伍横町幻想 —Until the day we meet again—【ゴーストサーガ】

ホラー×ミステリ。オカルトに隠された真実を暴け。
至堂文斗
至堂文斗

二十一話 眠り姫(記憶世界)

公開日時: 2020年10月17日(土) 20:02
文字数:3,565

 モノクロの病室は、奥に進むにつれ闇が深く垂れ込めている。

 誰かが眠っているらしいベッドは、その闇の中へ呑み込まれて全体を目視できない。

 誰が眠っているのかが、私には分からない。


「……アキノ」


 姿を見せない妹に呼びかける。

 そのまましばらく待っていると、やがて部屋の隅にアキノの姿が現れた。


「ツキノお姉ちゃん……」


 アキノは苦渋の表情を浮かべ。

 私から目を逸らしたまま、立ち尽くしている。


「……あのね?」


 彼女を傷つけないように、私はなるべく優しい声を心掛けながら、語りかける。


「私、さっきヨウノお姉ちゃんの部屋にある机の引き出しから、赤いお守りを見つけたんだ。それに助けられた。ヨウノお姉ちゃんの色がいいって泣いた貴方は、私に諭されて我慢するって言ってくれたはずだったけど……あの引き出しに赤いお守りが入ってたってことは、結局お守りを交換してもらったってことだよね」


 赤と黄色のお守り。

 私の言葉を聞き入れた後、結局我慢できずにヨウノお姉ちゃんと交換のお願いをしたことを、私は知らなかった。

 アキノは嘘を隠し続けていた。


「……ねえ、アキノはきっと、自分の気持ちと誰かの気持ちの間で折合いがつかなくなったとき、嘘を吐くのが癖になってしまっていた。……そして、今もそうなんだ」


 アキノは……俯いたまま、震えていた。

 唇を噛み、拳を痛ましいほど拳を握りながら……震えていた。


「……お願い。何も言わずに、このまま祈って」

「アキノ……泣いてるの?」


 つう、とその頬に雫が流れる。

 彼女は……声を殺して泣いていた。

 許されないことをした。

 彼女の涙は、そのことを如実に物語っていて。


「私の考えていることは……じゃあ」

「聞かないでッ!」


 アキノが叫ぶ。

 溢れる涙を隠すことも止めて、私に訴えかける。

 でも。


「嫌だよ! 私、嘘吐かれたまま消えたくないもん!」


 私も必死になって、彼女の言葉に反駁した。


「何も分からないまま全てが終わってしまったら……私だけじゃない、アキノだって絶対に後悔することになる。そんなの、嫌なんだよ……!」

「お姉、ちゃん……」


 涙でぐしゃぐしゃになった彼女を。

 私は、そっと抱き締めた。

 抵抗せずにその抱擁を受け入れた彼女に。

 私は、そっと囁いた。


「……アキノ。この病室で眠ってるのは、私でもなければヨウノお姉ちゃんでもないんだね」


 ほんの僅か。

 ベッドの上に眠る人物の顔が、闇の中から浮かび上がった気がした。


「私たち姉妹の、最後の生き残りは――アキノだったんだ」





「……どのあたりで気付いたの?」


 抱き締めたときと同様に、そっと彼女から離れると、赤らんだ顔から涙を拭って、アキノは訊ねてきた。


「やっぱり、アキノの煮え切らない態度が大きいかな。私がツキノだって教えてくれてからも、まだアキノは隠し事をしているみたいだったから。そして、そこから答えをぼかすようになったんだ、私が目覚めさせようとしているのが『誰』なのか」

「……私は最初、お姉ちゃんが『ヨウノお姉ちゃん』であり、魂が回復すれば目覚められるって説明したね。実のところヨウノお姉ちゃんだと嘘を吐いたのは、マスミさんがちょうど病室にいて、どうか目を覚ましてくれと祈ってくれていたからなの。マスミさんと言えばヨウノお姉ちゃんの恋人で、それは私たち全員の共通認識だった。そのマスミさんが、目を覚ましてと呼び掛けている場面を利用して――記憶の欠落したツキノお姉ちゃんに、『恋人のところへ生きて帰れる』という目的を与えた……」


 あの声は、現実世界からの呼びかけだった。

 但し、弱々しい私の魂が目覚めるのには、少し力が足りなかった。

 呼びかけの力を補強するためにアキノが思いついたこと。

 それは、私がその呼びかけを大切なものと感じるような設定を作ることだった。

 つまり、マスミさんの恋人であるヨウノお姉ちゃんという設定を。


「ただ、記憶が戻っていくとそれは当然嘘だとバレてしまう。……案の定、私は自分がツキノだということを思い出したけれど……それでもまだ、全てを取り戻したわけじゃなかった。いや、見ていないから分かってなかったんだ」

「ツキノお姉ちゃんが刺されたあと、ヨウノお姉ちゃんもまた刺され、殺されたことをね」


 アキノの言葉に、私は頷く。

 私の記憶は、高らかに笑う黒木の姿が最期だった。


「だから、私は勘違いをしたままになった。自分がツキノだと分かった後も、病室で眠っているのはヨウノお姉ちゃんなんだと思い込んでいた。……違うんだ。今はもうハッキリ分かるよ。この病室はずっと昔からアキノの病室だった……」


 そう、あの転落事故――いや事件の日からずっと。

 三神院のこの病室は、ずっとアキノが眠る場所だったのだ。


「……私が階段から突き落とされた事故のことを、お姉ちゃんは中途半端にしか思い出せてなかった。あの事故で、私がもう死んでるものだと思ってたはず」

「そう……だから生き残り候補がヨウノお姉ちゃんだけしか浮かばなかった」

「あれから、私は長いこと昏睡状態なんだ。今も現実世界の病室で、眠っている」


 年数にして実に三年。

 アキノは昏睡状態のまま、眠り続けている。

 私たちは今までずっと、交代でお見舞いに来ていたのだ。

 ヨウノお姉ちゃんも私も、マスミくんもミオくんも、皆。


「……あと、この世界の構造についても、私がツキノだって分かってから振り返るとおかしなことは多かったな。恐怖のシンボルである黒い影が黒木圭にそっくりなのは、三姉妹全員に当てはまるかもしれないけれど、長い階段が続く空間であの影に追われたときを思い出して……なんだかアキノが突き落とされた階段みたいだなって感じた。他にも……この世界は私の意識でできてるわけじゃなさそうだって感じるものがちらほらあった……」

「……正解だよ。ここはツキノお姉ちゃんの世界じゃないから。この記憶世界は、まだ生きている私が生み出した空間であって、それに取り込まれたツキノお姉ちゃんの記憶は所々に紛れている程度だと思う」

「アキノの世界の中だから、アキノの意思で私の魂を回復させられる物や仕掛けを作ることもできたんだろうね」

「……うん」


 この世界の主従は逆だった。

 ここは私の世界でなく、アキノの世界なのだ。

 ただ、ここにいれば魂が回復するというのは本当のようで。

 恐らくはアキノの記憶から思い出を呼び起こすことで、私は私を取り戻していくことができたのだろう。


「まあ、違和感が鮮明になったのはヨウノお姉ちゃんが霊として現実世界にいるのを見たときかな。生霊なんて言葉もあるし、魂だけが移動してるんだろうかとも思ったけど……あのときマスミさんは魂が戻ってきたって言ってたよね。戻ってきたって言い方だと、ヨウノお姉ちゃんの魂は一度死んで、それが蘇ったというニュアンスに思えるじゃない……?」

「あはは……鋭いね、ツキノお姉ちゃんは」


 観念したという風に、アキノは力なく笑う。

 それから、一度だけベッドで眠る自身の姿を見やった。


「……ねえ、どうして途中でちゃんと打ち明けてくれなかったの? 話した方が、ずっと楽だったはずなのに。私は軽蔑なんてしなかったのに……」

「言おうと思ったよ!」


 アキノがまた叫ぶ。

 しゃくり上げる声も聞こえた。


「でも、私……私、酷い子だもん……ヨウノお姉ちゃんからマスミさんを奪おうとして……黒木に突き落とされて、眠りについた後も私は……私は……!」


 ――え?


「マスミさんを……?」


 それは、つまり。

 アキノは、マスミさんのことを。


 ――ギイイィイ……


 耳障りな音が世界を満たした。

 際限なく増幅する音と、それに伴って生じる暗黒。


「あッ……」


 影が来た、と思った。

 そう思ったときにはもう遅かった。

 かつてないほどの影の群れが、アキノの周囲を埋め尽くして。

 彼女は悲鳴すらも上げられずに――奴らの空間へと連れ去られてしまった。


「アキノおおおおッ!」


 私の叫びすらも吸い込まれてしまうかのように、影たちは一つの闇と化して収縮していった。

 どんどんその円が狭まり――やがて消失する。後にはもう、何も残らない。

 アキノは……自らの恐怖に呑み込まれてしまったのだ。


「駄目……」


 駄目だよ、そんなの。

 生死の境を彷徨うアキノ。

 そんなアキノが恐怖に負けたら――命の灯は。


「アキノを、助けなきゃ……」


 でなければ、彼女が死ぬ。

 彼女を恐怖の底から救い出さなければ……!

 どうすればいい? どうすれば、アキノを助けられるだろう。

 私一人の力じゃあまりにも弱い。

 ああ……だから、強い絆を信じて。

 皆に助けを求めることが、一番の道な筈だ。

 今ならできる気がした。

 ヨウノお姉ちゃんは現実世界に存在できているのだから。

 ここまで魂が回復した私も、きっと同じように。

 あの場所へ『降霊』されることができる筈――。


「……お願い!」


 強く、瞳を閉じて念じる。

 世界が、光に包まれる。

 そうして私は――。


 …………


 ……

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