「あ、あのー」
その時、おそるおそるモミジが小さく手を挙げながら言った。
「そろそろ、刀の説明を……」
モミジの言葉は華族ら全員の意見を代表しており、全員が先を促すように頷いた。
「あ……っ」
少々白熱してしまった。
モミジに指摘され、改めて初音は語る。
「近藤さんの刀は、三つある。その三つの真贋はともかく、それが近藤さんの刀である事は、真実」
「その話なら、私も聞いた事があるわ。近藤さんの刀は、三つの逸話が存在する。そして、逸話によって入手方法が異なる」
入手方法が枝分かれする時は、たまにあるが、近藤さんの場合はそれぞれの逸話が独立している。普通なら、入手方法が異なっても、逸話じたいは一つだ。簡単にいえば、親から継承したものだろうと、自分で購入したものだろうと、始まりは違えど、その後辿る歴史は変わらないという事だ。
――だけど、近藤さんの刀だけは、三つの説がそれぞれ一つの物語として生きている。
そのせいで、鑑定業界でも、意見が幾つも分かれている。
「近藤さんの刀は、逸話によって鑑定結果が変わってくる。まず、一つ目の刀屋から自分で購入した説だけど……」
当時、近藤さんから虎徹の注文が入ったが、人気の虎徹を刀屋は用意出来なかった。そして、刀屋は一つの策に出た。
それが――贋作。
「刀屋は、とある刀工に近藤さんの刀を依頼した」
「お姉様、それが虎徹さんですの?」
「いいえ。刀屋は、虎徹は用意出来なかった。だから、その代わりになる物を、わざわざ作らせた。そう、贋作を」
雷切の時と同じだ。あらかじめ、誤魔化すために偽物を作らせた。
「依頼した刀工は、細田平治郎直光。直光は、腕の良い刀工だった。だけど、名刀の偽名を切って売り出す、悪癖のある刀工だった」
刀工にして、偽名の職人でもあったわけだ。
腕は良いのに、勿体ない職人だ。
「ああ、その話なら僕も聞いた事がある」
監督という立場からずっと黙っていたスバルが、口を挟んだ。
「当時、刀屋の依頼で、直光は『長曾袮虎徹興里』の銘を切った。そして、刀屋はそれを虎徹と偽り、近藤勇に渡した。特に、直光は、虎徹の押形をわざわざ保存していたらしいからな」
押形。つまり、茎の銘を写し取った書を自ら作成していたわけだ。証拠をわざわざ残す所から、直光の悪癖がうかがえる。
「たしか、当時人気だった源清麿だったんじゃないかという説が有力だったな」
「ええ」
現物がないから、何の刀だったかまでは、はっきりと分からないが。
「分かっている事は、刀屋から入手した説では、偽銘を使った贋作である事は確かって事くらい」
――その正体までは、はっきり分からないけど。
何度も言うが、刀剣はとても繊細だ。
一人二人切れば、駄目になってしまうくらい、とても弱くてもろくて、人間が守ってあげないといけない存在。
「だけど、近藤さんの刀は池田屋事件を中心に、何人も斬り伏せても、折れなかった。それだけ頑丈で、確かな切れ味を秘めていた」
近藤さんの刀が、虎徹の真作だという説も、確かにある。
その理由が、当時の彼の活躍によるものだ。
当時、刀の切れ味は死体を切って計る。その中で、虎徹の刀は二人分の死体を重ねて切った時に死体を乗せる台まで叩切ったとされる、頑丈な刀だ。
そして、近藤さんの腕についてこられた刀の切れ味は確かなもので、虎徹の真作でしか出来ないとも言われた。
「これが、一応、三つの逸話の中でもっとも有力な説よ」
刀屋から入手した場合、贋作が有力だが、真作でないとも言い切れない。そんなはっきりしない物だ。ただ、その切れ味だけは保証される。そして――
「次に、斎藤一から貰い受けた説だけど、こっちも贋作の説が有力。斎藤さんが夜道で買った無銘の刀を近藤さんに渡した。それが虎徹だと言われているけど、虎徹は銘を変えてはいたけど、無銘はなかった」
名刀の中にも、無銘のものも多く存在する。
正宗とかが、それだ。正宗は名刀でありながら、無銘の物が多い。むしろ、在銘がほとんどない。
有名な所だと、九鬼正宗や日向正宗も、無銘と聞く。
「虎徹で、無銘はあり得ない。だから、斎藤さんから貰った説の刀は、確実に贋作と言える」
そこで私は抜き身の刀剣を見る。
懐紙で刀身部分を覆って持ち上げ、周りに見えるように銘の部分を晒す。
「この銘、焼き潰されて分かりにくいけど、おそらく最初から無銘。それを最初から何か描かれていたように細工したものじゃないかしら」
私が初音を見ると、私の意図を察したのか、こくり、と小さく頷いた。
「そう、それは長曾袮虎徹の贋作。そして……」
初音は、続ける。
「近藤さんの真作」
「僕の家で、代々受け継がれている、近藤さんの刀にまつわる逸話……」
*
「百合姉がいつも言っている通り、刀は、みんなが思っているほど強くない。とても、繊細。血や脂で刃が穢れ、簡単に衰える。僕も、鍛冶職人。そこは、ちゃんと分かっている」
初音は、鍛冶職人といっても、鍛えるよりも修繕が多い。
実際、私も初音に依頼する時は、大抵、鉄扇の修繕やモミジの銃弾の仕入れだ。
ただ初音も鍛冶といっても刀鍛冶だけでなく、全種類系なため、一から作品を依頼される事はない。餅は餅屋、刀なら刀鍛冶へ依頼した方が良作に巡り会えるだろう。
――斎藤一が老後の趣味で始めたらしいから、たぶん初音のいう鍛冶は修繕や、加工の事を指す。
だからこそ、色んな武器に触れてきた初音ならば見える事もある。私のように、資料と現物を比較して答えを出す鑑定士とはまた違った答えが――。
「だから、ずっと、不思議に思っていた。近藤勇は、池田屋で、何人も斬った。一晩に、何人も、何人も……」
「”今宵の虎徹は血に飢えている”、だったかしら」
近藤勇の逸話を語る時に、必ず聞く常套句。
池田屋事件で、勇敢に戦い、その近藤勇の腕についてきた長曾袮の虎徹の切れ味を語るに相応しい。物語上の新撰組で、よく使われる言葉だ。
「池田屋事件では、二十数名の尊攘派志士に対し、新撰組は、近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の四名の少数精鋭で、残りは屋外を固めていた」
そして、沖田総司は病に、藤堂平助は額の負傷により、戦線離脱。
実質、主力となったのは近藤勇と永倉新八だったと聞く。
「途中で土方さんの部隊が合流して、戦況は新撰組側が有利となり、最終的には9名討ち取り、4名を捕縛した」
正確にいうと、土方さんの部隊が到着した事で方針を切り捨てから捕縛に変えた。
中には逃亡した者もいたが、追っ手に切り捨てられたり、追いつかれた事で自刃したり、で二十名を捕縛した。
――たしか、池田屋事件の流れは、これで合っていた筈。
まあ、資料を読み解いた場合に限るが。
「そう……だから、近藤さんの逸話は、おかしい」
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