伍横町幻想 —Until the day we meet again—【ゴーストサーガ】

ホラー×ミステリ。オカルトに隠された真実を暴け。
至堂文斗
至堂文斗

七話 心の中に潜むもの(記憶世界)

公開日時: 2020年10月10日(土) 20:02
更新日時: 2020年10月11日(日) 18:36
文字数:3,224

「むう……どうしよう」


 届かない木箱を、私はただ呆然と見ているしかなかった。

 けれど、ふいにその木箱が仄かな光を発し始めた。


「え……?」


 戸惑っている間にも、木箱は更なる動きを見せる。

 本棚からふわりと浮き上がり、そしてゆっくりとこちらへ向かって下降を始めたのだ。

 今度は驚きによって動けないでいる私。そんな私に、木箱は追い討ちをかけるように突然落下してきたのだった。


「痛っ」


 ちょうど頭頂部あたりに木箱が直撃する。……角じゃなかったからまだ良かったが、それでもやっぱり結構痛い。


「うー……落ちてきた……」

「そのようですね」


 痛みに頭を摩りながら、私は落ちた木箱を拾い上げる。

 そして、先へ進むためのキーアイテムがないものかと調べてみた。

 何枚かの写真。今より幼いころのものばかりだが、恐らくは私が映っているのだろう。時には妹たちとともに、時には友人たちとともに。明るい笑顔を浮かべていた。

 それから、目立つものといえば日記帳か。


「陽乃って書いてるんだから、私のよね……」


 と、軽い気持ちでそれを手に取り、最初のページを開いてみたのだが、そこには思春期の乙女らしい、恋に揺れ動く思いが赤裸々に記されていて、少し文章をなぞっただけで顔が紅潮していくのをハッキリ感じた。


「……わ、私……こんな恥ずかしい文章書いてたの?」

「……ふふっ……」

「あ、今笑ったでしょ!」

「い、いえ。気にしないでください」

「するよ、そんなこと言われても……」


 というか、人の日記を横目に見ないでほしいものだ。元より内容は知っていたのかもしれないけれど……。

 はあ、恥ずかしい。

 思い出せもしない過去からこんな爆弾が飛んでくるとは、油断ならないものだ。死者というものは案外、自分の死後自宅に戻って、恥ずかしい思いをしているのかもしれない。


「……あ、鍵が入ってる。とりあえずこれで、あの扉を開けられるよね」


 日記のことは忘れることにして、取り出した鍵をエオスに見せる。


「ええ、だと思います」


 確定的な言い方ではなかったが、彼女もそう言ってくれたし、とにかく試してみることにしよう。

 木箱は近くの机に置いておき、私たちは施錠されていた扉へ向かった。

 小さな鍵穴に、木箱に入っていた鍵を挿し込む。抵抗なく奥まで入ったので、これで間違いないだろう。

 ガチャリと、解錠の手応え。

 ノブを回すと、扉はすんなりと開いた。


「よし……先へ進もうか」

「はい、そうしましょう」


 二人、笑顔を浮かべながら部屋を出て。

 そこからはまた、長い廊下が続いていた。

 ここも変わらず、床がひび割れていたり、奇妙なところに壁があって視界が遮られたりしている。

 しかし、廊下なので先ほどの部屋よりも置物は少なく、あっても観葉植物程度だった。


「ここはそのまま進んでいけばいいかな」

「特にギミックはないかと……」


 先の方を見やりながら、エオスは呟く。

 彼女がそう言うなら大丈夫かと、私は一歩踏み出そうとしたのだが、その瞬間に場の空気が変わった気がした。

 ……何だろう?


「――あ……」

「ど、どうしたの?」


 特に問題はないと口にしたはずの彼女だが、その表情が見る見るうちに蒼白になっていく。

 今の僅かな間に、状況が一変したことは明らかだった。

 ……何が変わったのか。空気が淀んだように感じるのは間違いない。


「……嫌な気配が。殺気がこもっているというか……」

「殺気って……」


 この記憶の世界に、殺気を放つ何らかの存在があるということなのか。

 その存在が、どうやらこの廊下に来てしまったと。

 私は恐る恐る廊下を進んでいき……それから、突き出した壁に隠れるようにして、こっそりと前方を覗き見る。

 するとそこには、人間の形をした真っ黒い影のようなものが立っていた。


「あの男……いえ、その影ですね。多分、あれは恐怖の感情が具現化したものです。影に見つかれば……ただではすまないでしょう。見つからないよう、気をつけて進んでください」


 そう話すエオスの表情も、恐怖の色がありありと窺える。……ひょっとすると、あの影に捕まると危険なのは、私だけでなくエオスも同じなのかもしれない。


「隠れながら進めばいいんだね?」

「ええ。私は姿を隠せますのでご心配なく。……頑張ってください」

「分かった。怖いけど……やってみる」


 いずれにせよ、進んでいくしかないのだ。

 どんな障害も、乗り越えていかなければならない。

 ……謎の男の影は、一体だけではないようだった。

 廊下は歪に折れ曲がっているのだが、見える範囲で三体は存在する。

 ただ、幸いなことに影たちの視界はとても狭いようで、すぐ横にある壁や物にぶつかったり、瓦礫に躓いたりするなど、前方の限られた距離しか見えていないように思われた。

 側面から回りこむようにしていけば、何とかなりそうだ。

 人型をしてはいるものの、影からは絶えず黒い粒子のようなものが飛散している。恐怖の感情の具現化とエオスは言ったが、なるほど見ているだけで胸がズキズキと痛むほど恐ろしかった。

 取り戻せない記憶の中で――きっとこの影のオリジナルに対して、私は恐怖を抱いていたのだ。

 そのことは、確信を以て言い切れた。

 それでも……拳をぎゅっと強く握って、私は行動を開始する。

 柱や観葉植物があるのは好都合だ。影が別方向を見ている瞬間を狙い、私は物陰から物陰に移動していく。

 足音でバレてしまうのが一番危なかったが……どうやら影たちは、聴覚もあまりよくないようだった。

 大きな観葉植物の後ろに隠れながら、黒き影をやり過ごす。そうしたら、次は奥に見える柱へ。その繰り返しで、長い廊下を必死に走り抜けていく。

 やがて、ジグザグな廊下の終わりが見えてきた。次の部屋への扉があったのだ。

 少し前にも影はいたけれど、ゆっくり円を描くように動いているので、それに合わせて移動すれば死角を突ける。


「ふう……」


 呼吸を整え、私は覚悟を決めて進む。

 影とかなり近い距離まで接近するが……真正面から見られない限りは、大丈夫だ。

 まるで影とダンスを踊るように、ぐるりと半周し。

 そしてそのまま軌道を逸れて、扉へとダッシュする。

 もしかしたら最後に見られていたかもしれないが――もう関係がない。

 私は勢いよく扉を開いて、そして背中で体重をかけて閉めたのだった。


「っはーあ……無事に通り抜けられたあ」

「ですね。ちょっとヒヤヒヤしましたが……」


 いつの間にか隣にエオスが現れていて、私の手をそっと握ってくれる。

 そのおかげで、私は少しだけ気持ちを落ち着かせることができた。


「……それにしても、あの影って人型だったけど……私はあの人型に、どんな恐怖を持ってたんだろ」

「それは……」


 エオスは口ごもってしまう。教えたい気持ちはあるのだろうが、やはりそれはルール違反なのだろう。

 けれど、エオス自身があの影を怖がっていることは、どうも引っ掛かってしまう――。

 そのとき、頭の中に突如として一つの情景が浮かび上がった。それは全く前触れもなく訪れたので、まるで自分が瞬間移動でもしたかのようにすら感じられた。

 浮かんだのは、落下の情景。踊り場――おそらくは学校だろう、そこから階下へ身を躍らせている少女。

 彼女の顔は見えなかったけれど……それは明らかに自らの意思によるものではなかった。他者からの、悪意ある一撃によるものに違いなかった。

 そして、場面はシャッターを切るようにして移り変わった。空中で静止していた少女は、物理法則に従って階下の床に倒れ伏しており、その額はぱっくりと割れて、どろりと血が溢れていた……。

 終わりの光景だ、と私は直感した。

 私が見た景色ではないけれど、これは……最後の場面なのだと、そんな風に思えたのだった。


「……どうしました?」


 エオスの声が、私を元の場所へと引き戻した。……景色が映っただけなのに、まるでそのシーンに立ち会ったような錯覚にすら囚われてしまった。

 流れる汗を拭いながら、私は掠れた声で答える。


「……ううん、何でもない」


 確信は持てないけれど、考えるのは後回しにしたかった。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート