伍横町幻想 —Until the day we meet again—【ゴーストサーガ】

ホラー×ミステリ。オカルトに隠された真実を暴け。
至堂文斗
至堂文斗

二話 「マミちゃんの、今の気持ちを」

公開日時: 2020年11月11日(水) 21:55
文字数:2,473

 ……波出守。あの男はこの町、伍横町に本社を置く製薬会社の一人息子だった。

 波出製薬。伍横町周辺の施設では、この製薬会社の薬が広く使われているらしかった。

 いわゆる上流階級の人間。それが、あの男。

 そんな男が、私と寄り添い生きてきた彼女を……マミを見初めたのだった。

 誰からも関わりを求められなかったマミが、初めて手を差し伸べられた相手。

 マミが気を許すのに、さほど時間はかからなかった。

 大学に入った頃には、マモルとマミは気安く話すくらいの関係性になり。

 ある日マモルは、意を決したように告げたのだ。

 自分の家に来ないか……と。


「……何だよ、この家。金持ちだってのを見せびらかすような家だな」


 波出家は、二階建ての豪奢な住宅だった。

 お屋敷と言ってもいいくらいで、門の先にはちょっとした中庭まである。

 綺麗に手入れされているからには、専属の庭師も雇っているに違いない。

 とにかく住む世界が違うことを、これ見よがしに知らしめてくるような邸宅だった。


「そんなこと言っちゃ駄目よ。せっかく、私たちを招待してくれたんだから」

「……マミを、だろう?」

「私たちを、よ。……怒らないの」


 マモルは、マミと親しい私も同様に、家へ招待していた。

 だが、目的がマミだけなのは明らかだった。

 あくまでも私はオマケ。

 マミに警戒を抱かせないよう、策として私も誘ったというのは、見え透いたことだった。

 それがいけ好かなくて、私は波出家に背を向ける。


「トオル、どこ行くの……?」

「ちょっと、この辺りを歩いてる」

「もう……招待されてるのは私たちなんだから。ちゃんと戻ってきてね」


 それには答えず、私はマミの元から去った。

 マミはと言えば、これから入っていく大きな建物を、期待と緊張の入り混じる顔で見つめているばかりだった。





 ここから先は、マミの記憶も混在している。

 何故私が彼女の記憶を知っているのかは、後々嫌でも分かることになる。

 とにかく私が合流するまでの間、彼女はこんな風に行動していたのだと。

 後になってから私も知ることになったのである。


「わあ、広い……。ホールっていうのかしら」


 入口は左右に階段があり、二階の廊下に繋がっている。この玄関は吹き抜けになっていて、天井にはステンドグラスのような、日光を通す厳かな装飾がなされていた。


「少し、広すぎて不安になっちゃうな。……トオルはいなくなっちゃうし」


 慣れない空間に一人きりでは、彼女の性格上不安でたまらなくなってしまうのだろう。別れたのは大人げなかったと今なら思うのだが、当時は感情を抑えきれなかったのだ。

 きょろきょろと心配そうに回りを見回しながら進んでいく彼女。そこに、二階からゆっくりと下りてくる人影があった。……マモルだ。


「やあ、マミちゃん。わざわざ来てくれてありがとう」

「あ、はい。こんにちは」

「今日は少し、君とゆっくり話してみたくてさ。それでこの家に招いたんだ。他意はないから、あんまり身構えないように、ね」

「は、はぁ……」


 これまでに出会ってきた人とは違う、気さくな接し方。それに戸惑いを覚えつつも、恐怖とは違う胸のざわめきがあったことを、私は知っている。

 私からすればこの男は、家の権力を笠に着た、偉そうで馴れ馴れしいだけの人間だった。

 けれどもマミには、そういう男が非常に新鮮だったのだ。

 特にマモルは……上流階級らしい作法というか、紳士的な振舞いは身に着けていた。

 右も左も分からないマミを、マモルは客室の一つへ案内した。

 ベッドやテーブル、辞書や小説が並ぶ本棚まであるホテルのような客室だ。

 波出家にはこういう部屋が幾つかあるらしく、聞くところによれば取引先を集めた社交パーティが開かれることもあったそうだ。

 つくづく別世界の暮らしを突き付けられる場所だった。

 客室に入ってから、マミとマモルはしばらくの間、雑談に興じていた。

 お互いに、親しい友人という段階を越えている認識は無かったし、もっと相手をよく知らなければと考えていたのだろう。

 大学ではあまり長く話す時間はとれなかったので、こうして家に招いて距離を縮めようとしたわけだ。


「……へえ。仁行っていうんだ、その子」

「はい。今はどこかへ行っちゃってますけど」


 話の中で、私のことが話題になった。

 マミはいつも私をトオル、と呼ぶので、マモルはフルネームを訊ねたのだ。

 仁行、という苗字は珍しい部類に入るからだろう、彼はなるほどと何度も頷いていた。

 マミは自分と私との関係性をそれとなくマモルに伝え、マモルはそれに口を挟まずに大人しく聞いていた。

 マミの秘められた過去。

 それは今まで、私だけが理解者でいられたものの筈だったというのに。


「まあ、気に入らないって思う気持ちも分かるよ。ずっと一緒に、育ってきたわけだろう?」

「……ええ、そうですね。私の心を救ってくれたときから、トオルとはずっと一緒です」

「素敵な『親友』なわけだ」


 親友。その部分だけをあえて強調し、マモルは言う。

 そこにどんな意味が込められているか、流石のマミも分からないわけではなかった。


「マミちゃん。君は勿論分かってはいるんだろうけど。トオルくんは、気付いているのかな」

「さあ……。でも、私のことでトオルが分からないことはないと思うし、この不思議な気持ちにも、多分気付いているんじゃないでしょうか。だからこそ、怒っているんだと思います」

「……なるほどね」


 そう、私は最初から分かっていた。

 怒っていたのもその通りだ。

 マミのことで私に分からないことはなく。

 私のことでマミが分からないこともまた、ない筈だった。


「理解してくれる日がくればいいけど。マミちゃんの、今の気持ちを」


 マモルは訳知り顔でそう言って、すっくと立ち上がる。


「さて、俺は少し研究室を覗いてくるよ。気が引けるかもしれないけれど、少しの間散策したり、好きに過ごしてもらったらいいから」

「は、はい。……ありがとう、マモルさん」

「いえいえ」


 ちらりと笑顔を見せて、マモルは部屋から出ていく。

 それを見送ってからマミは、肩を落として溜め息を吐いた。


「今の気持ち、か。……難しいなあ」


 それは、純情な乙女の見せる憂いだった。

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