噂と変わりはないし、広まっていく中で歪んでいくのは当然のことだろう。
「……そんなに警戒しなくても大丈夫よ、そちらの可愛いきみ」
そこで初めて『音楽室の少女』は、ミオさんに話しかけた。なるほど、彼女の言う通り、ミオさんは殺気と同じように厳しい目つきで彼女の方を見ている。
「……申し訳ないけれど、状況が状況なので」
「ええ。確かに、酷い状況のようね。この流刻園が凄い力ですっぽりと覆われている……」
「そうです。今ここでは、霊が暴走している。あなたは…見たところ正気を保っているようだけれど」
「まあ、私はもうあまり執着がなかったものだから。それがかえって良かったんでしょうね」
黒塗りの窓へ視線を滑らせながら、彼女は言う。
執着がない、か。それならばここに留まらず、天国へでも旅立っていそうなものだが。
本当は、何かしらやるべきこと、やりたいことがまだ残っているのだろうか、彼女には。
「……あの。あなたはここで何が起きたか、知っていませんか」
「私も正直なところ、把握出来ているとは言えないわ。それに、霊は悪戯好きだから……知ってても、教えてあげるかどうかはね?」
オレの問いに、彼女はからかうような返答をする。しかし、それでオレが露骨に不満げな顔をしたからか、仕方がないという風に息を吐き、彼女は続けた。
「……でも、そうね。せっかくだから少しだけ話をしましょう。この学校で噂されている、七不思議のお話をね」
七不思議。それは、彼女自身の話でもある。
自己紹介も兼ねているのかもしれないな。
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