はぐれモンスターの孤児院
1
イズー・タカフは金持ちの人間家族のオンボロ物置小屋の二階で暮らすおとなしい魔物の女の子。
彼女は金持ちブライター家屋敷の一員ではないから、みすぼらしい格好をしている。
イズーは三歳のときに親とはぐれて、その後ここに住み込みで働いている。ここでは召使でいつも掃除や給仕をするのが彼女の仕事である。
それから、魔法が得意なので主人ブライターの知人たち相手に見世物のように魔法を披露したりもする。
しかし魔物は人に恐れられているから、称賛をうけるのはイズーではなく、イズーを保護したと自慢するブライター氏だ。
イズー自身はいつも孤独で、仕事仲間からも避けられ、友達といえば物置小屋に時々姿を見せるだけの鳥やアリくらいのものである。
ブライター氏の息子ブライタージュニアは甘やかされて育てられており、慈悲がなくいつもイズーをいびる。イズーがほうきではいて集めておいた庭の落ち葉を蹴って散り散りにさせたりイズーに石を投げたり目の前でつばを吐いたりプレゼントと言って虫をあつめた箱を渡したり。
それでもジュニアはブライターに愛されているけれど、イズーはだれからも愛されない。それにジュニアにやりかえせばこの屋敷から追い出されるのはわかっていた。
しかしイズーはある日そのドラ息子に魔法をつかってしまった。
なにがあったかというと、屋敷で飼っている美麗なメス猫にほれて迷い込んできたオス猫を追い返そうとジュニアがほうきを振り回していじめているのをイズーは庭の広場で見つけた。イズーをいじめても、イズーは泣きもしないし悲しみも見せないから、ジュニアは新しい標的を見つけたわけである。楽しそうにほうきで弱ったオス猫をたたきまくるジュニア。「まったく飽きずにお前はここに来るから楽しいよ。そうだ、今度毒エサをつくってみようかな。それでこいつに食わせりゃいい」
愉快そうに言うジュニアにとうとうイズーは今までためていた怒りや鬱憤が限界をこえてしまった。
イズーがジュニアをにらむと魔法の力でジュニアの体をうかし、突き飛ばしてしまう。ジュニアはまっさかさまに噴水のなかに落ちる。
その無様な姿に正直イズーの心はいくらか晴れた。
けれども罰をうけることになる。ジュニアにおかしなことをしたうたがいで、ブライター夫妻により屋敷の真っ暗な地下にイズーは閉じ込められた。
それから何日か経ちイズーは悲しみに暮れていた。物置小屋にもどりたいと思った。あるいは、自由になりたいと。
けれどイズーには外の世界がわからない。自分が外で生きていけるのかどうかも。不安とあきらめのなか、ある日一階の床のフタになっている地上への扉がひらかれた。
さしこむ光。そこから地下に入ってきたのは、ブライターではなく見知らぬ怪人だった。
全身包帯だらけのミイラ男である。時折包帯のすきまからひどい生傷も見える。
イズーはおどろきつつとまどった。さらにそのミイラ男は「さあ外に出るぞ」と意味不明なことを言う。
イズーは仕事以外ではしゃべることを許可されていない。そのためしゃべらなかった。
ミイラ男のあとにつづいてハシゴで一階にあがると、ブライター夫妻がテーブルについていた。
ブライター夫妻とミイラ男はなにかもめていた。話をきいていると、孤児院の職員で、イズーを外へ連れ出そうと言うのだ。
公的な書類もありそれを見せつけるミイラ男。前から通告していたが主人は無視していたようだ。
ブライター夫妻はイズーに冷たいくせに反対していた。ブライター夫人も、魔物の女の子をさらっていかがわしいことするつもりなんでしょうと怒る。
「なら施設を見に行かせるだけでもいいでしょう。ここに施設のパンフレットがある。イズー、俺はここへ仕事できた。魔物が飼われているという情報を耳にしてね。そして、ひどいあつかいを受けているようだ。その資料にのっている施設にはおおくのはぐれ魔物があつまっている。よかったら一度でも見に来ないか。見てみてもしいやだったら、またここにもどってもいいんだ」
ミイラ男は言う。イズーはかたいカバーのついた数ページの雑誌を手渡され読んだ。そこには魔物の子供たちや魔物の職員が遊戯などをしている写真がのこっている。イズーは文字の読み書きを教わっていないので、施設の児童が描いたと思われる絵がまず目についた。それがイズーには今までにないよろこばしい感情をもたせた。
自分もここにいけば読み書きやお絵描きができるのかもしれない、と。それは期待や希望という感情である。
「行きたい」と言いたかったがまだブライター氏の目が怖く勝手にはしゃべれなかった。イズーはパンフレットをゆびさして、ミイラ男に向かってうなずいてみせる。
ミイラ男は満足そうにしていたが、ブライター氏は声をあらげた。
「この恩知らずが。だれが道端で飢え死にしかけてたのをたすけてやったとおもってる」
イズーに向かって言う。
「仕事も無能なくせしておいてやったというのに。できることといえば時々私の友人たちに魔法を披露するだけじゃないか」
ブライターはイズーに詰め寄る。しかしその前にミイラ男がたちふさがる。
「ならもういちどたすけてやりゃあいいじゃないですか」とミイラ男は告げる。
「ちっ」
ブライターはふだんイズーにつめたいわりには、爪をかんでくやしそうにしていた。
そのわけを、ちょうどわずかに開いた部屋のドアのすきまからのぞくジュニアがぽろりとこぼす。
「パパ、魔物にやさしい市議会議員って売り込みで今度の選挙当選するはずだったのにね」
夫妻はジュニアをじっと見る。なにか言いたげな視線を送っていた。それをジュニアはさっする。
「ぼ、僕なにかまずいこと言った? 大丈夫だよこんなやついなくてもパパならもっとえらくなるに決まってる」
「それもそうね。かしこいわジュニアちゃん」
ブライター夫人は手招きしてソファーに座る自分の横にジュニアも座らせ、やさしく抱いて髪にキスしてみせる。
イズーはそれをすこしうらやましそうに見つめていた。
ブライターはこりずに「ふふん。よしそうだこうしよう。立派な魔法学校にいれてやったということにしよう。我ながらいいアイデアだ」などと言う。
「行こうイズー。こんなゴミだめにいたらお前も腐るぞ」
ミイラ男は自分のカバンを持って、部屋を出ていこうとする。さりぎわ、ブライター氏に彼は告げる。
「おい。こいつを利用するのもたいがいにしておくんだな。お前ら虐待の罪でしょっぴくことだってできる。けど一度こいつを助けたのはたしかなようだから今までのことはそれで免じてやる」
イズーはブライターのもとから去ることにすこしおびえながらも、屋敷の門の前の馬車に乗りこんだ。
「猫を守るためにあのドラ息子をつきとばしたんだって? やるじゃないか」
ミイラ男は笑う。しかしイズーはなにも言わない。
ミイラ男はイズーがしゃべれるのかしゃべれないのか何度か確認をした。どうやらしゃべることはできるが、おかしな知恵をつけないようにとブライターが勉強や許可なしでの会話を禁じていたようだった。
もうそんな言いつけを守る必要はない、施設では自由だとミイラ男はおしえる。それでも、まだイズーはすぐにはしゃべることにためらいがあった。
イズーの腹が鳴ったので、いったん馬車をとめて市場で降りた。
新鮮な優しや果物、おいしそうな食べ物にイズーは目移りする。屋敷ではパンとジュニアが残した野菜しか食べさせてもらえなかった。ときどきコックが同情からあまりもので作ったスープだけが唯一の食事のたのしみだった。
「なんか食いたいのあったら指さして教えてくれれば買ってやるよ。あそこのおにぎりとかどうだ?」
ミイラ男が説明する。そこに、通りがかっただけのおばさんが声をかける。
「ちょっとあんたひとさらいじゃないだろうね?」
ミイラ男の不気味な姿とイズーのみすぼらしい格好をみて不審におもったようだ。
「ちがいますよ。ちゃんとした職員です。ほら。首飾り」
ミイラ男はふところからチェーンのついた丸い銀細工を見せる。模様がこしらえており、これは国家公認の職員であることをあらわす。
「なんだ、てっきり女の子をつれまわしてる変態かと。こりゃ失礼したね。あんた、保護されたのかい。よかったねえ。ってよくみたらその子顔にウロコが……それに目もヘビみたい……まさか魔物!? ひっ。不吉だわ。しっし。はやくどっかおいき」
おそらくやさしさで声をかけてくれたのであろうおばさんの目が、イズーの正体に気づくなり突然に嫌悪感をおびたものになっていた。
「魔物……嫌われてるんだ。やっぱり」
イズーがつぶやく。
「なんだ、ずいぶんしっかりしゃべれるじゃないか」
イズーはとまどいつつもうなずく。よく独り言を言っているからそのクセが出てしまった。
「屋敷では召使っていうのをしてたから、すこしは。ミイラ先生も私と同じ、人とはちがう魔物なの?」
「へ? ミイラ先生? ははは、こんな見た目してるからか? 俺にもいちおうハルヤって名前がある。まあそのうちわかるよ。魔物と人のちがいも。世の中のことも」
「これから私のいく、魔物の孤児院ってところなら?」
「うんそうだよ。特殊生物保育学校『イナカハイム』で」
2
魔物の孤児院イナカハイムは、広大な敷地のなかに学校と宿泊施設がある。
それまでの広くきれいな屋敷にくらべればなんてことのない平凡な建物だが、よい意味でイズーにとってここは別世界だった。
まずイズーと同じように魔物の子供だらけだから、奇異の目をむけられたりしない。だれもいじめたり怖がったりもしてこない。保母さんたちはそれまでの出会った人間とまるでちがいとてもやさしい。
さいしょはむしろ居心地のあまりのよさにイズーはとまどった。それまでドブ川に住んでいたのが、急にきれいなプールにほうりこまれたようなものだった。
だがだんだんと孤児院でのさわがしい日々をたのしみはじめた。
ここでは毎日あまかったりしょっぱかったりのお菓子が出てくるし、ご飯もおいしい。
誕生日をいわったりもした。その日はケーキ屋豪華な食事が出る。
なぜかイズーのときだけ魔法がつかえるという祈祷師がまねかれて、無病息災をねがってお祈りの儀式をした。
魔物の仲間たちには屋敷でのように気づかいをしなくていい。イズーはここでの時間をすばらしく感じ生まれてはじめて生きていることに感謝した。まったく時間がかからずこの場所が好きになった。
なにより、ここでは本が読める。読み書きを授業でおそわったイズーはのめりこむように図書室にかよい本や図鑑をよみあさった。
そこで家族というものの存在を知った。たしかに思い返せばブライター家には家族というものがあり、自分にはない。イズーはそう気づく。自分の家族はどこにいるのだろう、と不思議だった。
ミイラ先生にききたかったがイズーのクラスの担当じゃないらしく彼はいつもイズーのそばにはいなかった。今後イズーのことはツルギユウリという人間の女の先生がみてくれるのだと彼は言う。
ほかの保母さんたちにも会ったが、まだイズーは心をひらいてはいない。ミイラ先生いわくツルギ先生は「俺のしるかぎりもっとも優しい人らしい」らしい。
しかしイズーからすると彼女がすこし怖い。
いつもだれかしらほかの生徒たちをしかっているし、イズーにたいしても本を読むばかりじゃなくもっとほかの生徒と関われといつもうるさいのだ。
イズーはたしかにここにきてからだれともしゃべってない。実は今まで命令にしたがってばかりだったので会話のしかたがわからないのだ。
それをミイラ先生に告げると本で知識をつけるのもいいけどまずは慣れてみたほうがいいとツルギ先生とおなじような期待外れのことを言われる。
でも怖い。むかしブライター家で口答えしようものならムチでたたかれたり地下牢にいれられたからだ。助けてくれたミイラ先生ともうひとり心やさしいブロッコ先生以外とはしゃべれない。
ミイラ先生にもイズーは話し相手になってほしいけれどミイラ先生いわく、「俺は男だから女の子の世話はあまりしないことになってる。お前は魔物でも、世の中にはそれに興奮するようなやつもいる。それにここにいる生徒同士のトラブルはふせがなきゃいけない。異性がらみでも、いたずらでもなんでも……」
「ミイラ先生はそんな人じゃない」イズーは言う。
「ありがとう。でも、俺がそうじゃなくても世の中には危険な悪人がたくさんひそんでるからさ。ブライター一家なんてまだかわいいってくらいの悪人が、お前も気をつけろよ」
言ったそばから、トラブルが起きる。
そう魔物の孤児院ではつねになにかしらの問題が起きるのだ。なにせ魔物の子供たちが集まっているのだから。
そのなかでもとりわけトラブルメーカーなのは、今日はそこらじゅうに落書きしてるネシャという少年である。
バカだなぁとまわりは笑っているが、本人は職員にしかられても勝ち誇ったような態度でいる。ミイラはそれをしかったり監視する役目でいそがしいようだった。
「わるい子なの?」とイズーはツルギにたずねたことがある。「そうじゃない。世の中いろんなやつがいる。イズーみたいにほかの生徒と話せない子もいれば、ネシャみたいにわんぱく小僧もいる。ふつうじゃないけど、ある意味ふつう。そんなとこだな」
ツルギはそういう言い方をしていたけれど、ネシャがああいう行動をする理由は本で知識をつけた今のイズーにはわかる。彼はさみしいだけなんだと。自分をみせつけたくて目立とうとする。親がいない心のすきまをうめようとして。
ある日遊び場でほかの生徒たちが遊具やおにごっこなどであそぶなか、イズーが建物のすみっこで物語の本を読んでいるとそのネシャがからんできた。
「お前いつもひとりだな」とか「なんかしゃべれねえの」とからかうような態度でいる。
「ぷっ。しゃべれないんだお前。まあしゃべれない魔物もいるけどさ」
それにムッとなり、イズーは言い返す。
「なぜいつもいたずらをするの。先生たちのしごとがふえるでしょ」
「いや、ばーか。きまってんだろ。俺のげーじゅつでもっとこの施設をあかるくさせようとしてるわけ!」
「窓ガラスをわるのもげーじゅつなの」
「いや、ばーか。俺が割ったのは授業やる教室の窓だけだろー? あそこはいきがつまるから風通しをよくしてやったんだ」
「夏はありかもしれないけど、冬はさむいよ」
「お前、くらいやつ」
げんなりとした顔でネシャは言う。
「お前親は?」とネシャがイズーにきいた。
「わからない」
「ここにいるってことは、いないか、……」ネシャはそこで言葉をとめる。
「なに?」
「いや、なんでもねえ。俺の両親はさあ魔物の内戦で立派にたたかって死んだんだ……」
そこに「おーいネシャどこいった!? パンが盗まれてたんだけどお前じゃねえよなあ?」とミイラ先生の彼を探す声がひびく。
「やべっ。またこんどはなそうぜー! おまえさみしそーだからな」
「……君のほうこそ」
ぼそりときこえないくらいの声でイズーは言う。
すこしおくれて、意外と話そうとすれば生徒とも話せるのだと自分でおどろいた。
3
いつもなにかとうるさいツルギより、さいきん新しく入ったブロッコ先生のほうがなにかとやさしい。手のかかるネシャすら甘やかしていつもかわいがっている。
イズーの話し相手にもなってくれる。そんなこんなでイズーにとっては心地のいい日々がながれていたが、あいかわらずイズーはほかの生徒とはしゃべらない。一方的に話しかけられることはあるがうなずいてみせたりするだけだ。すでにしゃべれないものだとほとんどの子供には思われていた。
この施設にきてからというもの毎日が幸福にみちていたが、イズーにはただひとつだけ気になっている点があった。
イナカハイムの生徒は敷地内で自由にあそぶだけでなく、たまに敷地の外へ職員とともにでかける『遠足』というイベントがある。
みんな外に遠足にいったりするのに、イズーだけ施設の外にいくのを許してもらえないのである。
つまりひとり校長とともに施設にのこるのだ。しずかに本が読めてよかったものの、とても強く疑問はのこった。
なぜ? なぜほかの魔物の子どもは施設の外に出ていいのに自分は出られないの?
それを問いただしてみたりもした。ミイラもツルギも答えない。
(私の家族は?)
それも、ふたりとも教えてくれない。「出せない」「言えない」「そういう生徒もいる」とばかり。
ある遠足の日毎度おなじくイズーが施設にのこっている。たまたま校長が来客対応をしていて、ブロッコ先生も施設に残っていた。
このやさしい先生ならたのみこめば教えてくれるかもしれないと、イズーはかしこく考えた。もうここに来てから一年ちかく経とうとしており、知恵がついてきている。
「どうしてもしりたいの?」
困った笑顔で、あんのじょうブロッコ先生は秘密をうちあけてくれた。
「だって私だけ出られないなんて、変でしょ。なにか病気があるわけじゃない」
イズーの言葉におかしいところはなくブロッコは悩んでいたがやがて口をひらく。
「それを教える前には、あることを知らなくちゃいけない。なぜあなただけ施設の外に出せないのか」
彼女はまわりにだれもいないことを確認したあと、声をおさえて言う。
「大昔に人間と魔物の戦争があったのはしってる? もう何百年も何千年も前よ」
「うん本で読んだよ」
「人間のほうはもう魔物をそんなに敵視してないの。でもね、魔物のなかにはとても長寿といって、ふつうの人間の寿命が百歳なのに何千歳と生きる魔物もいるの。つまりそのなかには人間を何千年もうらんでる者もいる。そのなかでむかしもっとも恐れられ暴力と破壊のかぎりをつくした恐怖の覇王がいるの。その名は……ワリック・タカフ」
「……タカフ」
「ええ。あなたのお父さんの兄にあたる人よ。つまりあなたのおじさんね」
さすがのイズーもこれにはショックをかくしきれなかった。言葉を受け止めようとすればするほどめまいがしてできなかった。
「その人はね。人間との平和協定に最後まで反対していて、人間のみならず、人間と仲のいい魔物もおおぜい殺したの。あなたのお父さんとお母さんもそう。人と仲良くしようとしたために、ワリックに殺されてしまった」
「そんな……」
「これは秘密だからね。なぜ先生がたがだまっていたのかこれでわかったでしょう。あまりにショッキングで、あなたほどのおさない子にはまだ受け止めきれないからなのよ。だけど私にはわかる。あなたはかしこい子。それに勇気もある。ほうってはおけなかった……」
そこにツルギが来る。それ以上の話はできそうになかった。
ツルギはふたりがなにを話していたのかまでは気づいていないようだった。しかしイズーが遠足からほかの生徒がもどってくるまでさみしい思いをしたかもしれないと、いちはやくもどりそばにいてやろうとした。
「なにはなしてたの?」
イズーを食堂へつれていく途中、ツルギはたずねる。
「え? ああ、外の世界がどんなものなのか教えてもらってたの。ツルギ先生はなにも教えてくれないから」
「それはさあ言えないんだって。お前、最初に会ったときよりずいぶんかしこくなったな」
すこしやっかいそうにツルギは言っていた。かしこくなった、という褒め言葉がなぜかやけにイズーの心には暗くのしかかった。自分でもわからなかったが魔物の軍勢をひきいたという親族の存在を感じさせるからである。
4
それからしばらくイズーは今までにましてふさぎこんでいた。ただ前からはた目にはものしずかな生徒だったからまわりは気づいていなかった。
その状態をしっているのは、秘密を話したブロッコ先生だけだった。
それをおもんばかってか、先生方には秘密でブロッコが外に連れ出してあげると提案してくれる。それでいくらか気持ちがうわむくかもしれない、と。
イズーもそうだといいなと期待して遠足の日にこっそりとブロッコとふたりで敷地の外へ出た。
敷地をかこむ森のむこうには人の里がみえた。どこまでも家や建物がひろがっている。
自分も外の世界へ行けるのか、と心をにわかにはずませるイズー。ほかの生徒の話をこっそり立ち聞きした情報では、みんなでお弁当を食べたり、好きなお菓子をお店で買ったりするそうだ。それが本物ではなくても自分も体験できるのだとうれしかった。
ところがブロッコが案内したさきは敷地の裏にある見知らぬ洞窟だった。
「あなたはいないほうがみんな幸せになれる」
うしろからそんな声がした。イズーがふりむくと、いつもやさしく微笑んでいるブロッコが、その微笑を浮かべたまま包丁をイズーにつきおろそうとしていた。
「や、やめて!」
おびえてイズーはうしろずさりながら言う。
するとブロッコはぴたりと一瞬うごきを止めた。
「ここに来たときは魔物のことをどうとも思っていなかったのにねぇ……今はいざ自分の手にかけるとなると、まよってしまうわ。それでも……」
ブロッコはためらうようなそぶりを見せつつも、包丁を手にイズーをおいつめる。
イズーはすこしばかり逃げたもののすぐに行き止まりに当たった。この洞窟は戦死者をまつるお地蔵様をまつっているほこらで、洞窟ではなかった。
もうだめだとあきらめたとき、ネシャとツルギがなぜかこの場にかけつけてきた。
どうやらイズーの味方らしく二人はブロッコを止めようとふたりのあいだに割り込む。
「ブロッコ先生……その手の包丁でなにをしようとしていたんです」
声をふるわせてツルギが問う。
ブロッコは悪びれず、かといってひらきなおりもせず、決意のある表情になる。
「私は反魔物の過激派のスパイなんです。魔物の孤児院をつぶすために悪事の証拠をにぎってやろうと。でもここにいるうちに考えが変わった。いい子たちばかりで人間とそこまで差はない。どうにも手の負えない子もたまにいるけど、自分から野生に帰りたがるならそれもいい。問題はイズーですよ。イズーは覇王ワリックの親戚というだけで、世間にばれたらこの施設じたいの存続があやうくなる。
ワリックは死んだということにされてるけど過激派はそうは思ってない。ほかの過激派にこのことがもれたら彼らがここに攻め込んでくる可能性もある。しかもイズー自身もたぶん人間をうらんでて、第二のワリックになる可能性がある。人間と魔物の平和のためにはイズーはしぬべきだ」
ブロッコはかつて魔物の子供を集める施設など危険すぎると考えスパイとしてイナカハイムに入った。そこでこの施設の意義を知りつぶそうという気はなくなっていたものの、同時期に入ってきたイズーにたいしてだけは危険視せざるを得なかった。
しかし施設内では職員どころかそれ自体が武器になりえる魔物たちの目がある。ブロッコはイズーとふたりになるためにここへ連れてきたのだった。
「スパイだったなんて……」
ネシャは裏切られたことに怒り、どこからともなくハリセンボンのような針の球を魔法で出し手にかまえる。
「暴力はだめだ。なにも解決しないし、それに……」
ツルギが針の玉をブロッコに飛ばそうとするネシャを手で制す。
「施設の外で『魔物が』魔法をつかったら大問題になる、ですよね」
冷たい目でブロッコは自ら説明する。
「ブロッコ先生、いやブロッコ……まったくお前もこの仕事にかかわった身なら余計な仕事を増やすなよ……。あのナイフは、アダマンタイトとオリハルコンがつかわれていて対魔物に特化されてる。お前らはかすっただけでたぶん死ぬ。私が彼女をおさえるから、そのすきにお前たちは逃げろ」
ツルギはそう言って身をていして二人をかばおうとした。
ネシャとイズーは当然とまどったが、ツルギがこういうときに冗談を言うような人じゃないのはわかっていた。彼女がブロッコに突撃したすきにその横を通り抜けようとする。
しかしブロッコはまったく取り乱さず、
「ツルギ先生。ごめんなさい。私はむやみに魔物の子の巣に潜入したわけじゃないんです。こういう状況も――」
想定した、といわんばかりにツルギのえりをつかみ、柔道わざののように足をかけてツルギを地面にたおした。
ブロッコはツルギにはまったく意に介さず、その目をイズーだけに向ける。
ネシャが魔法をつかってイズーを守ろうとしたが間に合わず、ブロッコの持つ奇妙な刻印の入ったナイフがイズーの胸につきたてられた。
イズーは刺されたと思い目を閉じたが痛みがなかった。
なんと刃は刺さらず固い壁がそこにあるかのようにそれ以上どんなにブロッコがりきんでもナイフが進まない。イズーはなにかに守られていた。
ナイフは先から粉々になり、ブロッコも腕の骨がバキバキと音を立てて折れ、ゴムのようにしなった。
錯乱しながらうごけなくなっているブロッコをツルギとネシャがおさえる。イズーはミイラ男がかけつけたのを見て、安心して気絶してしまっていた。
イズーが目を覚ますと、いつのまにかイナカハイムの保健室にいた。
ツルギが看病してくれていたようでイズーのベッドのすぐ隣の椅子にすわっていた。
「具合はへいきか?」とツルギがいつになく不安にきいてくる。
「うん。先生、たすけにきてくれてありがとう……。でも、どうして私の場所がわかったの」
「前に、イズーが敷地の外に出たら職員にわかるよう魔法をかけてある。腕輪が光るんだ」
ツルギが腕の飾りを見せてくれる。そういえばツルギが来た時腕輪が光ってたな、と思い出す。ブロッコ先生は外していたのだろうかと思い、そこで彼女のことを考える。
「ブロッコ先生は……」
「ブロッコは、捕まったよ。あいつの言ってたこと気になるだろうけど、今は気にしなくていい。お前はここの生徒なんだから」
おだやかに微笑むツルギ。しかしまだイズーにはふにおちないことがある。
「どうして私は助かったんだろう」
「ああ、それはね……イズーにはもうひとつ秘密があったからだよ。私もブロッコも勘違いしていたんだ」
ツルギはおだやかに語りかける。
「さっき校長からきいた。お前のお母さんは……人なんだ。種族のかきねを越えてご両親は愛し合っていた。イズーのなかの人としての魔法が、魔物だけを切り裂くナイフの力をはねかえしたんだ……ま、いわゆる愛の力、ってやつなのかな」
照れくさそうにおかしなことをいうツルギに、イズーはふっと笑い出す。ツルギも笑っていた。
「イズーの名前の意味は……架け橋。お前のなかにもご両親の愛とおなじものがながれているはずだ。お前はブロッコや、覇王のようにはならないと、私たちは信じてるよ」
ツルギはまっすぐな瞳を向けてくる。イズーはほほえんでうなずいた。
「うん、ならないよ。なぜって、私には父さんと母さんが残してくれた愛があるから。名前っていう……ほんのちょっとしかのこってない愛だけど」
「たとえほんのすこしでも、いずれたくさんの愛がお前のなかにめばえて、そしてほかの者たちの愛も守っていけるさ。私たちがお前にかんじてるように、な」
ツルギは笑ってイズーの頭をなでた。
「実は職員のあいだでもお前を外にだすべきかどうか意見がわかれてたんだ。ミイラ先生は大丈夫だと言っていたけど私は反対だった。お前は……ブライター一家のところでタダ働きさせられていたそうだな。それで人間をうらんでいるかもしれないとおもっていた。そこでもし外に出て、イズーのことが世間にひろまったらお前自身が世間にどう思われるか。それをうけてあなたがどう感じるか考えたら、出せなかったんだ。私だけが強く反対してしまっていたんだ。ごめんね」
「大丈夫だよ。心配いらない。だって私はイズーだから。ワリックじゃない。ブロッコでもない。ここにいる……お父さんとお母さんを遠くでおもってる、イナカハイムが大好きな、私だよ」
ふたりはしずかにうなずきあう。
「それもそうね」ほかのだれかの声がとびこんできた。
校長である。ぼさぼさの髪をしている。悪い人間ではないが、立場が高いというだけでイズーはすこし彼女に今まで苦手意識があった。そういったものがトラウマになるような環境にいたから。
「特別扱いはやめましょう。ここの生徒はみな私の家族。ワリックの家族じゃない。あなたも、あなたも」
校長が言う。イズーはすこしきょとんとなっていた。
「あなたも次から外に出られるということですよイズー。どのみちまだまだこの施設じたいが世間から冷たい目で見られているのです。それがちょっとどうこうなったからって痛くもかゆくもありません」
イズーはとまどいながらも、目をいっそうかがやかせて、同じようにしているツルギとよろこびをわかちあった。
そうして、イナカハイムのみんなで外へ行くことができた。
人の町は人がいっぱいいた。魔物の子たちはとても目立っているようだったが、いままでのイズーはちがっていた。
通りすがる町のおじさんおばさんたちに「こんにちは!」と自分から声をかける。「はいこんにちは」とやさしい声がかえってくる。
それにイズーはそれまでよりほかの生徒たちとも打ち解けられるようになっていた。
前からしたかった遠足や、お菓子の買い物体験もできた。
丘の上の公園にて、みんなでお弁当を食べて遊具などであそぶ。やっていることは施設にいるときとあまりかわらないが、はじめてくる場所をたのしむことで、いつもよりどこまでが世界がひろがっているのをかんじた。
「やっと遠足にこれて、すごくうれしい。でも、出たら出たで施設のあったかいお風呂が恋しいや」
イズーは笑って、施設の仲間たちに言う。仲間たちも同じ意見だった。
「帰ろう」
イズーが言って、
「うん!」
とほかの子供たちも賛成する。
それからイナカハイムも彼女も、なにごともない平和な日々をすごしたという。
めでたしめでたし
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