黒木圭という男を、僕たちは結局最期まで理解し得なかった。
僕にもミオにも、彼は狂った男としか映らなかった。
彼には、幼少時に光井姉妹と接点があったらしい。
だがそのことが、姉妹に殺意を抱き続けるほどのことなのかと、彼の両親から話を聞かされても、まるで納得できなかった。
厳しくしつけられた結果か、強い男であろうとした幼年期の彼。
多くの仲間を従えた彼はある日、自分たちの縄張りで遊んでいたアキノちゃんとその友人を追い出したという。
そのすぐ後、話を聞いたヨウノちゃんが、彼に手痛い一撃を食らわせて、退散させたそうだった。
それ以降、彼と姉妹は顔を合わせたこともないという。
ヨウノちゃんとアキノちゃんにとってそれは、数ある嫌な思い出の一つにすぎなかっただろう。
或いは、そんなことを覚えてもいなかったかもしれない。
しかし黒木は、それがきっかけで仲間を失い、ただの孤独な暴力少年へと成り下がった。
僕やミオくんからすると、それは自業自得に過ぎない。
だが彼は、姉妹に強い殺意を抱くようになり、それは十年以上も消えることがなかったのだ――。
「……というわけでな。現状は警察からの連絡を待っている状況だ。恐らくは心不全、という結論にしかならないのだろうが……」
「……そうですか」
僕が無表情で頷くと、黒木夫妻は互いに顔を見合わせ、それからすまないね、と呟く。
「……あいつの告別式は、近く行う予定だ。来る気などはないだろうがね。あれでも……あいつは、私の息子には違いなかったからな」
彼らにとっての彼は家族、というのは構わない。
ただ、僕たちにとっての彼は単なる殺人者で、幸せを奪い去った極悪人でしかなかった。
「……帰ろうか、ミオくん」
「あ……は、はい」
僕が立ち上がると、ミオくんも慌ててそれに倣う。
「今日はお話を聞かせてもらってありがとうございます。……お気をつけて」
礼儀正しいミオくんだ。こんなときでも、彼らに対する配慮は忘れていない。
彼が正しく振舞ってくれるから、僕はこうして冷たい怒りをぶつけられるのだろう。
同じ境遇に立たされている彼に、損な役回りをさせているようで申し訳ないとは思うのだけれど。
やはり黒木圭のことを考えるほど、怒りは抑えが効かなくなっていくからどうにもならなかった。
玄関まで見送る、という申し出も断り、僕たちはさっさと黒木家から出ようとする。
リビングの扉を開き、廊下へと出ていく。
そうして扉をそっと閉めようとしたときだった。
――ガシャン。
陶器の割れる音が聞こえたのは。
「……黒木さん?」
ミオくんが、不審に思い名前を呼んだ。
その直後に、リビングの方から声が聞こえてきた。
いや、それは最早声ではない。
「嫌ああああぁああッ!」
腹の底から捻りだしたような、絶叫だった。
「黒木さんッ!?」
今度は問いかけるだけではなかった。
ミオくんは急いで扉を開け、中の様子を確かめようとした。
しかし――リビングの様子が僕たちの目に飛び込んできたとき。
そこは、ついさっきまでの光景とは一変していた。
「ひッ――」
リビングには、闖入者がいた。
そいつは一瞬で、空間を支配していた。
吸い込まれそうな黒の球体と、不気味に蠢く赤の触手。
鋭く伸びた無数の脚。
そいつは間違いなく、僕とヨウノが襲われたあの化け物だった。
「く――黒木さんッ!?」
黒木夫妻は――既に事切れていた。
椅子の背にもたれかかるように沈み、頭は有り得ない方向に曲がっている。
腹部には大きな穴が穿たれ、そこからは大量の血と、そして臓器や骨が露出していて……。
人知を超えた化け物が、そこにいる。
僕たちの力では到底及ばぬような、黒の化け物。
ひょっとしたら、こいつは――。
「ミオくん、逃げよう!」
恐怖に固まるミオくんの手を引き、僕は急いで廊下へ飛び出す。
あのときのように、動けないまま最悪の結末を迎えるのだけは絶対に嫌だ。
リビングの扉は閉めたので、少しの間は化け物に見られない。
今のうちにどこかへ逃げなければ。
身を隠すよりも、外へ出た方がいいだろう。
このまま突っ走って黒木家から脱出しよう――。
「な……?」
玄関扉に飛びつこうとしたところで。
前方の足元から黒い霧が噴き出した。
出口を塞いだその霧は、忽ち形状を変化させていき。
リビングにいたあの化け物の姿となったのだった。
「そんな……馬鹿な……」
退路を断たれた。
目の前に、黒き怪物。
腹を穿たれ、頭を圧し折られた黒木夫妻。
凄惨な末路。
「う……うぁ……」
あまりにも情けない声が漏れ出た。
涙すら浮かんでいたかもしれない。
赤い触手が狙いを定め。
僕たちを貫こうと、
ゆっくりと――
「食らえぇッ!」
高らかな声が響き渡った。
僕でもミオくんでもない、少女の声だった。
その声の後に、何か液体が振り撒かれるような音がして。
続いて、肉の爛れるような耳障りな音と、怪物の金属質な悲鳴とがこの場を満たしたのだった。
不気味に痙攣を始めた化け物が、ゆっくりと透明になっていく。
すると、怪物の向こう――玄関の方に、見慣れぬ人影があった。
華憐で……けれどもその目に力を宿す少女。
僕たちと同じ年頃の、綺麗な少女だった。
「……ふー。なんとか間に合ったみたいね」
「……その声、もしかして」
ミオくんが、信じられないというような声を漏らす。
だけど、その声はどこか嬉しそうだった。
「助けに来たよ……なんてね」
少女は、この緊張した場を一瞬で和ませるようなウインクを飛ばしてきた。
「は、ハルナちゃん……!」
「ふふ。感謝しなさいよ、ミオくん」
ミオくんがハルナちゃんと呼んだ少女は、僕たちにそう言うと、自慢げに胸を張るのだった。
…………
……
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