二年生になっても成績は相変わらずで、試験結果を見せるたびに両親はため息を吐く。わからないからこの問題に手を付けなかった、そんな理由で叱られる。学校と塾とを行ったり来たりの日々に嫌気がさしていたが抜け出す方法もなく時間は過ぎていった。
「おはよう!」
朝、廊下で栞とすれ違った時に言われた。それにビクッと反応する。
「ああ、おはよう…」
「何か元気ないね? どうかした?」
心当たりはあるが栞に相談したくない。家庭の事情は俺の中で解決しないといけない。そう思う。
「最近いいことないからね…」
悪いことは思い浮かばなかったがいいことがないのは本当だ。だからそう言った。
栞は元気に、
「私は柳地に元気になってもらわないと嫌かな?」
「何でだよ?」
そう言って栞の方を向くと栞は何か言いたそうな顔である。
「何? 何で? 俺のことが栞と関係あるの?」
そう聞いても栞は黙ったままである。
「ねえ気になるよ。何か言わんか…」
「ムラサキカガミ!」
突然叫んだのでビックリした。しかもあの言葉だ。
「うっわ何だよ急に! また忘れるチャンス逃した!」
「どうせ忘れないでしょ? 柳地はさあ」
「だから忘れようとしてるんだろ! 会うたび言うのやめろよ!」
「いいじゃん別に。覚えたまま二十歳、迎えるとどうなるか知りたいのよ」
それは自分も同じだ。だが、呪いが本物なら…。
「俺より栞の方が誕生日早いじゃん。確か五月十三日だろ? 俺は十月二八日だし。俺がどうなるとか言う前に、栞がどうなるかわからんぞ?」
「私は、大丈夫じゃない?」
「何でそんなことわかるんだよ?」
「だって私には、忘れたくても忘れられないものなんてないもん」
普通の人はそうだ。柳地が違うだけだ。他の人に聞いても自分と同じように、覚えていることが多くてもそれを一瞬で思い出せることができる人はいなかった。みんなは忘れたいことは忘れられる。
「確かに栞には忘れたくないことなんてなさそうだな。俺にムラサキカガミって言うことを除けば」
「まあそんなこと言わないで。ところでさあ、歴史の教科書貸してくれない? 忘れてきちゃって」
「彰に借りれば? 確か今年、山尾花中に入学したんでしょ? 姉弟間で借りればいい」
「えー彰のクラスまで行くのめんどくさいし。いいじゃん柳地」
「もうしょうがないなあ」
柳地は自分のクラスに戻って歴史の教科書を机から出し、栞に渡した。
「五時間目に使うから、その時までに返してよ?」
「わかった。ありがとう」
栞にありがとうと言われた時、なんだか違和感を抱いた。
(いつも友達に言われるのと、何か違う。なんだろう?)
「あ、あと」
栞が言う。
「何?」
「ムラサキカガミ」
またそれが出た。でも柳地は怒る気にならなかった。
夏休みも終わってまた登校する。気付けばこの夏、柳地は栞のことをいつも考えていた。
(栞はどんな夏を過ごしたのだろう。どこに行って何をして自由研究は何をしたんだろう…)
そんなことばかり考えている。そして栞に早く会いたいとも思っていた。
「始業式の後は…数学か!」
今日は授業がないものだと思っていた。始業式で終わりじゃなかった。教科書がないのだ。
「どうした柳地ー?」
「ヤバいよ達也、数学あるなんて聞いてない!」
「そりゃあ、終業式の日に風邪で休んだのに知ってたら変だわな」
「何で教えてくれなかったんだよ!」
「他の人から聞いてると思った」
(そう思うなよ!)
「とにかく、借りに行かないと!」
一組の教室を出た。二組に行けば陽太がいる。陽太ならすぐに貸してくれるだろう。だが柳地は二組には行かず三組に行った。
「栞、いる?」
クラスの人に聞いて栞を呼んでもらう。
「柳地じゃん。どうかしたの?」
久しぶりに話すだけなのにどうしてこんなに緊張するんだろう。
「す、数学の教科書、ある? あ、あるなら貸して欲しいんだけど」
自分ではそう言ったつもりだがちゃんと伝わっただろうか? 緊張が、普通の会話を邪魔するのだ。
「いいよ。待ってて」
栞は自分の席に戻りカバンから教科書を取り出した。そしてそれを柳地に貸してくれた。
「助かったよ。終わったらすぐ返す。ありがとう」
そう言うと栞がいきなり目をそらした。
「? どうかしたかい?」
栞に聞くが、
「ううん。何でもない」
それしか言わなかったので深追いはしなかった。
数学の授業が終わると教科書を栞のところへ返しに行く。
「本当に助かったよ。ありがとう!」
そう言うとやっぱり栞は目をそらす。その理由がわからない。
でもやっぱり栞は言う。
「ムラサキカガミ!」
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