メイルゥはいま汽車に揺られている。
王宮から暇を出されたあの日、新しい生活を求めて街へとやって来たときのように。
エドガーからの手紙を受け取ったあと、メイルゥはすぐさま駅へと向かった。
夕日は徐々に、水平線の彼方へと吸い込まれていく。
汽車が走り出すと、あたりはやがて漆黒の世界に染まっていった。
いまはもう巨大な天球に、星々が瞬きはじめる時間である。
個室客車の車窓を流れる風景は、もはやすっかり闇に包まれていた。
「閣下、失礼します」
分かっていてもドキリとした。彼はいま病院のベッドで戦っている。
現れたのは中年の車掌であった。
何から何までフレッドとは違うので、逆に彼のことを強烈に思い出してしまう。
「切符を拝見しますよ……おお、つぎの駅でお降りですか。お忘れものにはご注意を」
「ありがとよ」
四十代の色香を乗せた声色が、中年車掌の笑顔を誘った。
走っている路線にもよりけりだが、汽車には精霊石が積載されているので、基本的にはルツの不足を感じない。
有り難いと思う反面、四六時中ルツに曝されている作業員たちのことを考えると複雑だった。
もはや人類は蒸気機関なしでは生きられない。
一刻も早く、精霊石に代わる代替燃料の開発が待たれるところだが、あらゆる利権が絡んでくるので、そうおいそれと進むものでもないのである。
急な坂道を転がりだした石ころが、自分では止まれないように。
ひともまた、頭では分かっていても解決出来ないことがある。
魔法に支配された千年を越えて、果たしてひとは本当に進歩しているのだろうか。
そう思わずにはいられないメイルゥであった――。
親愛なる大魔道士さまへ。
いつものゆるい入りからはじまるエドガーの手紙には、今回、メイルゥにとって特別な意味を持っていた。
いつものようにそのほとんどが、自作の自慢話や新作の構想に関する内容で埋め尽くされていたものの、ある一点において、メイルゥの興味を強烈に掻き立てたのである。
――竜の心臓というのを知っているかい?
そう。おとぎ話や伝説に登場するあの竜だよ。
竜の心臓はそれ自体が魔力を帯びていて、永遠に止まることがないと言われている。
いわゆる不老不死というヤツだね。
死なないという点では、きみもいい勝負だとは思うが、相手はなにせパイオニアだ。
ルツの濃度によって肉体の老化が左右されることもないだろうし。
おっと失礼。悪気はないんだ。
その竜の心臓を研究しているという男が、じつはいまこの国にいる。
ウソか真か、究極の人工心肺装置を生み出したとうそぶいているらしい。
何でも学会の異端児として、隣国からは追放されたそうだ。
それが流れ流れて、この国へと落ちのびたという話だよ。
探していただろう、人工心肺手術に関するエキスパートを。
どうかな、彼に会ってみては。
住所は――。
考えている余裕などなかった。
フレッドに残されている時間はもうあまりないのだから。
エドガーの手紙に記されたその謎の男の住所というのは、メイルゥの街から駅をふたつほど行ったところにある。
かつてサラが住んでいたところと同じで、放棄された新開発地区だった。
あたりには人気もなく、ヤクザものが潜んでいるようにも思えない。
ただ野良犬と、腹をすかせて動けなくなった浮浪者だけが目についた。
弱肉強食の世界。
動けない人間は、野良犬に劣る。
いずれにせよ、厳しい世界である。メイルゥはあえて見ないふりをした。
「ここか……」
独り言ちて手紙に記された住所を見直した。
目の前には、ドーム状の屋根をした変わった作りの建物があった。
所々に松明が焚かれ、闇夜に不気味に浮かび上がる。
なにかの植物のツタが建物全体を覆い、一見してその全容を悟らせまいとしているようだ。
メイルゥは意を決し、呼び鈴へと手を伸ばす。
ひもを引き、ゼンマイの力で巻き上げる際にベルを鳴らせるタイプだ。
ルツの変化によりまたしわくちゃになった手で、メイルゥが呼び鈴のひもをつかもうとした、そのときである。
バタン、と勢いよく建物のドアが開いた。
なかから出てきたのは、ランタンを手にしたひとりの老人だ。
額から頭頂部にかけて見事に禿げ上がり、左目には眼帯をしている。
背は低く、ガニ股で、見るからに得体の知れない、せむしの男だった。
「こんな時間になにか御用かな?」
せむしの男の隻眼が、手にしたランタンに浮かび上がる。
白く濁り、斜視気味で、一体どこを見ているのかも判別出来ない。
だがメイルゥには、見た目から伝わる印象など、さほど興味がなかった。
「……まるで待ち受けていたかのようだね」
「ふぇっふぇっふぇ。ご冗談を。野良犬がうるさいから、たまたま覗きに来ただけのこと」
「そうかい」
「まあ、立ち話もなんじゃ。なかへ入りなさい。外は物騒じゃて」
せむしの男に誘われるままに、メイルゥは建物のなかへと通された。
玄関からつながる廊下には照明などはなく、ずっと暗いなかをせむしの男が持つランタンの明かりのみを頼りとした。
しばらくして光の漏れているドアを見つけると、せむしの男はそのなかへと彼女を誘った。
「コーヒーでも淹れましょう。少々待ちなされ……」
そう言ってせむしの男はまた闇のなかへと消えていった。
メイルゥが案内された部屋は、これといって変わったところもない、ただの応接室である。
暖炉が焚かれ、天井からは大きな燭台が吊るされていた。
せむしの男が再び現れたのは、数分後。
淡いコーヒーの香りと共に、メイルゥのまえへと座った。
「あらためて聞こうかい。何用かな」
「あんたが人工心肺装置の権威だと、人づてに聞いてね」
「ふぇっふぇっ。権威と来たか。そりゃちょっと違うな」
「どういう意味だい」
せむしの男はコーヒーを一口すすると、隻眼を輝かせた。
「天才じゃよ。この世にわし以上の研究者はおらん」
「じゃあ、いま流行りの病のことも知っておいでだね」
「ルツの被曝のことじゃな。見たところ、この国のモンじゃろうに、よう知っとるの」
メイルゥもまた彼の淹れたコーヒーを一口。
妙に深煎りな味に、思わず眉間のシワが寄る。
エドガーの影響で自分も道楽をはじめてからというもの、なかなかコーヒーにはうるさい。
思わずソファーに立て掛けてあった杖を倒し、カタンと部屋中に音を響かせてしまった。
「すまないね。しかし、ちょいとローストし過ぎじゃないかい?」
「ふぇっふぇっふぇ。もうろくすると味が分からんようになるでな。ついつい濃くなっちまう」
「まあ、気持ちは分かるよ。で、どうなんだい。あんたの人工心肺で例の病は助かるのかい?」
いつものようにメイルゥの問い掛けには、なんのてらいもない。
聞きたいことを聞き、そうでなければ立ち去るだけ。
だがしかし、この老人はまたしても「ふぇっふぇっふぇ」と不気味な笑い声をあげる。
「わしは人工心肺の研究などしとらんよ」
「なんだって?」
「あんな不完全な機械は、とうに見限ったと言っておる」
「じゃ、じゃあ、あんたの竜の心臓ってのは――」
そのときメイルゥは自身の舌先がもつれはじめているのに気づいた。
目元がかすみ、うまくまえが見えない。
杖を探してさまう手だったが、掴みそこねてまた床に倒してしまった。
カターン、と。
乾いた音色がほの明るい部屋のなかでこだまする。
メイルゥは意識を保てず、ついにその場へと突っ伏した。
「ふぇっふぇっふぇ。魔女の検体が手に入るとはのぉ。この国に来て正解じゃった」
眠ってしまうメイルゥ。
最後に耳にした老人の言葉に、自分がワナに掛かったことを知った。
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