ハンソン一家を壊滅させた事件がまだ記憶に新しいというのに、今度は魔賊・翠巾党を相手にひと暴れしたと聞けば、街中はもう大騒ぎだった。
ただでさえ英雄視されているメイルゥの名声は右肩上がりに高まり、留まることを知らない。
本人にとってはどこ吹く風だが、今回ばかりは商売のいい宣伝になったとうそぶいた。
ふらりと街を歩けば、道行くひとに頭を下げられ、笑顔を向けられる。
子供たちの間では、棒っきれを持って彼女のマネをするのが流行っているらしい。
時折見つけては声を掛けるが、はにかみながら母親の後ろへと隠れてしまう子の多いこと。
「メイルゥさま、今度ウチの店にも寄ってくださいや!」
「閣下、いつでもお召し物のお仕立てに伺いますから、言ってください」
「なにかご不便なことはないですか、メイルゥさま?」
「魔導卿閣下」
「メイルゥさま!」
「おばあちゃま~」
返事をしてまわるのも一仕事なのだが、愛嬌振りまくのも宣伝のひとつ。
しかしここまでの企業努力をもってしても、なぜだか金貸し業は一向に流行らなかった。
「なぜだろうね」
メイルゥ商会のバーカウンターのなかで――。
安楽椅子に揺られながら、いつものように紙巻きをくゆらせているメイルゥがボヤく。
隣では人狼卿がグラスを拭いている。
不世出の剣聖は、いつの間にやら、すっかりバーテンダーが板についていた。
仕事帰りの娼婦などを相手に、そこそこの稼ぎがある。
「やっぱり国の英雄から金を借りるというのが、相当なハードルなんじゃないですか」
「どうして? こんなにもフランクにやってるのに」
「海の向こうにはこういう言葉あります。それはそれ、これはこれ、と」
「なにが海の向こうだよ。そんなのはウチの黒猫だって知ってらぁな。ねえサラ」
バーカウンターの隅のほう。
そこは黒猫のサラのお気に入りだった。日中はよく陽があたり、スイングドアを通して店の外が一望できる。
サラはそこで、店の蔵書に目を通すのが日課だった。
「にゃおん」
本といえば、ここにもうひとり読書に目覚めた人物がいる。
彼は店の一階に設けられた図書室のなかで、日がな一日、本を読んで過ごす。
ダンテ・ザ・ブラックナイト。
その道では右に並ぶものがいないほどの拳銃使いである。
であるが、いまはメイルゥ商会の用心棒に収まっていた。
賞金稼ぎとしても名が知られているが、いまは少し休業中の身だ。
「あとはアレですよ」
「なんだい?」
「これだけのメンバー揃っちゃうと、追い込みキツそうじゃないですか。自分で言うのもなんですけど、小国相手ならそこそこ戦えちゃいそうですから」
「下手すると、この店だけでサムザの防衛能力越えちまってるねぇ……」
「そんなとこからお金借りたいと思います?」
「返す言葉もありゃしない……」
なんてやり取りが交わされるほどには、メイルゥ商会の日常は平和だった。
そんなところに――。
「あ、姐さん! メイルゥの姐さんっ」
転がるような勢いで店に入ってきたのは、かのハンソン一家でチンピラのリーダー格をしていた男である。図体ばかりは大きいが、強きになびくタイプの日和見主義者として、メイルゥには認識されている。
「なんだい、なんだい。慌ただしいね。おまいさんみたいなチンピラが出入りするから、ウチの店は流行らないんだ」
言い掛かりにも程があるが、メイルゥは眉間にシワを寄せて男をにらみつけた。
「チンピラ、チンピラって……いい加減、名前で呼んでくださいや。これでもおれには暴れナイフのジョニーって二つ名が」
「二つ名? 自称だろ。なあルヴァン?」
「ナイフは暴れさせずに、きちんと制御してもらいたいもんですなぁ」
ふたりに掛かっては、暴れナイフのジョニーもコテンパンである。
がっくりと肩を落とし泣き崩れるが、「そ、そんなことよりっ」と本来の目的をすんでのところで思い出して、かぶりを振った。
「てぇへんなんですよ、姐さん!」
「だから何だよ。前置きはいいからとっととお言いよ」
「そ、そのまえに水を一杯……」
ほうほうの体でバーカウンターへとたどり着いたジョニーが水を要求すると、仕方ないな、といった風でルヴァンが水の入ったグラスを彼の鼻の先に置く。
うまそうに一気にグラスをあおったジョニーは、蒼白だった表情に若干の赤みを蘇らせて、猛然としゃべりはじめた。
「あ、姐さん。この店、お上に目をつけられてますぜ!」
「あん?」
「ここ数日、姐さんの店のことをしつこく嗅ぎ回ってるひとりの警官がいるって話です。パン屋の旦那がそう言ってやした」
「警官が? なんだろうね。店の届け出はきちんと申請したし税金も納めてる。土地の問題だって、ちゃんとした手続き踏んで、もう法的にも所有者と認められてんだよ?」
この界隈がハンソン一家の縄張りだったころ、土地の権利書などの譲渡による正式な売買などが成立していたわけではなく、ただ暴力で一方的に不法占拠されていただけなので、本当の所有者がメイルゥに対し、きちんとした手続きのうえで、この場所を譲っている。
金貸し業に関しても、まだコーヒー一杯分の利益すら出していないが(むしろ持ち出し金が多いのでメイルゥ本人は金銭的に損している)、法的になんら違反するものではない。
「一体、誰なんだい。その警官ってのは」
「いや、それがよく分からねえが、みんな口を揃えて目つきの悪い小男だと」
「目つきの悪い小男?」
ちょうどメイルゥがジョニーの情報をオウム返しに口にした、そのときだった。
店の出入り口になっているスイングドアが、「ぎぃ」と軋んだ音を鳴らして店内側へと押し開かれた。
誰ぞ、客でも来たのだろうかと、店内にいるものたち全員の視線がそちらへ集中した。
そこに居たのは、制服姿の警官だった。
腰に拳銃と警棒をぶら下げ、角のピンと立ったズボンを穿いている。
青白い、不健康そうな顔。
蛇のような鋭い瞳。
そして何よりも印象的だったのは、子供のような低い身長である。
目付きの悪い小男。
ついさっきジョニーの口から聞いた、店のことを調べて回っているという警官の特徴と一致している。
制服姿の男は、コツコツと革靴を鳴らしながら店内をねめ回すようにして歩いた。
「ここが噂のメイルゥ商会ですか。なるほど……じつに素晴らしい」
誰も聞いていないのに、制服姿の男は突如として語りはじめた。
そのわざとらしい語り口に、メイルゥは舞台の音楽劇でも見させられているようだと感じた。
「一階の奥が図書室になっている……聞いていた通りだ。それからあのシーリングファンも」
大袈裟な身振り手振りで天井を仰ぐと、彼は「ああ……」と恍惚とした表情を見せる。
そしてあらためてバーカウンターへ近づき、目深にかぶった帽子のつばに触れた。
「お初にお目にかかります、魔導卿。これなるはミゼット。ミゼット・フォン・カーティス。このあたりの巡視査察を任務としております」
「フォン・カーティス。貴族かい、見ない顔だね。本当にこのあたりのお巡りさんかい?」
「お疑いですか?」
「いや、そういうワケじゃないけどさ。で、あたしの店になんかようかい。金借りにきたってんなら大歓迎で都合するよ」
するとミゼットを名乗った警官は、口元を押さえて不気味に笑う。
ちょっと聞き間違えると「ぶほぶほ」と苦しそうな咳をしているようだった。
「金など……あなたも儲けを考えてこの商いをしているワケではないはずだ。私とて貴族。腐っても麗人貴人の誇りは失っていないつもりですよ」
「それは失礼したね。だったら余計に分からないね。ウチは何かの法に触れているかい?」
ミゼットは静かに首を横に振った。
何から何まで芝居がかったヤツだとメイルゥは思う。
ふとカウンター内で足元を見ると、すでにむき身となったステッキを構え、ルヴァンが鼻歌を口ずさんている。
図書室のほうでも腕組みに隠して、銃口をこちらへと向けているブラックがいた。
なにも心配はいらなかった。
だからメイルゥは身じろぎひとつしなくていい。
「いいえ、なにも。ただあなたが犯した罪はひとつ……」
警官の制服姿をした小男。
ミゼット・フォン・カーティスは、噛み締めた歯が口内を傷つけたのか、その青ざめた唇から真っ赤な血を流しながら叫んだ。
「魔導王朝千年の継承者であるハロルドさまを辱めたことだああああああっ!」
腰に帯びた拳銃を構えて、メイルゥに銃口を向けた。
あと一絞り、トリガーに力を掛ければ弾丸が発射される。
至近距離。
さすがに素人でも外さない距離である。
しかし――。
「はうっ?」
ミゼットが握っていた拳銃は、いずこからか発せられた別の銃弾に弾かれて、店の奥へと転がっていった。
さらに。
「ぎゃああああ!」
着ていた警官の制服を切り刻まれ、真っ裸に。
目深にかぶっていた帽子がはがされると、そこには翠色をした頭巾が巻かれていた。
「す、翠巾党っ!」
すっかり傍観者になっていた暴れナイフのジョニーが叫ぶ。
そしてミゼットはその小さな身体を大の字にして、気を失っていた。
「そんなこったろうと思ったよ。じょ、チンピラ。お上を呼んできな」
「いまジョニーって言いかけたじゃねえですか! 素直に呼んでくださいよ!」
「やかましい! ちゃっちゃと行くんだよ!」
チンピラことジョニーは、来たときと同じく威勢よく店から飛び出していった。
バーカウンターから出てきたメイルゥは、床で気を失っているミゼットの所持品を確かめた。
するとしっかり警官としての身分証を携帯していたのである。
目利きをはじめてそれほどのキャリアはないが、どう見ても偽物には見えなかった。
「つまりは公的な機関にも、魔賊の息が掛かってるってこったね……」
「魔法使いによる栄華よ、再び――ってヤツですか」
ルヴァンは呆れたように口にした。
直後。
店のスイングドアがまた開いた。
ギギギぃと不気味な軋りをあげて、店内側へと倒れ込む。
おもわず身構えたメイルゥとルヴァン。
そこに居たのは、背格好もミゼットに似た、制服姿の男だった。
まさか別人だった?
そんな考えが頭をよぎった瞬間である。
「ゆ、郵便です。なんですか、そんな怖い顔して。だ、誰か倒れてんすかっ?」
ホッと胸をなでおろしたふたり。
メイルゥは郵便配達員から、速達を受け取ると「エドガーかね?」と宛名も見ずに、その場で封筒を破った。
ただ便箋には、言葉少なにこう書かれている。
フレッド・ミナス氏、危篤。至急、参られたし――。
まだインクの乾きも不十分で、文字もところどころ滲んでいた。
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