二番目の部屋には、チェス盤があった。
いや、その表現は正しくない。
正確にはこうだ。
二番目の部屋は、チェス盤だった。
「盤面に、なってる……」
白と黒。モノクロの世界でもそれくらいは分かる。
部屋の床面は板ではなくタイル張りで、それはチェス盤のように白黒交互になっていた。
更に言えば、チェス盤らしく盤面の上には駒も並んでいる。
但し、駒は私の身長ほどもある巨大なものだった。
『チェックメイト』
これはヒントではなく答えのようなものだ。
つまり、駒を動かしてチェックメイトにすればいいということ。
盤面を俯瞰することが少し面倒だったけれど、問題自体はそこまで複雑ではなかった。
たった二手で完結する程度の、易しい謎解きだった。
白が私、黒が相手。私の手番からの二手詰めだ。
状況を整理して、私は早速駒を動かし始めた。
「ここをこうして……」
クイーンを敵陣深くに食い込ませる。
駒の数は非常に少なく、相手のキングを守る壁はない。
最奥まで進んだクイーンがチェックをかけ。
それを防ぐために、黒のナイトがクイーンを取りに来た。
――ガキィッ!
「ひゃッ!?」
一瞬の出来事。
只の駒だと思っていたナイトが、突如クイーンに体当たりを仕掛けたのだ。
巨大な駒同士が衝突し、激しい音とともにクイーンが砕け散る。
その残骸の上に、黒のナイトが新たに居座ったのだった。
「……はは……こんなの、滅茶苦茶だ」
現実じゃない。それは理解している。
でも……こんなのは、あんまりだった。
心の奥底で、恐怖が増幅してきている。
そのことが伝わってきて……私はいつの間にか、手が震えていることに気付いた。
「……もうちょっとなんだ」
怖いけど、もうちょっとだから。
私を取り戻すまで、ほんのちょっと。
自分に言い聞かせるようにして、私は震えを制止する。
そして、今度はルークを動かし始めた。
……サクリファイス。
犠牲の上に、キングを討ち取る。
何となく、不穏な感じがした。
ただの戦略の一つでしか、ない筈なのに。
「――チェックメイト」
そう宣言した瞬間。
駒たちは、さっきのぬいぐるみのように塵となって消えた。
正解すれば、もうこの部屋に意味はなく。
用済みの部屋は、存在すら許されずに消えていく……。
「……私は」
私は、このチェスの知識を。
一体誰から教わったのだっけ……。
*
最後の扉を抜けると、長い階段があった。
黒き影に追われたのとは逆に、今度は上り階段だった。
段差はそれほど急でなく、かなりの距離をかけて上っていく感じだ。
果ては見えない。
「……この先に」
答えがある。
不思議と、そんな確信があった。
取り戻すための前提は、もう既に越えていて。
後は決定的な答えを、知らしめられるだけなのだ。
――そう。
頭の中で、幾つもの言葉がリフレインする。
――ふふ、ツキノには届かないでしょ?
届かない本棚。
――お姉ちゃんにもらったぬいぐるみ、もう結構ボロボロになっちゃったなあ……。
しまわれたぬいぐるみ。
切り取られた世界の中で。
抜け落ちた私にはめ込まれたのは。
階段に一歩、足をかけ。
私は、真実へと上り始める。
…………
……
*
――謝ることしかできない。
ふわりと、その足を地上へと降ろして。
私は、静かに彼女を見上げていた。
――私には、謝ることしかできないよ。
そう、それだけが許されることなのだと。
自分でもう、理解していたのだ。
あなたをいつも悲しませていたことを、私は申し訳なく思っている。
振り返ってみれば、いつだってあなたはそうだった。
あなたはいつも、罪のない不幸を背負っていた。
私と■■■お姉ちゃんのせいで。
お守りのときだってそう。一度渡したお守りを、やっぱり■■■お姉ちゃんの色がいいと私は泣いた。
そのときあなたは、必死に私を慰めてくれた。
私たちが同じものを取り合ってケンカしたとき、あなたはいつも、間に入ってくれたよね。
……ありがとう。
そして、ごめんなさい。
嘘つきな私を……許してください。
――ツキノお姉ちゃん。
*
「……そういうことだったんだね」
階段を上り終えた先。
私を待っていたのは、一枚の鏡だった。
姿見だ。
この記憶世界で、これまで目にすることのなかった鏡。
部屋を再現したならあって然るべきなのに、存在しなかった鏡……。
もしも最初から鏡があって。
自分の姿を映していたのなら。
きっと、もっと早くに理解していた筈なのだ。
だって、それは決定的なことで。
一目見るだけで、それが真実になるというのに。
「私は……光井月乃」
三姉妹の……次女。
「決して、陽乃お姉ちゃんじゃない」
あの明るい、太陽のような姉じゃあない。
「私は……」
それでも、多分佇まいだけはどこか似ていたから。
「私はあの日、お姉ちゃんと間違えられて殺されたんだ――」
残酷な真実を、鏡は無機質に映し出していた。
…………
……
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