「お姉様」
その時、モミジが傍によってきた。
「もう、お姉様のお話、難しすぎですわ。お蔭で、モミジ、なかなかお話に入れずに、黙っているしかなかったじゃないですの。妻なのに」
「妻じゃねえ」
「だけど、最高に格好良かったですわ」
「あ、そう……」
そんな笑顔を向けられたら、悪い気はしないが――どういう顔をしたらいいのか分からない。ここでにやけ顔なんて見せたら、また調子に乗せてしまうから、絶対に見せないが。
「お姉様、どうしました? こちらを向いてくださいまし」
「嫌よ」
「何でですのー」
「何でも」
「もう、変なお姉様。だけど、そんな貴女が好き」
そんなやり取りをしていると、ふいに小さな影が飛びかかってきた。
「百合姉」
飛びかかってきた初音を両手で受け止めて抱っこすると、いつもは見せない笑顔を向けてくれた。ああ、可愛い。
「ありがとう、百合姉。百合姉のおかげで、取り戻せた」
「刀の事? いいわよ、別に、そんなの」
「ううん、それだけじゃない。百合姉は、僕に大事な物、取り戻してくれた」
「初音……」
そういえば、この子も二代目だ。正確には、何代目にあたるか分からないが。
藤田五郎が老後に始めた鍛冶屋。そちらを継承した初音には、人の言えない秘密があり、小さな頭でたくさん悩んできたのだろう。頼りの師匠である祖父もいない今、彼女は何度も自分を叱責して、鍛冶屋の主として、生きてきたのかも知れない。
「いいのよ、初音。また困った時は、この百合姉を頼りなさい。可愛い妹分の頼みだもの。絶対に、お姉ちゃんが助けてあげるから」
「うん、信じている……ねえ、百合姉」
「うん? なあに」
と聞き返した時。柔らかいものが、頬に触れた。
「お、お礼……」
初音は恥ずかしそうに俯きながら、私の腕の中から飛び出した。
そして、何事もなかったかのように、大事な形見の抜き身を、布でくるい始めた。
あまりに自然な動作に、一瞬何が起きたか分からなかったが――
――今、ほっぺに……
「うわああああああああんんっ」
私を現実に戻したのは、そんなモミジの泣き声だった。
「お姉様の浮気者! あんな小さな女の子までたらし込んで! 酷いですわ、モミジという本妻がいながら」
「人聞きの悪い言い方しないの」
というか、妾なら許すんじゃなかったのか。
「こうなったら、モミジがそれ以上の事をしないと、妻の名折れですわ」
「妻じゃねえ。そして、何しようとしているんだ、お前は」
明らかに唇を狙って飛びかかろうとしてくるモミジの頭を掴んで、何とか距離を取る。こいつで本気でこられたら、純潔の危機だからな。
「あっはははは」
その時、ざわつく周囲の音全てが甲高い笑い声一つで静寂に変わった。
「なかなか、面白い余興でしたわよ……鑑定士」
*
盗難の罪で、御曹司はスバルに連行された。
流石にあれだけ大事になったせいで夜会もお開きになり、舞台を鑑賞するように見物していた華族達も、巻き込まれる前に早々に退散した。
初音も、最初は傍にいたが――当事者という事でスバルについていき、今、この夜会という舞台に残ったのは、私とモミジ、そして――
「なかなか、楽しめたわね」
樒と、その従者である外套の少女のみ。
――何となく、最初から違和感はあった。
初音の形見の刀が盗まれ、それをやったのが過去に多少の因縁のあった御曹司。そして、御曹司はその価値を知っては知らずか、公開売却し――その相手が、黄色の令嬢・樒。
「これじゃあ、まるで歌劇ですわね」
同じ事を思ったのか、モミジが軽蔑の溜め息と共にいった。
「お初ちゃんは、達人です。そう簡単に盗めるとは思えませんわ。それを可能にしたのが……」
モミジはすっと目を細くし、樒の傍らに影にように佇む外套の少女を見つめる。
いつも違う意味で何を考えているか分からないが、今のモミジは、いつも以上に感情が読めない。
まるで、鏡と対峙しているようで――
「歌劇、とはまた上手い事を言うわね」
ふいに、樒が、舞台女優のように、ゆっくりとこちらに歩み寄った。それに続く形で、数歩後ろから外套の少女が追う。
「ご令嬢。貴女は……藤田初音が藤田五郎の子孫にあたる事も、彼女が近藤勇の刀を継承していた事も、全部分かって、こんな茶番を仕組んだんですか?」
「うーん……まあ、知ってはいましたけど……”それ”に何か意味がありまして?」
「そりゃあ、当事者としては、知りたい所ですけど」
「当事者、ね……端役の分際でよく言うわ」
どういう意味だ?
そもそも樒の理由が不明すぎる。
初音の持つ近藤勇の刀が目的でもなければ、夜会で近藤勇の刀のいきさつを明らかにした所で、一体何の意味が――。
「何の意味があるの、って顔ね、鑑定士」
樒が、嘲るように言った。
「お前達は、いつもそうね。何かと意味をつけたがる。『浪漫財』であるか、ないか。価値があるか、ないか。正義か、悪か。そして……自分に、価値があるか、否か」
「……っ」
咄嗟に言葉が出なかった。
「お嬢様」
後ろに控える外套の少女が咎めるように呼ぶ。
「分かっているわよ。目的は達した……まあ、少し拍子抜けでしたけど、いいわ。帰りましょう」
「待って!」
「あら? まだ何か?」
「あります。言った筈です。鑑定結果によっては、うちの妹分達に謝罪して頂くと」
「……」
一瞬で、空気が変わった。
喉元に刀を突きつけられたような緊張感が全身を包む。
そして、私にとって長すぎる間の後――
「そういえば、そんな話もありましたわね」
「それじゃあ……」
にこにこ、と品の良い笑顔のまま、樒は私に近付き――そして耳元で言った。
「い、や、よ」
「んな!?」
「言った筈よ、せいぜい楽しませろ、って。貴女は、私を楽しませてはくれなかった。まあ、所詮、贋作は、贋作。真作になれる筈がないって事かしら」
「どういう意味ですの? お姉様は、国家資格『認定鑑定士』でしてよ」
モミジが噛みついた。
おおかた、鑑定士として失格とでも言われたと思ったのだろうが――私には、分かる。樒が言葉に秘めた、意味が、はっきりと。
「いいわ、モミジ」
「ですが、お姉様!」
「お前への侮辱を晴らせなくて、ごめんね」
「お姉様……」
それっきりモミジは何も言わなかった。
そんな私達にやり取りを滑稽だと笑うように樒は見物した後、踵を返した。
「それじゃあね、鑑定士」
「そうですね。これ以上、帰りが遅いと、おうちの方も心配するでしょうし。だから……次こそは、楽しませてみせますよ」
「……」
樒が、無言で振り返った。
「……へぇ」
初めて、彼女と目があった気がした。彼女も、初めて私を「私」として捉えた。
「そういう事でしたら、次の舞台を楽しみに待っていますわ……鑑定士」
去りゆく彼女が、楽しそうに――侮辱も邪悪さもなく、本当に楽しそうに笑っていたように見えた。
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