伍横町幻想 —Until the day we meet again—【ゴーストサーガ】

ホラー×ミステリ。オカルトに隠された真実を暴け。
至堂文斗
至堂文斗

十話 「解き放たれよ」

公開日時: 2020年11月21日(土) 00:39
文字数:2,481

 それは、突然の終焉だった。

 いつも通りの日常。

 いつも通りの波出家。

 後になって違うところがあったとすれば。

 少しばかりマモルの表情が固かったくらいだろう。

 それも、当時はさほど気にしてはいなかった。

 学業と仕事の兼合いで疲れているのかもしれない、としか思っていなかった。

 けれども奴の表情は物語っていたのだ。

 その日に全てが終わるということを。


「……やあ、待たせたね」


 私とマミが客室で過ごしていたところに、マモルはテラスを伴ってやってきた。

 二人が一緒に来たことは今までなかったので、私はすぐに違和感を抱いた。


「色々と、準備に時間が掛かってしまった。さあ、行こうか」


 準備。この日もただ、マミとマモルとが雑談をして過ごすものと思っていたので、想定外の言葉に私は驚いた。


「行くって、一体どこになんだ? それにマミ、お前は何か知ってるのか……?」


 マミは答えない。俯いて、ただ沈黙を貫いている。

 しかし、沈黙は肯定だ。彼女は私がいない間に――恐らくは以前マモルに話を聞きに行ったときに、何かしら事情を聞いていたのだ。

 それを、私に隠していた。

 マミも、共犯の側に立っていたのだ。


「……トオル、くん」

「……テラスさん……」

「来てほしいんだ。僕を……信じて」


 テラスの言葉。

 裏切りに打ちのめされた私が、最後に信じられる僅かな望みは、最早それくらいしかなかった。

 それとて口に出しただけの、根拠のないものでしかなく。

 この先に何が待っているかなど、もう何も分からなかったが。


「……俺は……」


 結局は、付いて行く以外に選択肢などなかったのだ。

 マミを置いて逃げることなど、それこそ考えられなかったのだから。





 私たちは、研究室のエレベータから地下へ向かっていた。

 あの日潜入を果たした、怪しさに満ちた地下研究所だ。

 エレベータの下降が終わり、研究所に辿り着くと、マモルとテラスはひたすら真っ直ぐに進んでいった。

 その先は、私が前に忍び込んだ部屋――暗幕によって奥が隠された部屋だった。

 マモルが、扉を開く。

 部屋からはもう、暗幕は取り去られていた。

 そして、隠されていたものは私たちの眼前に曝け出されて。

 禍々しい、景色が。

 私たちを、待ち受けていて。


「……これ、は……」


 床に、模様が描かれていた。赤の塗料がぬらりと光っている。

 描かれているのは、円形。リングのような二重円の中に、複雑に絡み合う線形と記号。

 象形文字の様にも見えたが、そのときの私の知識ではまるで理解出来ない記号だった。

 しかし、その模様がどういう意味を持つのかくらいは、流石に直感した。


「魔法円……?」

「そうだ、トオルくん。これは儀式に必要な魔法円さ」


 儀式。

 仮にも製薬会社の跡取り息子であるマモルが、儀式などという非科学的なことを口にする。

 その落差に私は絶句してしまったが、奴はさも当然のように話を続けた。


「これを準備するのには、些か骨が折れたよ」


 それから、一つ溜め息を吐くと、私から顔を逸らして研究者の方を見やる。


「……テラス」

「大丈夫。……やりましょう」


 名を呼ばれた研究者は、意識的に表情を消して、頷いた。

 普段のテラスからはかけ離れた、冷たい表情だった。


「……これが私たちにとって最良の方法、なんですね?」

「……ああ、そうだ」


 マミが確認するように問うと、マモルは力強く頷いた。

 だから、分かる。

 この場で事態を理解していないのは、自分だけだということが。

 そんな私を哀れに思ったのか――マモルは最後に、種明かしを始めた。


「既に聞いたと思うが、テラスは薬以外にもある研究を行っていてね……それは人間の魂を操る研究だ」

「魂……だって?」


 製薬という分野からあまりにかけ離れた言葉に、私は呆然とする。

 そんな私の表情を愉しむように、マモルは薄ら笑いを浮かべた。


「あまりにも胡散臭すぎて、殆どの人間が一笑に付すんだが、これがホンモノでね。……この実験もテラスのおかげだし、テラスの研究にとってもまたとない一歩になる。だから、そう。君たちは実験体でもあるわけだ」

「……何を、言ってるんだ」


 私とマミを実験体などと呼ぶ彼は、明らかに狂っていると評するほかなかった。

 こんな奴はもう信じられないだろうとばかりに、私はマミの方を振り返ったが……マミはそれでも、俯いたまま彼の言葉を大人しく聞いていた。


「言葉は悪い。でもね、マミ……俺は君を愛しているんだ。君を決して、他の誰にも渡したくはないんだよ」

「他の誰にも、だと……」


 それはつまり。

 やはりこの男は、私とマミを。


「だから……少しの間だけ、この円の中に入ってくれるかい」


 マモルが、射すくめるような眼差しで、私を睨む。

 その視線に恐怖すら感じながらも、私は抵抗する。


「い、嫌だと言ったら?」

「……君は、断れないと思うよ」

「え――」


 何を馬鹿な、と思ったのも束の間。

 私の足は、自らの意思に反して動き始めていた。

 ゆっくりと、しかし真っ直ぐに魔法円の中を目指して。

 そこに待つものが確実に破滅であると分かっているのに。


「さあ、始めよう!」


 マモルが高らかに宣言する。

 指を鳴らし、テラスに指示を下す。


「……行きます」

「テラス、さん……!」


 信じて、と懇願した男。

 優しく接してくれた男。

 そんな男を、私は信用し。

 けれどもやはり、彼にも裏切られるというのか。


 ――信じたのに。


 最早この場に味方など一人もおらず。

 私はまさに、まな板の鯉と呼ぶにふさわしい状況となっていた。


「いいぞ、テラス!」


 魔法円の中心に私は立たされ。

 不可思議な浮遊感とともに、強烈な眩暈を感じる。


「……ごめん、トオルくん」


 混濁する意識の中で。

 テラスの謝罪がちらと聞こえたような気がしたが――それはもう、どうでもいいことだった。


「――さあ、御霊よ、解き放たれよ!」


 魔法円が光を放つ。

 私の世界が消えていく。

 光と闇が繰り返され。

 雑音と静寂もまた、繰り返された。

 撹拌される意識。

 引き離される感覚。

 それらは一瞬のようでもあり。

 はたまた永遠のようにも感じられた。


 ――いよいよ、救済の時。


 誰かの言葉。

 最期の言葉。

 そこから先は、分からなかった。

 ただ遠くで幾つもの叫びが聞こえ――全ては終わった。


 後には、暗闇だけが残った。

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