「……もう知ってるんだろうけど。ツキノちゃんも、助からなかったんだ」
最後の部屋も調べ終わり。
僕は隣でぼんやりと立ち尽くす太陽の女神――ヨウノに言葉をかけた。
「一昨日、息を引き取ったんだ。僕が……傍にいてあげた」
あまりにも救いのない、結末だった。
もしかしたらという希望も持てぬまま、ツキノちゃんは静かにこの世を去ったのだった。
「……ええ、知ってるわ。ツキノには、本当に申し訳ないことをしたと思ってる」
心からそう思っているのだろう、ヨウノは顔を伏せ、拳を強く握り締めながら呟く。
怒りと、自分の不甲斐なさに怒っているのだ、彼女は。
「君のせいじゃないよ、ヨウノ」
慰めの言葉も、かけてはみたが説得力がない。
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「……私は、ツキノを呼ぼうと思っていた降霊術によって、現れることができた存在なのよ。呼んだのは……恐らく」
「……ミオくん、か」
確かに、僕がミオくんを最後に見たとき、彼は絶望しきったような表情を浮かべていた。そんなミオくんが、怪しげな魔術にでも縋ろうとする気持ちは分からなくもない。
「しかし、非科学的な現象について、認識を改めないといけないね。あの霧夏邸幻想と呼ばれる事件も、本当に降霊術によって引き起こされたんだろうな」
「ええ、きっとそうなんでしょう……」
そこで、ズボンのポケットに入れてあるスマートフォンが、軽快な音とともに振動を始めた。
誰かから連絡がきたらしい。
「おっと、電話だ。……噂をすれば、ミオくんからか」
ヨウノに一応断ってから、僕は通話ボタンをタップして電話に出た。
「こんばんは、ミオくん。どうしたんだい?」
電話の向こうのミオくんは、どうも怯えた様子だった。
理解が追い付かず、酷く焦っているような。
そんな彼が早口で伝えたこと。
それは、黒木圭の訃報だった。
「何だって? ……分かった、すぐ行くから待っていてくれ」
電話では詳細を聞き取り難いだろうと、僕は黒木家に向かうことをミオくんに告げて通話を切る。
僕の表情が豹変したことに、ヨウノは心配そうにこちらを見ていた。
「……何かあったの?」
「それが……どうしてかはさっぱりなんだが、少年刑務所の中で黒木圭が死亡したらしい」
「黒木が――死んだ?」
それを聞いて、ヨウノも驚愕の表情を浮かべる。
あの狂った男が突然死亡したことが、信じられないのだ。
「ああ……突然の心不全ということらしいけど、そんなの原因不明と同じだ。自殺なわけがないだろうし。今、ミオくんが黒木の家にいるそうだから、詳しい話を聞きに行こうと思う」
「分かったわ。私はこんな存在だし、ここで待ってることにする。……気を付けて」
「うん、ありがとう……ヨウノ」
手伝いを続けたい気持ちもあったが、これは緊急事態だ。
僕は光井家を出ると、町の北にある黒木家へと急いだ。
*
時は一週間前に遡る。
その日の空は晴れ渡っていて、先に訪れる悲劇など微塵も感じさせない好天だった。
いつも通り講義を受けに来たミオくんは、キャンパス内の中庭辺りで、フラフラと歩く黒木を見つけて挨拶したそうだ。
「おはよう、ケイ」
「……あー、ミオ」
普段以上に気怠そうな黒木は、ミオくんがいることに気付くといきなり質問を浴びせてきたという。
「なあ、ヨウノさんどこかで見かけなかった? ちょっと聞きたいことがあってねぇ」
「うん? ヨウノさんならさっき、C棟の二階で見かけたけど……」
「そうかそうか。ありがとう、ミオ」
ヨウノの所在。以前からヨウノのことを何度か訊ねたことはあったそうだが、彼とヨウノが大学内で会ったことは一度もない筈だった。
ミオくんも流石に、彼の様子がおかしいと思って、しばらく後に彼の後を追ったらしい。
黒木はミオくんの言葉通り、C棟に向かう。
そこには確かにヨウノもいたが……彼女は僕と一緒に講義を受けており、それがたまたま長引いたので、まだ教室に拘束されている状態だった。
そして、あまりにも不運なことに。
C棟にはそのとき、ヨウノと待ち合わせをしていた妹のツキノちゃんがいたのだ。
当時、周囲にいた学生たちはこう証言している。
所在なさげに廊下を往復していたツキノちゃんに、後ろから男がぶつかっていったと。
突然のことに誰もが驚き、二人の方に注目したのだが。
その瞬間にはまさか、ツキノちゃんが刺されたということには誰も思い至らなかっただろう……。
「……ちっ、コイツ妹の方か。間違えちまったな……ハハハ」
黒木はそう独り言ちながら、ツキノちゃんから離れたという。
そのときようやく、彼の右手にナイフが握られていることと、それがツキノちゃんを深々と突き刺したことに生徒たちは気付いたという。
背中から血を噴き出し、目を見開いて倒れていくツキノちゃんの顔は。
我が身に起きたことが丸きり信じられないというような、困惑に満ちたものだったという。
「……黒木?」
僕たちは、僅かに間に合わなかったのだ。
彼がツキノちゃんを刺した直後に、待ち合わせの場所へ到着した。
だから……僕とヨウノが見た光景は。
血溜まりの中に倒れるツキノちゃんと、返り血に染まったまま佇む黒木という、悲劇的で醜悪なものなのだった。
「え……ツ、ツキノ……?」
想像を絶する光景に、僕もヨウノも思考が追い付かず。
けれども、大切な妹が血を流して倒れているということだけは、ほとんど反射的に理解したようだった。
「ツキノッ!」
持っている荷物を投げ捨てて。ヨウノはツキノちゃんのところへ駆け寄った。
しかし……そのときにはもう、彼女の意識はとうに無くなっていた。
「な、何だ……どうなってるんだ」
僕は――僕は情けなく、そんなことを呟くしか出来ずに。
ただ、狂気に満ちた男の笑い声を、聞いていた。
「ふう、猫被りな日々も中々面白かったが、そろそろ飽きた。光井さんよ、これで終わりにしようじゃねえか」
黒木が嘲笑う。血の付いたナイフをクルクルと回す。
そんな奴を……ヨウノは恐ろしいまでの形相で睨みつけた。
「あんた……何言ってんのよ……何やってんのよ……」
ああ、そのとき僕の体が少しでも動いていたらと。
僕は未来永劫それを、後悔することになるのだ。
怒りに我を忘れた彼女が、脱兎の如く走り出し。
そしてそれを、高笑いしながら黒木が迎えた。
「うわあああああああああッ!」
「ハハハハハハハッ!」
キラリと。
赤い光が、反射して見えた。
「駄目だ、ヨウノぉおおおッ!」
そして、悲劇は。
最悪の結末で幕を閉じたのだった――。
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