そして、刻は戻り。
「……遺していけるのは、これくらいなのかしら」
町が寝静まった夜遅く。
流谷めいは一人、屋上で夜風に身を晒していた。
最早その体は霊体であり、昼夜問わず誰からも見られることはないのだが。
それでも彼女にとっては、深夜が最も気楽な時間なのだった。
「……六月、九日」
彼女が円藤深央に残した言葉。
そしてまた、伝えずに隠した記録。
そのどちらもが、この伍横町で引き起こされている事件を終わらせると信じて。
彼女は夜空に浮かぶ月に、祈りを捧げていた。
「……来たわね」
背後に気配を感じ、メイは振り返る。
するとそこには、因縁の相手――仮面の男、ドールが立っていた。
普通であれば、降霊術の事件が終息した後に霊体を見ることは出来ないのだが、彼は違う。
さも当然のように、ドールは霊を視ることが出来ていた。
「ここにいたか」
「……ええ」
メイは知っていた。
彼という存在が、どのような者なのかを。
万が一の為に、ミオに全てを暴露することはしなかったが……メイには一連の事件の構造が、ほぼ掴めていたのだ。
だからこそ、彼女はここでドールを待っていた。
狙われることを、分かっていたから。
「見事に事態を収拾し遂せたわけだな」
「収拾したのは彼らよ。私ではないわ」
「……それもそうだ」
感情を推し量ることの出来ない淡々とした口調で、ドールは呟く。
「私はとにかく、降霊術を各地点で起こせればいい。その思いが強ければ……なおいい」
「ええ、分かっているわよ」
恐怖はあった。それでもメイは、あえて強気な態度でドールと対峙する。
「……それで、わざわざ事件が終わってから、何をしにきたのかしら? まさか、私の顔が懐かしくなったわけでもないでしょう」
「……そうだな。私は、お前の顔を覚えてもいない。私は、私を繋ぎ止めるだけの記憶しか、今は持ちえていない」
「やっぱり、あなた……記憶を失くしているのね?」
ドールは答えない。だが、沈黙は肯定の証左だった。
だから彼は、メイに対してこれまで危機感を持ってこなかったわけだ。
――その入れ物になってから、なのかしら。
メイは推測する。
恐らくその推測は当たっているだろう、ということも。
「大事なものは失くしていない……いや、すぐに思い出せた。大切なたった一人のことは、今も心の中心にある」
「……マミちゃんの、ことなんでしょうね」
マミ、という名前を口にした途端、それまで抑揚の殆どなかったドールの話し方に変化が生じた。
「……やはり、お前は知りすぎているようだな」
そのことが、メイの確信を更に強めることになった。
「当たり前じゃない。ここにいた生徒でしょう? 私も、マミちゃんも、あなたも。……マモルくんも」
そう、メイは知っていた。
ドールと自らを称する彼が、かつて流刻園に在籍していた生徒だということを。
それだけでなく、彼とその周囲の人間関係を巡り、悲劇的な事件が起きたことを。
「……これが最期だから、私がここへ来た理由を教えておこう」
ドールの声が、一段と低くなる。
メイは、自分の考えが正しかったことを確信し。
そしてまた――自らの最期も悟った。
「最も彼女に相応しいパーツの収拾と……」
ドールの右手が横に伸ばされると。
「……そして、お前の排除だ」
そこに黒い霧が現れ……やがてそれは、禍々しい一つの形を顕現させた。
黒き怪物。
三神院と流刻園を暴れ回った、黒木圭の成れの果て――。
「さあ、存分にやれ……ロキ」
ドールは黒木をそう呼んだ。
北欧神話のトリックスター。
名を呼ばれた怪物は、気味の悪い脚をずるずると動かし。
少しずつ……メイに迫っていく。
「魂の消滅とは、完全なる命の最期。その先には虚無しかない……」
――ああ。
きっと彼も、こんな恐怖に耐えて笑顔を浮かべたのだろう。
玉川理久。親友に成り代わり、その全てを奪って生きてきたあの男。
狂気の果て、最期は親友に詫びて、魂の一欠片も残らず消えてしまった哀れな男。
私は笑えそうもない、とメイは思う。
それでも――最期くらいは、強がっていたいとも、思った。
そうでなくては、示しがつかないから。
「――さようなら、流谷めい」
ドールがそう言い捨てる。
無数の触手が、メイの体を絡めとる。
そしてブラックホールのような漆黒の球体に、彼女は引き摺り込まれ。
後は形容し難いほどの異音とともに、その魂は砕かれていった――。
……これが、私に遺せた精一杯。だから、後はあなたたちに任せるわ。
そして、ドール。もしあなたが、その儀式を行ったなら。
その結末はきっと、この物語の最期の悲劇となるに違いない……。
思い出しなさい。あなたの過去を。
――ねえ? トオルくん。
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