急いで教室を出ると、廊下の向こう側からのそのそと歩いてくる巨体が見えた。
まるで最初の再現だ。虚ろなる怪物が今、こちらに向かって歩いてきている……。
「……リク」
「あれ、が……?」
ミイちゃんとミイナちゃんが、同じように驚く。母と娘だけあって、本当にそっくりだ。
だがまあ、そんなことに感心している場合ではない。
「怪物みたいな姿になってるけど、リクの筈だ。あいつをどうにかできれば、全部終わる……」
消去法で考えれば、あの怪物がリクで間違いないだろう。オレの肉体を奪い、オレの幸せを享受し、そして最後の最後に、誰にも渡すまいと全てを壊そうとした男。
如何に友人であったとしても、それを良しとすることなんて、到底出来はしなかった。
「怪物にも、清めの水は効いてたな。……なら、地下の研究室まで誘導して……突き落としてやる」
ミイちゃんのために水は使ってしまったので、取り得る作戦としてはそれしかなかった。
大丈夫だ。動きはかなり鈍いし、恐らく思考能力も殆どゼロになっている。
怪物というより、今のリクはただのデカブツだ。
「行くぞ……!」
後ろの二人に待機を命じて、オレは怪物の脇を走り抜けようと、走り出す。
そして、怪物とまさにすれ違おうという、瞬間だった。
――オトウ、サン。
「……えっ……?」
……何だ、今の声は?
「待って、ユウサクくん!」
遠くから、オレを呼ぶ声がした。
弾かれるように視線を上げると、そこにはミオさんと……確か、吉元詠子という女生徒がいた。
二人とも表情には焦燥の色がありありと浮かんでいる。
しかし、待てと言われてもこの状況で一体どうすれば――。
「……うわッ!?」
それは完全に不意打ちだった。
怪物からの一撃ではない。怪物はむしろ、どういうわけかその場で動かなくなっている。
オレが驚いたのは、ガラス片だった。
ポケットに入れていたガラス瓶が突如として砕け散ったのだ……!
「何だ……!?」
ガラス瓶の中には、消えかけの魂が入っていた。
オレたちはそれを、息子のユウキだとばかり思っていた、けれど――。
――ハハ……ハハハハ……!
脳髄に突き刺さるような、高笑いが反響した。
この声の主……オレは、ハッキリと憶えがあった。
「その声、まさか――」
――馬鹿な奴だよ……お前は!
間違えようもない。
この声こそ、オレから全てを奪っていったあいつ――リクの声だった。
瓶が割れるのと同時に、明滅する魂がオレのズボンのポケットから滑り出て。
戻り始めていた生命力で、生前の姿を形作った。
「……リク……!」
「僕に力を取り戻させてくれてありがとう……」
そうか……そういうことだったのだ。
こいつは、無害な魂と思わせておいて、オレたち生者と行動を共にすることで、少しずつ生命力を吸収し。
そして人の姿をとれるまでに回復したところで、正体を現したのだ。
「お、お母さんッ!?」
ミイナちゃんの困惑した声が聞こえた。
背後を振り返ると、ミイちゃんが無理矢理こちらへ吸い寄せられるのが見えた。
そこで一瞬だけ、意識が遠のく。
何かと思えば次の瞬間――オレが宿っていたユウキの体が、ドサリと地面に倒れた。
つまり――肉体と霊体との接続が切れたのだ。
オレは霊体に戻っていた。
それだけではない。オレのすぐ近くにいた怪物も、いつのまにかその姿を失っている。
地面には、大人になったオレの体があった。
「ユウサクくんッ!」
ミオさんが、必死に駆け寄りながら手を伸ばす。
しかし、もう全てが手遅れだった。
リクはさっきのように高笑いをしながら、オレとミイちゃん、それにユウキの魂を吸い寄せる。
オレは必死にもがいたのだが、それは全く無駄な努力だった。
「――さよなら、だ」
「うあああああぁぁあッ!!」
全身が千切れそうな痛みが、襲う。
そしてそのまま、世界が暗闇に染まっていく。
聞こえるのは、砂嵐のような雑音と、近付いてくるミイちゃんの悲鳴だけ。
……意識が消え去るほんの直前。
いくつもの魂が、重なり合うのを感じて。
歩んでこなかった沢山の思い出に圧し潰されたオレは、果たして自分が何者なのかという疑問に苛まれながら……闇へと落ちていった。
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