真贋乙女―ユリとコウヨウ

刀剣乙女の目は誤魔化せない
霜月セイ
霜月セイ

太刀・雷切⑤

公開日時: 2020年11月25日(水) 23:08
文字数:5,112

茶房かーふぇーで鑑定などした時には流石に出禁を食らいそう――また古刀ならばその時の室内の温度や湿度などが鉄に影響を与えかねない事もあり、場所は『紅月鑑定屋』へ移させてもらった。

まず作業机の上に彼女から預かった太刀を横に置く。作業机は仕切長台机かうんたーになっており、通常私は品物を置いた状態で客が正面に座るように設計しているため、必然的に五鈴が私の正面に座る。

 紫色の布を取ると、質素だが美しい装飾の拵えが目に映った。

 柄がわずかに反っており、鞘と合わせて緩やかな曲線を持つ。

 ――十六葉……となると、菊花紋か。

 鞘の色は赤の強い紫であり、その上をなぞるように菊花の文様が描かれている。裏と表、交互に施され、上品さが漂う。

「うわー、綺麗なもんですね」

 後方に控えていたモミジが感嘆の声を漏らした。

「ええ、拵えだけでこれだけの芸当。かなりの腕前ね」

「そうなんですか?」

「ええ。よく見なさい。この拵えに描かれた菊花は、蒔絵に変化を持たせたもの」

 モミジの問いに答えるが、さらなる疑問が浮かんだのか、モミジはキョトンとした顔で問うた。

「お姉様、菊花っていうと……稲葉家ですか?」

「ええ。拵え全体に描かれた文様は、稲葉家の象徴である十六葉の菊花」

 刀剣は、武士の魂とはよく言ったもので――家によっては象徴である。それゆえ家紋を拵えに施す事は多い。代表的なのは徳川家の葵紋などだ。その分贋作も多いが。

 ――しかし、真贋はともかくとして、この芸はかなりの腕前だ。

「総長は、一〇七と一……」

私は一度太刀を作業机の上に置くと、両手を合わせて深く頭を下げた。

 刀剣の鑑定時に必ず一礼をする、という一種の儀礼みたいなものだ。これは作った人と鑑定を許可してくれた持ち主に対して礼儀を示すためだ。

 そして、頭を上げた後、一瞬で鞘から刀剣を抜くと――、鋒が鈍い光を放った。

「……っ」

ぶわ、と肌を衝撃が掠った。全身に鳥肌が立った。

刀身を流れる刃文と鉄の層。私に自分を訴えるような「威圧」に、思わず息を呑む。

何度も空気に触れて冷たい光を放つ太刀を右手で自分の目の位置まで上げる。

――すごい。

今まで、古い刀や業物を鑑定した事はあった。

だけど、ここまで抜いた瞬間に魅了される代物は、初めてだ。

「さあ、教えて。お前の、本当を……”真実”を、曝け出しなさい」


 刀に語りかけながら、私は着物の袖口から釘抜くぎぬきを取り出す。

「あの、それは?」

 目釘抜を見るのは初めてなのか、五鈴は私の持つ目釘抜を指差す。

「これは私の商売道具の一つ、目釘抜。刀身が柄から抜けないようにする要の釘、と言えばいいかな? この柄の表面の穴となかご……刀身の柄に埋まる部分。この二つが抜けないようにするためにある穴を目釘穴と言い、それを抜くための道具を目釘抜と言う」

 目釘といっても金属の釘ではなく、通常は乾燥した竹を使用する。そのため折れたら一大事であり、鑑定する時に一番気を使う場所でもある。

 特に、私の目釘抜は真鍮製。木製のものもあるが、あえて私はこれを好んで使っている。

 大きさは一二・五せんち弱。見た目は小さな槌のような形状のため、目釘抜槌と呼ぶ奴もいる。

「これで目釘を抜けば……」

 目釘を抜いた瞬間、波動に近い衝撃が、私の身体を駆け抜けた。

 私はすぐに刀紙で刀剣の部分を覆うと、柄から茎を取り出す。

「やはり無銘か……」

 これは完全に刀工の趣味のため文句を言っても仕方ないが、通常刀工は製造時の年号や刀の名前――刀銘を刻む。

それがそのまま刀の名前となり、無銘――つまり何もない場合はその刀は無銘の刀として登録される。

「お姉様。無銘でも、誰が鍛えたかは分かるんですよね?」

「当然よ。そのために、私達はいるの。名刀でも無銘は多く、名前を刻むか刻まないかは完全に鍛えた奴の趣味。無銘だから分からない、無銘だから無価値なんて、あり得ないわ」

 

 しかし、この刀――かなり古いな。

 

目釘抜もかなり固く、一度も鑑定しなかった事が分かる。これほどの古刀なら『浪漫財』の可能性も高い。普通なら一度くらいは鑑定に出すものだが。

――侍との約束のため、刀の名前も価値も知らずとも、護り抜いてきたのか?

 ――それにしても、武家って話だったけど、これは……。

 おそらく貴族用だ。見事な拵えは戦場で人を斬る事よりも雅さで人の目をより奪うかを視野に入れている。そして、この刀身。緩やかな曲線は、時間による傷みはあるが、人を斬った痕跡が一切ない。刀はみんなが思っている以上に繊細で、一人二人斬っただけで、刃こぼれや人の血や脂による傷みで使い物にならなくなる物も多く、必ずその痕跡が残る。だが、これは抜刀の跡すらごく僅かなものであり、鞘から出されたのも幾年ぶりか。

 

 ――それも含めて……”この子”に聞くしかない。

 

「では、まず〝反り〟は……”腰反り“ね」

 

平安から鎌倉にかけての太刀に多い反りだ。これで、また一つ情報が増えた。

 物は語らぬ、と言う奴もいるが、私からすれば、言葉で本心を偽る人間よりも物の方がよっぽど饒舌に見える。

 造りや反り――。一つ一つの情報が、唯一の答えへと導く。

 いつの時代の、何処の場所で、誰によって誰の手に渡ったか。その全てを訴えてくる。

 

「〝造り〟は、〝しのぎ造り〟。それから、〝刃文〟は〝直刃すぐは〟か」 


 ――成程、やはりそうか。

 私は解体した刀剣を元に戻す。

「お姉様、分かったんですか?」

「ええ、十分よ。この子は、確かに私の質問に答えてくれた」

「それじゃあ……」

「いいえ、モミジ。語るべき所は、ここではないわ。最高の舞台で、真実を突きつけてやりましょう。そう、刀も言っているわ。名を明かすには、相応しい場所がある、って」

 そこまで言うと、私は一度羽織を脱ぐ。

 そして、右手で太刀と羽織をひとまとめにすると、それを肩に担ぐ。

「あ、あの……」

 勝手に太刀を担いだ事が問題だったのか、慌てた様子で五鈴が私に駆け寄る。

「行くわよ、モミジ、五鈴。この子と、もう一つの名前を教えてあげるわ」

 そこで、私は一度脱いだ羽織の裏地を取り出し、表裏を逆転させる。

紺地に「鑑定」の文字。認定鑑定士のみが持つ事を許される、鑑定士の証明でもある羽織。これぞ絶妙な時機たいみんぐ。普段は臙脂色の布地に、「浪漫」の文字が刻まれた、大変美しい羽織を使っているが、これは表裏仕様りばーしぶるであり、表は「鑑定」、裏は「浪漫」の文字が刻まれている。そして、私が「鑑定」の二文字をさらす時は、鑑定を開始する合図でもある。

「素敵すぎます、お姉様。最高に輝いています」

「当然よ。普段隠しているからこそ、見せ場はより輝くの。魅せる時は魅せる。隠す時は隠す」

私は「鑑定」の文字を翻しながら、扉を両手で開き――

 

「ほら、鑑定士様の〝いきざま〟とくと魅よ」

 

 

「これは、これは鑑定士殿!」

 私が太刀を肩に担ぎながら展示場へ戻ると、私達が戻ってくる事が分かっていたのか、入り口には軽く人集りが出来ていた。

見ただけで高級な素材を使っている事の分かる洋風衣装を身に纏った、小柄な中年男。彼がここの主催者――菅野か。

菅野は屈強な肉体を持った黒服の男を左右に従えながら、私の前まで移動する。私の方が背丈が高いせいで見下ろす形になってしまった。少しだけ気分が良いのは秘密だ。

「いかにも。東京市担当の認定鑑定士が一人、金崎町の紅月姫百合」

「お待ちしておりました。おい、安部。鑑定士殿を依頼品までお通ししろ」

「はい……」

 と、ばつの悪そうな顔で安部が前に出た。

「ふっ、それじゃあ、ご案内お願いしますね……秘書どの?」

 私が分かりやすい挑発をすると、彼は読んで字のごとく、地団駄を踏んだ。本当にやる人、初めて見た。

 先程一悶着あった警備員にいたっては、親の仇を見る顔で私達を睨み付ける。美しくない。

「それにしても、鑑定士どのは、特殊な趣味の持ち主のようだ」

 展示室へ進む私の背と、その後をついて歩くモミジと五鈴に向かって、安部が言った。明らかに、周りに聞こえるような声で。

「かの有名な鑑定士様が、そんな下級の娘を連れて歩くとは。生まれも育ちも悪そうな女など、何をしでかすか分からん。自分には、恥ずかしくて、連れ歩くなど……とても、とても」

 分かりやすい挑発だ。

ちらり、と周囲を伺うと招待客と思わしき令嬢や、菅野を中心とした華族やその従者達は、歓迎しているとは程遠い視線で、私達をとり囲んでいた。

 ――この視線を、知っている。

 

 呼吸をする事すら許さないような――。

 心臓の動きすら注視するような――。

 

 悪意に満ちた、この視線を、私は知っている。

 

 ――落ち着け。ここで取り乱すな。

 呼吸が乱れる。思考が揺れる。意識が遠のく。

 ――ここで、私がしっかりしないと。何故なら、私は……

 

『まったくもって、美しくないな』

 

 ふいに、脳裏に声がよぎった。懐かしく、温かくて――。

 

『成長のねえお子様だ。いつまで、檻の中にいるつもりだ? お前はもう日の下にいるんだ。いい加減に、目を醒ませ。なあ? そうだろ……』

 

『二代目鑑定士・姫百合』

 

「……っ」

 刹那――、覚醒したように酸素が全身に行き届いた。

 脳が、肺が、心臓が、正常に動く。一瞬の乱れもない。

「お姉様……」

 ふいに、心配そうな顔でモミジが私の裾を引っ張った。

 ――妹分にこんな顔をさせてしまうなんて、私もまだまだだな。

 私は一度モミジに微笑んでから、悪意の視線の中心にいる安部に大股で――しかしゆっくりと進む。そして――

「美しくないわね」

 言い放つと共に、私は鉄扇の先を安部の眼前に突きつける。

「そこに控える娘は、この認定鑑定士・紅月姫百合の助手。そして、その隣の娘は、今回の私のもう一人の依頼人。私の助手と客人への侮辱は、私への侮辱……ひいては認定鑑定士への侮辱だ」

 そこで、私は鉄扇を開き、安部の顎をすくい上げる。

「ひっ」

 冷たい鉄の温度に、安部が小さな悲鳴を漏らす。

 

「お前こそ、己が立場を弁えよ!」

 

「……っ」

 安部が黙ったところで、私は鉄扇子を戻し、背を向ける。その時、羽織の「鑑定」の文字を彼らに突きつけ――。

「くっ……」

 安部がすぐに何か言い返そうとするが、それを寸前で吞み込み、あからさまな態度で視線を逸らした。

「申し訳ございません、鑑定士殿。私の秘書がとんだご無礼を」

 頭すら下げなかったが、柔和な笑みで菅野が言った。

一応主人の謝罪という事で今回は許してやろう。

「いえ、こちらこそ不躾でしたね」

 ひとまず話はまとまり、我らに対する嘲笑の視線は消えた。

「そうそう、<太刀・雷切>の鑑定依頼との事だったけど……少し興味深い話を聞きましてね。この娘、五鈴の家に伝わる家宝の太刀もまた<太刀・雷切>との事でして……」

「それは……また身の程知らずにも程がありますな」

「んにゃ!?」

 菅野の言葉にモミジが声を上げた。

「よもやそんな薄汚い娘の言葉を信じるのですか? 何も持たぬ平民風情が、『浪漫財』を所持? 妄想もそこまでいきますと、哀れですね」

 予想通りの反応だな。しかし、いつまで笑っていられるか。

「私が所有している<太刀・雷切>は我が菅野家が総力を上げて探し出した大変貴重な古刀です。当然、鑑定士殿もどちらを信じるかなど……」

「どちらを信じるか? そんなの……刀剣に決まっているでしょ」

 私はそこで一度言葉を切ると、ずっと肩に担いでいた五鈴の太刀を前に突き出す。急に刃物を突きつけたせいで、後ろに控えていた男達が拳銃を取り出した。

「貴様……!」

 控えの男が銃口をこちらに向けながら叫んだ。

「お下がりなさい!」

 銃口の先に、モミジが両手を広げて立った。胸元が、思いっきり揺れた。

「お姉様は、認定鑑定士。鑑定するためにここに来ました。鑑定の邪魔はさせません」

「そういう事。分かったら、銃を下ろして」

 私が先に進めようとすると、菅野が胡散臭い笑顔を浮かべて問う。

「ほう? 鑑定士殿は、何を仰りたいのですかな」

 分かっているくせに聞くな、と心の中で毒を吐きながら私は告げる。

「二振りの太刀を同時に鑑定する。それで白黒つけましょう」

「何を偉そうに……!」

 私の言葉が気に入らなかったのか、控えの男が拳銃を握る手に力を込めた。

「偉そう? 何度も言わせないで。私は、認定鑑定士が一人、紅の鑑定士!」

 見せつけるように羽織を翻すと、華族達が息を呑んだ。何故か若い娘達からは黄色い悲鳴が飛び交ったが。

 挑発的な言葉に意外にものってきた男は、この場で引き金を引きそうな勢いだった。それに勘づいた菅野は「下がれ」と一言で男を諫める。

「確かに鑑定士殿の言う通り、ちょうど良いかもしれん。また変ないちゃもんをつけられたら敵わん。そこの小娘の太刀も一緒に鑑定してもらおうじゃないか。どっちが本物か、嘘つきか、白黒つけようじゃないか!」

「交渉成立ね。では、鑑定を始めましょうか」

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