「さあ、行きなさい。もう眠り姫は嫌でしょう? はやく帰って、王子様にキスでもしてもらいなさい」
「順番が逆だよ、お姉ちゃん」
「いいのよ、細かいところは」
「……ふふ、まあそうだね」
王子様のキス、か。
確かに、長い間眠り続けた彼女には、それくらいのプレゼントがあっていいよね。
ヨウノお姉ちゃんにとって、今の言葉は相当重い決断だと思うけれど。
残された人の幸せを考えたとき……それが一番だと、自分の中で結論を出せたのだろう。
ああ、やっぱりお姉さんだなと、光井家の長女なんだなと、私は尊敬した。
眼前に、光の渦が現れる。
この渦がきっと、こちらとあちらを繋ぐ道だ。
アキノが、光の向こう側へと歩き始める。
……その途上で、くるりとこちらを振り返った。
「……お姉ちゃんたちがお姉ちゃんで、私、本当に幸せだったよ! 私、世界一幸せ者の、妹だった!」
それが、今のアキノの本心。
嘘偽りのない、魂の叫びだった。
だから私たちも同じように。
魂の奥底からの思いを、最期に叫ぶ。
「それは私も同じだよ、アキノ!」
「そうよ! 私だって、アキノがいない世界なんて考えられないわ!」
私たち姉妹はどうしようもなく姉妹なのだ。
とても満ち足りた、三姉妹だったのだ。
「……私たち、幸せだね?」
「ええ。三人とも、幸せなんだわ」
「……約束、守れてたんだね。……本当に、良かった」
いつの間にやら私たちは。
揃いも揃って涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「……それじゃあ、私……帰るよ。こんな私を待ってくれてる人が、あっちにもいるんだからね……」
「ええ……元気でね」
アキノの体がゆっくりと、光の渦に呑まれて消えていく。
「さよなら、お姉ちゃん。また……会う日まで」
また会う日まで。
それはきっと、生者と死者の間で交わされるべき、別れの言葉なのかもしれない。
「うん。さよならだよ」
「また会う日まで……ね」
そして、アキノは帰っていった。
彼女が在るべき世界へと。
*
――声。
――懐かしい、声がして。
私は、ゆっくりと目を開ける。
「……アキノちゃん」
そこには、私を待つ人たちの姿があった。
「マスミさん、ミオさん……」
「ようやく、お目覚めだね」
微かに赤らんだ目を細めて、マスミさんは微笑む。ミオさんも、安堵の表情を浮かべてくれていた。
「ずっとこの言葉を君に言える日がくるのを、待ってたんだよ。……おはよう、アキノちゃん」
おはよう。
その普遍的な挨拶を聞けたのは、何年ぶりだろう?
当たり前の目覚めが来なくて。
夜明けが来なくて。
独りきりの世界でずっと苦しみ続けた日々は、今やっと終わりを迎えたのだ。
大切なお姉ちゃんたちが、私に太陽を運んでくれたから。
「……うん、おはよう」
私も、二人に言葉を返す。
当たり前の挨拶を。
「ありがとう、マスミさんも、ミオさんも。とっても長くて、とっても辛くて。……とっても大切な、眠りだった」
「……そうだね」
マスミさんが、そっと頭を撫でてくれる。
その感触を確かめながら、私は言う。
「……私、もう子どものままじゃいられない。お姉ちゃんたちのためにも、私は色んなこと、知っていきたい」
三年間の空白を埋めるため。
お姉ちゃんたちの思いを受け取った私が――大人になるために。
「マスミさん、ミオさん」
私を待っていてくれた人たち。
「これから私にもっと沢山のことを、教えていってください」
マスミさんもミオさんも。
温かな笑顔で、そんな私を受け入れてくれたのだった。
――こうして私、光井明乃が眠りから目覚める旅は、終わったのです……。
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