「あれ?」
一階に下りたとき、ソウシが上ずった声を出した。その声に少し驚いた、なんてことは言えない。
「向こうにマヤとハルナがいるな……どうして出歩いてるんだ」
「さあ……」
分かれて行動するのは危険だと、理解できない二人ではないはずだ。理由はあるのだろうが、生憎それは察せない。
「聞きに行ってみるか。……行こうぜ、ミツヤ」
「あ、ああ……」
……何だか突然、空気が冷たくなったような、或いは重くなったような感覚に襲われた。気のせいだろうとは思いつつ、俺は辺りを見回してしまう。
すると、背後で何かが動いているのが見えた。
暗闇に目を凝らすと、そこには――。
「……あ……」
「おい、どうしたんだよ」
ソウシに肩を叩かれても、俺はしばらく反応できなかった。
気のせいだと取り繕いはしたけれど、それはきっと本物だった。
……一つの影が、地下室へと下りていったのだ。
その姿は俺たちのよく知る人物――タカキのものだったのだ……。
悩んだ末、不安を煽るだけだと思って何も言わないことにした。
ソウシは俺の引き攣った笑みを怪しみこそしたけれど、結局何も言わずに歩き始めた。
ハルナとマヤは、玄関ホールにいた。タカキが死んでいた場所の近くで、何やら二人話し込んでいる。
「戻ったぜ、二人とも」
「ソウシ、ミツヤ! おかえりなさい、成果は?」
俺たちの帰還に、マヤがすぐ聞いてくる。結構参ってしまっているのか、なるべく早くここから出たいという風にも見えた。
「ちょっと待ってくれ。どうして二人は出歩いてるんだよ?」
ソウシが訊ねると、
「それが、タカキくんが殺されたときの状況なんかについてマヤくんと話してたんだけど、どうも悪霊に殺されたという感じに思えなくってさ……」
「ほら、タカキは剣を刺されて殺されてたじゃない。霊なら物なんて使わないんじゃないかって、単なる想像ではあるけど。で、ちょっとばかり現場に戻って調べてたわけ」
ハルナとマヤは順番にそう語った。
「ってことは、何だ。ひょっとしたら俺たちの中にタカキを殺した奴がいるかもしれない……そういうことなのか?」
「あくまであり得るかもってだけよ。霊が剣を動かして突き刺したって可能性も十分あるし」
「……正直、それならまだ霊がタカキを殺したって方がまだ救いがあるんだが。でも、そうだな……あいつは……」
「何か気になることでもあるの、ソウシ?」
「……いや、何でもねえよ」
何でもない、と口では言いつつも、ソウシの表情は暗い。マヤは踏み込んで聞いてみようかと迷っていたようだが、それより前にソウシが話題を変えた。
「……まあ、とりあえずこっちの報告を先にさせてもらうとするか。留美さんの件なんだが、さっき俺とミツヤでちゃんと成仏させることはできたんだ」
「ほ、本当に!? じゃあ僕たち、ここから出られるってことかな」
「いや……そんなに甘くはなかった。留美さんを元に戻して、少しの間だけ話を聞けたんだが。どうやら霧夏邸を鎖している大元の霊は、彼女じゃなかったんだと」
「え……?」
ハルナが目を丸くする。実際、誰もが留美さんを元凶だと思い込んでいたことだろう。しかし、そうではなかったのだ。
「霧岡夏乃……二人とも知ってるよな。ハッキリ名前を聞いたわけじゃないんだが、ここを支配している霊の最有力候補が彼女なんだよ」
「ど、どうしてナツノちゃんが……? やっぱり、湯越さんに命を奪われて……?」
「いや、湯越さんは世間で噂されてるような実験には手を染めてなかった。詳しく話すと長いんで端折らせてもらうが、ここには元々日本軍の研究施設があったらしくてね。湯越さんが屋敷を買うよりずっと昔に、非人道的な実験が行われていたんだと」
「日本軍って……ちょっとスケールがでかすぎて僕には信じられないんだけど」
「でも事実だ。地下室にあった装置や資料がそれを示してた。……毒薬を製造していたみたいだが、その犠牲になった子供たちの霊がここに留まっていたってことだな。湯越さんは、霧夏邸を購入した後その事実を知り、どうにかしなければいけないと決心して、霊を解放してやるために降霊術関連の研究を始めた……」
「その話がどんどん変質していって、狂人という噂が広まっていっちゃったのね……悲しすぎるわ、そんなの」
お喋りだけで伝わっていく話というのは、伝言ゲームのようにおかしくなるものだ。悪意を持って事実を捻じ曲げる者だっている。
湯越郁斗の噂においては、それが政府サイドという可能性もあるから本当に酷い話だ。
「そういうわけで、夏乃ちゃんが霊になった理由は正直不明だ。ただ、この話とさっき二人がしてくれた話を合わせると一つ仮説が浮かんでよ。霧夏邸が今、死んだ人間の蔓延る場所になっちまったって言うんなら……こうは考えられねえか? ここが霊の空間になるより前にタカキが誰かに殺され、そして零時になった途端に悪霊になった……」
「つまり……ソウシが言いたいのは、人殺しに罰を、という言葉はタカキによる呪詛だったって……?」
「自分を殺した犯人への復讐。そんな風に思えなくもないだろ。ナツノちゃんが封じた屋敷で、その力の影響を受けて自身も悪霊になり、復讐の化身になってしまった……否定は出来ねえ」
いや、否定するどころか有力な説であると俺は感じた。何故なら、俺はさっきタカキの霊をこの目で見てしまったからだ。
「……三人とも。実はさっき、俺はタカキの霊を見たんだよ」
「何だって? ……そうか、だからあのときお前、怯えたような顔になってたのか」
「……ああ」
「ということは……タカキまで悪霊として襲いかかってくるかもしれないの……?」
「見間違えでなきゃ……可能性は高いな」
「そんな……どうしよう、私本当に大変なことしちゃった……」
声を上ずらせて言い、ハルナは両手で顔を覆った。ここへ誘ったことを後悔しているのだろうが、だからと言って彼女が悪いわけではないのに。
「……ハルナ。今はそんなこと気にするより、これからどうするかを考えよう。ナツノちゃんやタカキが悪霊になっているなら、どちらも成仏させてやる他ないと俺は思う。タカキはいいとしても、ナツノちゃんの死体がどこにあるのか、それを突き止められればいいんだが……」
「……そう、だよね。ごめん、今はミツヤの言う通り、これからのことを考えなくちゃ――」
ハルナがそう言い終わるよりも前に。
背筋も凍るような、甲高い悲鳴が邸内に響き渡った。
今の叫びは――。
「サツキちゃんだ!」
「くそッ、ユリカは動けねえんだぞ!」
反射的とも言える速さでソウシは廊下へ飛び出した。
それとほぼ同時に、103号室の扉が開いて中から誰かが出てくる。
ユリカちゃんではない。顔がすっかり青ざめた、サツキだ。
「み、皆……! 何かが部屋の中に……!」
「何だと!?」
そんなサツキをほとんど跳ね飛ばすようにして、ソウシは部屋の中へ入っていく。俺たちもすぐに後へ続いた。
これ以上、罪無き犠牲など出てほしくはないのだ。
だからどうか無事でいてくれと、そう願って。
でも――。
「……ユリ、カ……」
呆然と立ち尽くすソウシ、その掠れた声。
そして赤く染まったベッド。
噴き出た血は、周囲の壁まで汚して。
姿が見えずとも、そのベッドの上に横たわっている彼女の生死はもう、明らかだった。
「嘘、だろ」
ソウシは、震える足で近づいていく。けれどその足はすぐに萎え、がくりと膝をつき。
這うようにして傍まで辿り着いた彼は、血に染まるシーツをぐっと握りしめたまま……顔を埋めて、嗚咽した。
「……ユリカ……こんなのって、ねえだろ……」
「ユリカ、ちゃん……」
ハルナとマヤも、ベッドの上に横たわるユリカちゃんの姿に、言葉を失った。
目を背けたくなるような、凄惨な光景。
まるで怪物の巨大な爪にでも引き裂かれたかのように、ユリカちゃんは全身を裂かれて息絶えていた……。
ふらふらと部屋へ戻ってくるサツキ。そんな彼女に、ソウシはいきなり掴みかかる。
「どうして逃げたんだよ! お前がついててくれれば、ユリカは……助かったかもしれねえのに」
「ごめん、なさい……本当に、ごめんなさい」
「……ソウシ」
流石に見ていられなくて、俺が間に割って入った。そっと掴んでいる手を放すと、ソウシはその手で自身の額を覆う。
「……分かってる。そんなの、出来るわけないのは分かってるんだ」
その手の間から、ゆっくりと、涙が伝っていた。
「だけどよ、やりきれねえんだ……どうにかユリカを救えなかったのかって、そんなことしか考えられねえんだよ……」
ソウシの、大切な人。
数奇な運命を共にした、愛しき少女。
伝えようとした思いは届くことのないまま。
あまりにも無慈悲な結末で、閉ざされて。
「ごめんなさい、ソウシ……」
暗く、赤く、痛ましいほどの沈黙が下りた部屋の中で。
サツキの謝罪だけが、いつまでも……いつまでも繰り返された。
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