精霊物語り

剣と魔法の時代が終わり、近代化していく街を引退魔女がさすらうお話。
真野てん
真野てん

第14話 魔法の杖の威力

公開日時: 2020年9月29日(火) 00:26
文字数:4,420

 ハンソン一家のアジトは、メイルゥたちが人狼卿ルヴァンと出会った場所にもほど近い倉庫街にあった。

 そこには工業排水が垂れ流しになっている薄汚れた運河が横たわり、水辺には、ボート生活を余儀なくされている多くの流入民の姿であふれている。

 みな飢えを耐え忍ぶだけでも必死だ。

 吹きすさぶ生ぬるい風は、無力な彼らを川面に浮かぶ木の葉船のように弄ぶ。

 同盟締結や国外の移住者政策が落とした暗い影である。


 サムザは彼らを決して受け入れようとはしない。

 だが冷淡に見放せるほど薄情にもなれないのである。


 もしかするとその国民感情こそが、この長引く流入民対策にとって最大の障壁となっているのかもしれない。


「うひょひょひょひょ! かっ! たまんねえなぁ~」


 運河沿いの湿った空気に乗って、あの酔っ払ったような声が倉庫街にこだまする。

 石壁に木造の屋根をふいた古びた倉庫の一角からだった。


 ハンソンはサラをアジトへ連れてくると、メイルゥの与えたエプロンドレスを力任せにビリビリに引き裂いた。

 両腕は後ろ手に回されきつくロープで戒めを受けていて、抵抗しようとすると躊躇なく平手が飛んできた。

 サラの頬は、すでに腫れ上がって真っ赤だ。

 ビリビリに破れたエプロンドレスの隙間から、純白のドロワーズがのぞいている。


「ちょっと見ねえ間にメスっぽくなったじゃあねえか。まあ、おれにはそっちの趣味はさらさらねえがな」


 キッと鋭い視線を投げつけてくるサラに対して、ハンソンは「お~こわっ」と茶化して遊んでいる。

 丸いテーブルに脚を乗せ、葉巻を一服。

 そのゴツい両手には、成金趣味の指輪が卓上ランプの光を浴びて鈍く輝いていた。


 嫌味なほどオレンジに燃えるランプの炎。

 しかし、その炎色がわずかにではあるが赤々とした清浄なものに変わっていくのをサラは目撃する。ビリビリに破かれたエプロンドレスのすそから、倉庫の床の冷たさが這い上がってくるのを感じながら。


「その前歯が生え揃うころには、また別のシノギをやってもらうぜぇ」


 ハンソンはそう口にするといやらしい笑みを浮かべた。

 床に這いつくばるサラの小さな顎をつかんで、自分の顔のほうへと強引に向けさせる。


「世の中、おめえみたいなガキにしか反応しねえヘンタイがゴマンといやがる。いましか稼げねえところへ連れてってやるよぉ」


「このクソ野郎っ」


 サラは最後の勇気を振り絞って、ありったけのツバをハンソンの顔面へと飛ばした。

 粘性のある童女のツバが、ケダモノのような人買いの顔を蹂躙する。

 が、しかし。


「きゃああああっ!」


 無言であった。

 ただ無言で、ハンソンはサラを殴り飛ばした。

 平手ではなく拳で。

 壁の間際まで吹き飛ばされたサラの小さな身体が痛みのあまり痙攣を起こしている。

 目の辺りに大きな青あざとコブが徐々に形成されていった。


「飽きた。どっかしまっとけ」


「へい」


 ハンソンは拳を撫でながら、手下たちに顎で指示を出す。

 装いもまちまちな手下のゴロツキ数人が、サラを抱えて彼女をどこかへと連れ出そうとした、そのときである。


「お、おや、親方っ」


 倉庫の出入り口のほうから、引きつったような情けない声がした。

 それはメイルゥを襲った(襲われた)ハンソン一家の舎弟。そのうちのひとりである。顎が砕かれていないことから察するに、どうやら手下その二である。


「どしたい、そんなところで。ばあさん拉致らちって来いって言ったじぇねえか、あ?」


「あのっ……あのぅ……」


「あのぅじゃ分かんねえだろうがぁ。そういうとこだぜ、おまえに一家の盃やれねえのはよぉ」


 ヨタヨタとふらついた足取りで、ハンソンは手下その二へと近づいていく。

 一歩、また一歩と。

 まるで道化がおどけるようにして倉庫の出入り口へと向かっていった。


「だ、ダメだっ! お、親方、逃げてぇ――」


 残された雫一滴ほどの根性を振り絞った手下その二は、その言葉を最後に意識を絶った。

 後頭部をしたたか殴られたのだ。

 全身が弛緩し、失禁寸前の状態である。


 崩れ落ちる手下その二の身体を壁として、ハンソンの死角から現れた一本の杖。


「ば、ばあちゃん……」


 腫れ上がったサラの瞳に映ったもの。

 それは世にも恐ろしいハンソン一家の親方をなんの躊躇もなく、撲殺しようとしてる老婆の姿であった。

 渾身のスピードで振り抜いた杖の先端が、ハンソンの鼻っ柱にめり込む。

 その衝撃たるや、さきほど彼に殴られたサラの比ではなかった。


 倉庫内に散らばっていた小麦粉や塩の袋を、吹き飛ばされたハンソンの身体が舐めていった。

 勢いを殺されて床に突っ伏した彼は、もはやボロ雑巾のようである。


「お、親方! てめえ、このばばあ!」


 ゴロツキたちが一斉に懐から武器を抜いた。

 拳銃である。


 銃にお気をつけください――。

 それは人狼卿こと、剣聖アイザック・ルヴァンの言葉だ。


 銃がこの世に誕生したころ。

 時代はまだ魔法使いの全盛であった。

 銃といえば猟銃であり、生活の糧を得る手段としての純粋な道具であった。

 

 やがて火薬の性能があがり射程も伸びてくると、精密射撃のための研究がはじまる。

 王朝外ではすでに前装式(先込め銃)から実包を使用した銃が主流となり、火薬にも精霊石の粉末を混ぜた無煙火薬なるものが登場していた。


 構造の簡略化が進んで安価で品質のいい大量生産が可能になると、もう戦場に導入されるまでは時間の問題である。

 魔法使いは剣士ほどの勘の良さは持っていない。

 遠間から射殺すことは可能なはずだ――。

 こうして王朝外の国々は、長年苦渋を舐めさせられてきた魔法使いに対して有効な兵器をようやく手にしたのだ。

 堅牢な城壁に守られた千年のパワーバランスが崩れた瞬間である。

 ゆえにこれを王朝の崩落と呼んだ。


「やっちまえ!」


 ゴロツキどもが手にしているのは、いわゆる自動拳銃というやつだった。

 猟銃よりも小型で携帯性に優れ、かつ回転式リボルバーとも違うもの。

 メイルゥが目にするのは初めてだったが、知識として給弾の方法が自動化されて連射が出来るということだけは知っている。


 彼女は、ゴロツキどもに呼応するようにして、愛用の杖を床に放った。

 カランという乾いた音が、倉庫内に響き渡る。


「降参!」


 メイルゥは両手を挙げ、あっけらかんとして早々に負けを認めた。


「鉄砲相手じゃ勝ち目がないよ。降参する。でも年寄りの最後の願いに、その子を解放してもらっちゃくれないかね」


「ちょ、調子のいいこと言ってんじゃねえぞ!」


 それはいつぞやのルヴァンにやられたリーダー格の男だ。首筋の切り傷は完治したらしい。

 一方メイルゥはそれでもまだ柔和な態度を崩さずにいる。

 かえって腰砕けになっているのは、ボスを失って、どう対応していいか分からないゴロツキたちのほうだ。


「あんたらだって本当はこんなの間違ってるって思ってんだろ? 舎弟の子たちを見てたら分かるさ。根は純粋なんだね。まったく、ろくでもない上司を持っちまったばっかりに」


「う、うるせえ! あんな三下どもと一緒にするない!」


「どうだろうね、兄さん。この際、人買いなんざやめて、あたしんとこ来ないかえ?」


「は……はぁ?」


「この街で商売するには、その子とふたりだけじゃちょいと人手不足なのさ。どうだい?」


 ゴロツキたちはお互いの顔を見合わせて困惑している。

 それも当然だろう。

 ついさっきまで殺しかけていた人間から、勧誘を受けているのだ。

 それも存外、悪くない気もしていて――。


「そうさね。ひとりいまの倍は出そう」


「ば、倍……」


「ボーナスも出すよ」


「ぼ、ボーナス……」


 明らかに揺らぎはじめているゴロツキたちであったが、最後の一線を保っている。

 腐っても、一家への忠義はあるようだ。

 そこにきて、しばらく撃沈していたハンソンの親方の激が飛ぶ。


「ぼめええら、だにしでっだ! ぎゃ、ぎゃっじばべっ!」


 おめえら、なにしてんだ。やっちまえ――。

 ゴロツキたちが乗せられていたメイルゥの口車。

 それを脱線させるには十分すぎる言葉だった。

 だが本人はまだメイルゥにぶっ叩かれたダメージが残っており、指一本動かせない。


「こ、このクソババア!」


 リーダー格の男が拳銃をメイルゥに向けている。 

 あと一絞り、トリガーに掛けた指に力を込めれば弾丸が飛んでくる。


「ちっ。邪魔しやがって」


 メイルゥは口のなかだけでそう毒づくと、頭上に掲げている手でパチンと指を鳴らした。


「くたばりやがれぇ!」


 悪態を言い終わるかどうかというタイミング。

 パンっと乾いた破裂音が拳銃から発せられた。

 音を置き去りにして飛んでいく、鉛の弾丸。

 殺意をはらみ、空気を切り裂いて向かっていくのはただひとり、メイルゥのもとへ。

 

 しかし――。


 発射された弾丸は、メイルゥの眉間を貫くことなく手前で落下する。

 まるで見えない壁にでも遮られたように、空中でひしゃげて、その場へと落ちる。


「な、な、な――」


 なんだと、の一言が言えない。

 それほどの驚愕に一同が我を忘れて拳銃をとにかく撃ちまくった。

 一斉に飛来する弾丸たち。

 自動拳銃による連発がことごとくメイルゥのまえで失速――いや制止しているのだ。

 そして自らのエネルギーにより自壊し落下していく。

 その様はまるで、木の葉が舞う如し。


「もう終わりかい? じゃあ今度はこっちの番だね」


 そう口にしたメイルゥの手のひらには、赤々としたルツの光が宿った。

 やがてその光は、火炎の球体へと姿を変え、中央に向かってどんどん渦巻いていく。


「ひ、ひぃぃぃぃ」


 ゴロツキたちはその後、起こりうるだろう惨劇を予想して、蜘蛛の子を散らすみたいに逃げていった。


「逃がすか!」


 叫ぶメイルゥの手のひらから飛び立った火炎の球体は、徐々に大きさを増しながらゴロツキたちに降り注ぐ。


「あああああっ!」


「あ、熱いいいいいいいい!」


「た、たすけ――」


 口々に漏れる断末魔を聞きながら、メイルゥは腕組みをする。

 燃えるゴロツキたちの身体は徐々に、その正体をなくしていった――。


「ば、ばあちゃん……」


「なんだい」


「このひとたち、なにやってんの?」


「戦ってんのさ。あたしと」


「……さっきからずっと寝っ転がってるだけなのに?」


 それはこの場でサラとメイルゥだけが目の当たりにしていることだ。

 拳銃をあらぬ方向へと全弾撃ち尽くしたゴロツキどもが、殺虫剤をまかれた羽虫のように、床でのたうち回っている。

 その身体は一切燃えることなく、ただのひとりとして火傷のひとつも負ってはいない。

 ただ苦しそうである。

 ひたすらに悶絶を繰り返し、まるで悪夢でも見ているかのようなうなされ方だ。


「最初の杖の音。そしてこの――」


 メイルゥはもう一度、パチンと指を鳴らした。


「この音を合図にこいつらの心を乗っ取った」


「え――」


「サラ。これが魔法だよ。これが偽りで塗り固められた魔導王朝千年の正体さ」


 メイルゥはサラの戒めをといてやると、悲しそうな目でゴロツキたちを見た。

 彼らはまだ幻想のなかでメイルゥと戦っている。

 火球を投げつけられ、氷の刃で刺され、雷撃に打たれているのだ。


 その様子を遠巻きに眺め、メイルゥは愛用の杖をそっと拾い上げた。

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