リクの記憶を拒絶した瞬間、世界は忽ちその形を崩壊させた。
気付けば周囲には床も壁も無くなり、赤と黒の織り交ぜられた遠景だけがどこまでも広がっている。
そんな空間の中に、たった二人だけが存在していた。
オレとリクの二人だけが、何もかもから取り残されたように、立ち尽くしていた。
「……ははは……はは……」
嗤い声。
虚しく響くその声は、リクのもの。
オレと向かい合うように立つ彼は、片手で目元を押さえながら、暫くの間嗤っていた。
それは、オレに対するものではなく。
きっと、自分に対するものだったのだろう。
「……そうだよ。僕はただ、君が羨ましかったんだ。君は僕の理想とするような人間そのものだったんだよ」
羨望はいつしか嫉妬となる。
自分が手にしたいものを、手に入れられないと思ってしまったときに。
オレにとって親友だったリクは。
リクにとって、仇敵となってしまっていた。
「君は、僕の憧れだった。僕の望む全てを持っていたんだよ……ユウサク」
「リク……」
オレは、独白のように自らの思いを吐き出し続ける彼に、近付きたいと歩き出す。
けれど、進んでも進んでも、リクとの距離は一行に縮まらなかった。
こんなに近いのに、今のあいつは遠すぎた。
「はは……幸せだったよ。君の人生は、こんなに幸せなんだなって思った。そして……僕はその幸せを君から奪って、今日まで過ごしてきたのさ。僕は結局、そんな男だった」
「お前……」
はたと気付く。
リクの姿が、少しずつ欠け始めていることに。
透明になっているわけではない。成仏しようとしているわけではないのだ。
あいつは……消滅し始めている……。
「……僕は、許されちゃいけない。許されることなく、消えていかなくちゃいけない」
足下から徐々に、まるで風化した骨が風に攫われるようにして、塵になっていく。
根拠など無かったけど、オレには分かった。
リクの姿が完全に無くなるとき。それは、リクという存在が永遠に無くなるということなんだと。
「分かってる。これが当然の報いというやつなんだ。だから僕は、これ以上惨めな自分を、君には見せないでおきたい……」
リクは、目元を覆ったままゆっくりと背中を向け、空を仰いだ。
あいつは今、どんな顔をしているのだろう。
「ねえ、ユウサク」
「……何だ」
「身勝手なお願いだと、怒るだろうけど」
リクはそう言うと、上半身だけをこちらに振り向ける。
そして、目元を覆っていた手をそっと除けて……笑顔を見せた。
涙で赤らんだ、ぎこちない笑顔を。
「僕のこの、最期の笑顔だけは……忘れないでいてくれるだろうか」
ごめんね。
最期の言葉が、赤と黒の世界に凛と響く。
その笑顔のままリクは、微小の粒子へと散り行き。
オレの目の前から、永遠にその姿を消したのだった……。
*
「……馬鹿……野郎……」
消滅していく世界の中で。
残されたオレの嗚咽だけが、虚しく響く。
「そんなの自分勝手すぎるだろうがよ……どうして消えちまうんだよ……!」
思いをぶつける相手はもうおらず。
この怒りも嘆きも、全ては一方通行でしかない。
「どうしてお前は、オレから大切なものを、そうやって奪っていくんだよ……どうして、許させてくれねえんだよ……ッ!」
もう二度と、玉川理久が答えることはない。
現世でも常世でも、もう永遠にリクと言葉を交わすことは、思いを伝えることはできないのだ。
「……ユウくん」
気付けば、ミイちゃんが傍にいた。
背後からそっと、オレの肩に手を乗せてくれた。
「ミイちゃん……」
「……帰ろう、ユウくん」
無理をしてるのは見え見えで。
それでもあえて何でもないかのように、ミイちゃんは微笑みかけてくれる。
「もうこれで。……全部、全部終わったんだからさ――」
記憶の世界はそこで、完全に形を喪った。
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