メイルゥがブラックにおぶさり店へと戻ったころ、ちょうどパン屋の店主も「おやつ」を抱えて彼女に会いにきていた。
ルヴァン相手に散々はしゃぎ回った子供たちも、いまではぐっすりとお昼寝している。
一方、自慢の毛並みをボサボサにして疲れ切った人狼卿は、バーカウンターのなかでメイルゥの安楽椅子を揺らしていた。
頭からは湯気が出ている。
それからパン屋の店主が抱えてきたのは、なにも子供たちの「おやつ」だけではない。
彼が奥方に代わって配達にやって来るとき、それはメイルゥへと伝えたいことがあるときだ。
「翠巾党? それが流行ってる宗教のなまえかい」
四人分のコーヒーを淹れながら、メイルゥはパン屋の店主へとオウム返しに聞いた。
このところエドガーに影響されてはじめた道楽のひとつだ。
自家焙煎された浅いローストの豆がプンと香った。
「へい。魔導教とかいいやしてね。『魔王』を崇めて、いまの蒸気に頼り切った時代をくつがえそうって思想だそうで。精霊石に見立てた翠色の頭巾をかぶってあちこち布教してまさぁ」
「翠色の頭巾?」
「へい。それが翠巾党の由来だそうで」
一杯目は憔悴しているルヴァンに、そして二杯目はパン屋の店主へとコーヒーが回された。救国の英雄、直々のもてなしである。彼は恐縮して、コーヒーカップを推しいただく。
「なるほど。どうやら繋がってきたね」
自分が飲む分の三杯目。
さらに四杯目のコーヒーを携えて、彼女は図書室の真ん中に据えられた円卓へと所在を移す。
円卓にはダンテ・ブラックが無表情で座っていた。
そして卓上には、彼が質入れした二丁の拳銃と、それを質草にして手にした紙幣とがぞんざいに投げ出されている。
メイルゥは彼のまえに淹れたてのコーヒーを置くと、自らも円卓に着席した。
そしてどこからか取り出した火のついた紙巻きを、いつものようにくゆらせるのであった。
「話したいことがあるなら話しな。聞くだけ聞いてやる。言いたくなきゃそれでもいいが、この一件、おまいさんの知らないうちにあたしが片しちまうかもしれないよ」
するとブラック。
重い口を開いたと思いきや、ドスの利いた声で。
「……ばあさん……いや、ねえさん。あんたが噂の魔道士だったとはな……」
ブラックはいまなお鋭い眼光をもってメイルゥを見据えている。
だがその程度で、射竦められるような女傑ではないわけで。
「いまはただの金貸しババアさ。賞金稼ぎのあんたが商売道具手放してまで用意したかったのが商売女の身請け金とはね。あんとき話してくれりゃ、もっと都合してやったのに」
それを聞くと、ようやく警戒が解けたのか、目の前にある琥珀色の飲み物に口をつけた。
水面に同化する自分の姿を湯気の向こう側に捉え、ひとつ、またひとつとメイルゥに身のうえを語りはじめる。
「銃を手放したのは……あれがワナだというのは気づいていた。だが人質を無事救出するには言うことを聞くしかなかった。……それに……」
ブラックは一度言葉を切ると、愛用の二丁拳銃へと視線を落とす。
「おれはもう二度と銃を握らないつもりだった……」
「人質? 娼婦の身請けだとあの連中は言ってたろ?」
あの連中というのは、ブラックをワナにはめた翠巾をかぶったチンピラたちのことだ。
「……おれは翠巾党を追っていた。ヤツらの本拠地へと近づくため、あの廃墟で女をひとり買った。ヤツらは魔法を使って素人女をさらい、そのままシノギをやらせている」
「ほぅ。あの場所のヤツらが翠巾党だったのかい。世の中狭いもんだ」
あの場所――それはサラもいっとき拠点を置いていた新興住宅地の廃区画である。
そこは以前のサラのような浮浪児をはじめ、ゴロツキや娼婦らが、法の目を逃れて身を隠すには絶好の穴場であった。
「……おれは女を利用するつもりだった。だが……」
「情が移ったのかい」
緊迫とした会話が続くなか、メイルゥはブラックのひとの良さにふれ、表情が緩むのを抑えきれなかった。
しかしせっかく話す気になった彼の意志を削ぐわけにはいかない。
なので紙巻きを指で挟んだまま、口元を手のひらで覆い隠した。
「……彼女は夜の仕事から足を洗い、おれは銃を捨てる。どこか誰も知らない場所で、ふたり静かに暮らそう……そう約束して別れた……だが、それがヤツらに耳に入った」
「で、あとはお定まりの展開ってわけだ。パン屋の旦那、聞いてたね。この一件、ことによるともうすぐ解決するかもしれないよ。それからね、知り合いの亭主たちには、カミさんがどんな姿で帰ってきても決して腹を立ててはいけないと伝えておあげ」
「へ、へいっ。がってんです」
そしてパン屋の店主はメイルゥ商会をあとにした。
入れ替わるようにしてやってきたのは、例のハンソン一家の残党だった。
あのゴロツキのリーダー格をしていた男だ。
「姐さん。大筋は分かりやしたぜ」
ゴロツキはメイルゥに一枚の紙切れを渡すと、得意げに手にした情報を語ってみせた。まるで母親に褒められたがっている子供みたいだ。
「蒼天、すでに死す。翠天、まさに立つべし。なんだい、このビラは?」
「それは魔導教とやらの教えだそうで、蒼天、つまり精霊石を燃やしたときに出る煙のことで、いまの蒸気機関に依存した社会を指すそうです。翠天ってのは、本来の精霊石の色。つまり魔法使いの指導する社会を取り戻そうって意味らしいですぜ」
「また大仰な話だねぇ」
メイルゥは眉根を寄せてビラを眺めた。
「そいで翠色の頭巾をかぶった冴えない野郎が、駅前でそいつを配ってたんで、色々と締め上げたんでさ。どうやら姐さんがお探しの魔賊ってのは、翠巾党ってヤツらのようですよ」
「やっぱりそうかい。で、頭目の素性は分かってんのかい?」
「へい。なんとかいう落ちぶれた魔導貴族の小倅らしいんですがね。これが教義を利用して素人相手に金品を巻き上げたり、さらった女に春売らせてるって悪党でしてね。ヤサは押させてありやす。すぐにでも案内できますが、カチコミますか?」
メイルゥは黙ったままのブラックを正面に捉えた。
双眸はまだ鋭い眼光を放っている。
だが、その瞳の奥には憂いのようなものが微かににじんでいた。
「聞いたね、ブラック。あとはあんた次第だ。このまま銃を捨てる気かい」
水を打ったような静けさが、本棚の森を支配した。
香り高いコーヒーのアロマが、眠っていた闘争心に火をつける。
身体中から発散しているひりひりとしたブラックの「気」を、メイルゥはただただ満足げに浴びていた。
ブラックの長い手が卓上へと伸びる。
無言でつかんだ愛銃のうえ、彼の手と重なるように、メイルゥの拳が「どんっ」と乗った。
何事かと目線をあげるブラックを見下ろすと、メイルゥは口いっぱいに溜め込んだ紫煙を彼の顔へと吹きかける。
「覚悟はあんのかい」
「……覚悟?」
「銃は呪われている。あんたの言葉さ。いま手にすれば、この先、何度捨てても銃はおまえのもとへ戻ってくるだろう。終わりにするなら今日が最後のチャンスだ。その覚悟を聞いてんのさ」
刹那の逡巡。
メイルゥは出会って初めてブラックの笑みを見た。
分厚い唇の口角を少しだけあげ、眼光の鋭さはさらに増した。
「無論」
「気に入った。持ってきな」
メイルゥはブラックの手のうえに落としたおのれの拳をどけると、もう一束の紙幣を取り出して卓上へと投げる。「一度手放した金は引っ込められない」と釘を差したうえで、残りの札束と合わせてブラックに取っておけと言う。
「女と人生やり直すんなら、いくらあっても邪魔にはなりゃしないさ。ひとに貸し作るのが嫌なら、いまから行く『仕事』の代金とでも思っておきな。――ルヴァン!」
うろんな瞳でバーカウンターに顎を乗せ、器用にコーヒーをすすっていた人狼卿は、目下の主君とも言うべき人物からの呼び声に呼応する。
しかしいまだ抜けきらない育児疲れに、いつもの二枚目を気取る元気もない。
「ふぁい」
「ダレてんじゃないよ。暇してんだろ? ちょいと付き合いな」
ツカツカと小気味のいい音を立てて、メイルゥは店内を歩き回る。
ゴロツキのリーダーに指を差すと「手下に子供の世話が出来るヤツはいるかい」とたずねた。
「へ、へい」
「じゃあそいつをここに寄越して留守をさせな。それからおまいさんは、先行ってヤサを見張っておいで。――サラはいるかい?」
すると本棚のうえから顔を出した黒猫のサラが、一度大きく伸びをうって床へと着地した。
やる気なさげに後ろ脚で耳裏などかいてるが、メイルゥは構わず指示を出す。
「サラ。こいつに付いてって場所をあたしに伝えな。それからね、まわりの様子やルツの具合なんかも見てきておくれ」
「なぁん」
メイルゥ以外には猫の鳴き声にしか聞こえないが、おそらく「分かった」と言っている。
出入り口にあるスイングドアまで歩いてくると、彼女は振り向いて店内を見た。
そして「ぱんぱんっ」と手を叩いて、男たちを鼓舞する。
「なにしてんだい。ちゃっちゃと動く」
ゴロツキが慌てて店を飛び出すと、それに黒猫のサラも続いた。
ルヴァンはバーカウンターからのそりと動いて「ちょっと湯浴みを」と出ていった。
向かう先は当然、例の特殊浴場ではあるが、その後ろ姿に一抹の不安を覚えたメイルゥが、本当に風呂だけにしておけと釘を差したことは言うまでもない。
ブラックは――。
取り戻した愛銃をバラして、入念な手入れをはじめた。
とても懐かしそうに、どこか楽しそうに。
この表情こそ本当の彼なんだということが分かり、メイルゥはホッとした。
だから銃は呪われた。
銃を愛している彼だからこそ出た、魂の言葉である。
「さあ。出入りだ」
次第に暮れてゆく空を眺め、メイルゥはひとり楽しそうにつぶやいた――。
数時間後。
彼女らは街からもほど近い、未開の森のなかへと集結していた。
小高い丘のうえから見下ろしたところには人工的に切り開かれた土地があり、ちょっとしたベースキャンプ(軍事拠点)のようになっている。
ぶっ違いに打ち付けられた板の柵がぐるりと周囲を守り、小銃を持った歩哨が等間隔にゲートを監視している。もちろん彼らはの頭上には翠巾が巻かれており、遠目には個人の識別も難しく誰も彼もが無個性に見えた。
拠点のなかには、丸太で組まれた大小様々な建屋が数棟と、東西に見張り台がひとつずつ。
宗教施設というよりは、まさに砦といった雰囲気である。
「閣下。いかがなさいますか。我々、三人なら、ものの数分で制圧できますが」
丘のうえにはルヴァン、ブラック、そして十代前半の容姿にまで若返ったメイルゥの姿があった。三者三様に眼下の敵地を視察しているが、みな堂々たる立ち居振る舞いである。
一方、木陰に身を隠している場違いな男もひとり。
ハンソン一家のリーダー格をしていたゴロツキである。今回、翠巾党のアジトへと案内役を買って出たものの、実際の規模を目の当たりにして、腰が引けたのだ。
ルヴァンの言う「三人」のなかに、自分が頭数として入っていなかったことに、心底、胸を撫で下ろしている。
「攻め落とすのは簡単だよ。でも捕まってる女房たちを盾にされたんじゃ厄介だ」
「……おそらくは魔法を掛けられてどこかの建屋にひとまとめにされている」
分厚い唇に親指をつけ、物憂げに砦を見つめるブラック。
頭を低くしたしゃがんだ姿勢で、コートのすそを泥と戯れさせている。
その腰には愛用の二丁拳銃がズシリと提げられ、リロード(再装填)のためのローダーがいくつもベルトに固定されていた。
ローダーとは素早い装填を行うため、最初から六発ワンセットの実包をひとまとめにしておく道具である。ブラックはこれを改造し、ガンベルトにいくつも取り付けているのだ。
「そのどこかが分かったかもしれないよ」
メイルゥがそううそぶくと、ひとつの影が丘を駆け上がってきた。サラである。
黒猫は精霊石のペンダントを揺らしながら、主人のまえへと飛び出すと、身振り手振りを使っておのれの斥候の成果を披露した。
「にゃ! にゃにゃにゃにゃ! にゃ!」
「ふん。あの一番小さな丸太小屋だね? 狭いとこに押し込めやがって」
「わ、分かったんですか、いまので? 閣下、つねづね聞くまいとは思っていたのですが、この黒猫は一体どういう――」
ルヴァンはメイルゥの杖で、その口先をふさがれた。
そして彼女はウィンクをひとつ。
「乙女の秘密だよ」
「――失礼。私としたことが、紳士らしかなぬことを……」
「だったら仕事で返しな。女どもの救出はおまいさんに任せる。それからチンピラの兄ちゃん」
「へ、へ、へいっ」
リーダー格の男は呼ばれて、全身をこわばらせる。
指先まで凍ってしまったかのように、隣に植わっている木々に並んだ。
「あたしの名で、お上を呼んできな。これから十分で翠巾党を壊滅させる」
「な……じゅ、十分ですかい?」
「不思議がることないだろう。あんたの古巣はその半分だったじゃないか」
「いや、まあ、そうなんですけど、さすがに十分て――」
「このメイルゥに二言はない。行け!」
「へ、へいぃぃぃっ」
暗闇のなかをゴロツキが一匹、走り去ってゆく。
月は妖しく輝き、大地に三つの影を落とす。
杖と、刃と、銃口と。
虫の音も途絶えるほどの緊迫感を周囲に放ちながら、三人はゆっくりと丘を下った。
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