静寂な夜の街路。騒々しい足音が異様に響く。
東京・金埼町。東京の中心部から外れた田舎町は、所謂昔ながらの職人が多く住み、「専門街区」には歴史ある商家などが並んでいるらしい。職種によって営業時間は様々であるが、繁華街と違って完全に日が沈む頃には何処も店を閉めている。
そのせいか、無人の町を走っているような錯覚を覚える。
「果南お嬢様、もう少しの辛抱です!」
「だけど、ケヤキ……私もう……」
弱々しい少女の声が漏れると、遠くで足音と共に「いたぞ」という野太い男達の声が響いた。
「どう、しよう……」
彼女は足音が近付く度、不安を隠すようにずっと腕の中に抱えている「物」を抱く力を増した。それを間近で見ていた欅――と呼ばれた青年は、ずっと握っていた彼女の手を放した。
「ケヤキ……?」
「ここは俺が食い止めます。お嬢様は例の店へ向かって下さい」
「そんな……!」
縋り付くように物を抱えながら右手を伸ばしかけた彼女を拒絶するように背を向けると、彼は言った。
「そこを待ち合わせ場所にしましょう。なぁに、心配いりません。後で必ず向かいます。だから、貴女は……『紅月鑑定屋』で待っていて下さい。そこで落ち合いましょう」
「わ、分かった。絶対よ、ケヤキ」
そう言って小走りに駆け出した彼女の背を見送ってから、彼は呟いた。
「ええ、必ず……」
*
金埼町二丁目――「専門街区」はその名の通り専門店が多い。
種類は異なるが、大体が一子相伝で店を護ってきた老舗が多い。駅周辺は近代化しており、若者の足は自然とそちらに向かう。そのせいか、金埼町の住人ですら「専門街区」は町外れにある寂れた一帯といった印象が強く、常に物静かな――
「ねえ、お姉様。こちらの夜肌着、モミジにピッタリだと思いませんか? 黒いスケスケもなかなかですが、こちらのぱっくり桃色も捨てがたいですね。お姉様は、どちらが好みで……」
「やめんか!」
――物静かな町並みの雰囲気ぶち壊しやがって!
静かなおもむきの「専門街区」の歴史は、小娘の破廉恥な会話で綺麗に消え去った。美しくない。あと、近所の人、ごめんなさい。
時刻は昼前。場所は近所――というか、店のすぐ近くの雑貨屋。雑貨屋といっても小規模であり、店の商品を外に陳列させて観光客の気を引こうとしているが――この辺りは専門的な店が多いため訪れる客は限られる。
雑貨屋では椅子に座った老婆がこくり、こくり、と首を縦に揺らし――、古本屋では老人が参考書で隠しながら春画を眺めている。
「まったく。だから、一人で行くって言ったのに」
「だって、一人でお留守番なんて寂しいじゃないですか」
モミジがさり気なく左腕におっきな胸を押し付けながら両腕を絡めてきた。
「買い出しとか言って、どうせ他の女の所に行くつもりなんでしょう。そうはいきませんからね。お姉様の本妻として、ここはモミジが目を光らせないと……」
「誰が本妻だ」
ぱし、とモミジの頭を軽く小突き、腕を振り払う。
「さて、切らしていた刀油と拭い紙も入手したし……モミジ、他に切らしている物ってあったけか?」
一応家事全般は彼女に任せきりのため、食材などの切れがないか訊いてみるが――
「お姉様からの、モミジへの愛、ですかね」
「なさそうね」
「もうお姉様ったら! 外だからって照れなくていいのに。「専門街区」じゃ、昼間でも人なんて滅多に来ないんですから、何しても誰も気付きませんって! さあ、お姉様! モミジの胸に飛び込んで……」
「無人島でもしないわよ! 破廉恥娘が!」
と、既に日常化しているやり取りをしている間に、店に到着した。
「閉店」の看板を「開店」に換え、袖口から鍵を取り出そうとすると――ふいに後ろから声をかけられた。
「あ、あの!」
声に反応して振り返ると、若い娘が立っていた。
――モミジより年上くらいかな。
桃色の着物と紺色の袴。赤色の外套を羽織っており、ぱっと見ただけで上質な布だと分かる。肌は蝋人形のように白く透き通っており、加えて瞳は硝子玉のようで、腰まで伸びる黄金色の髪からは時折花の香りが舞う。
「あの、ここが……『紅月鑑定屋』で、間違いないですか?」
怯えか疲労か、震えた声で彼女は問うた。最初は外套のせいで気付かなかったが、両腕に棒状の何かを抱えていた。
――鑑定依頼かしら? それにしては、切羽詰まっているように見えるけど。
「そうですけど、お姉さんは何ですの?」
これ見よがしに、モミジが私の腕に両腕を絡めながら不満げに問うた。
「よ、良かった。本当にあったんだ……」
モミジの態度には触れず、彼女が胸を撫で下ろした直後――路地裏から大勢の気配がした。同じ事をモミジも察したのか、モミジはすぐに私と彼女の前へ移動した。モミジの手は既に懐の二丁拳銃に向かっており、こういう点は素直に評価したい。
「見つけたぞ……!」
予感は的中し、黒服の男が五人ほど飛び出してきた。目つきが鋭く、頬や額に傷跡があり、一般人には見えない。
「おい、お前ら! そこをどけ」
無意識に彼女を背に隠すと、男が常套句を吐いた。
「お姉様。そちらの方と一緒に店の中へ」
「ええ、程々にね」
「あの、大丈夫なんですか?」
扉を解錠して先に彼女を店内に入れると、案の定不安そうな顔がそこにあった。
「ええ、問題ないわ。何故なら……」
「何だ!? 関係ねえ奴はすっこんでいろ!」
「そちらこそ、誘拐ならよそでやって下さいまし! ここはお姉様と私の愛の巣です! どこのどなたか知りませんが、とっととお帰りなさい!」
「こっちは遊びじゃねえんだよ!」
「モミジだって、お姉様とは本気の関係です。遊びじゃないです」
「お前はさっきから何言ってんだ?」
「ああ、こうしている間に、お姉様がどこの誰だか知らない女と二人きりに! 許しません!」
「え、ちょっ……」
「お姉様との恋路を邪魔する悪い人達は、こうですわ!」
「お姉さん、落ち着い……」
「許しませんわ! おらあ! ですわ!」
「兄貴! あ……いっつ!」
「必殺、愛の力! 愛の力! 愛の力あああああああああああ!」
「ただの蹴りじゃ……痛い! 肘と足の小指はやめて! 気をつけろ、こいつ地味に一番痛い所を……」
「問題、ない」
違う意味の問題はあるが。
扉を少しだけ開いて外を覗くと、明らかに気質でない風の男達が地面に横たわっている。その内の一人の胴体を踏んで高笑いしているのが、うちの妹分。ああ美しくない図だ。
「さあ、お覚悟はよろしくて?」
モミジが男の頭を踏みつけながら、言い放った。しかし、その位置からだとモミジの衣類の下が丸見えであり、少しだけ嬉しそうだった。よし、殺していい。
と、その時――もう一人隠れていたのか、後ろからモミジを狙った男が拳を大きく振り上げた。
「モミジ!」
私が叫んだ時、視界の端に黒い人影が掠った。
新手か、と思った直後――聞こえたのは男の悲鳴の方だった。
「まったく。子娘相手に大人げない」
と、低い声が響いた。
男の拳がモミジに振り落とされる寸前で男の腕を捻り上げた青年は、軽く男の腕を引っ張ると、その大柄な図体を蹴り上げた。男の身体がちょうど仲間の近くに叩き付けられると、ゆっくりと男達に近付き、彼は言った。
「今すぐ去れ! 首と胴体が繋がったままでいたかったらな!」
青年の怒声に驚いた男達は、一斉に逃げ出した。中には気を失っている人を引きずりながらとんずらする男もいた。
男達を一喝した青年はゆっくりとこちらを振り返った。
極端に長い前髪で右目が隠れた、紺色の和服の青年。年齢は二十代後半くらいであり、どこか人を見下した目をしており、それなりの闇を背負っている事が空気から感じられる。
「あ、ああ……良かった」
後ろから彼女が安堵した声を漏らすと、私の真横をすり抜けて彼女が大胆にも青年の胸の中に飛び込んだ。
「ケヤキ! 無事だったのね!」
「当然です。貴女が来いと仰るのなら、それに応えるのみ。俺は、貴女の……」
「あ、あのー」
熱い抱擁を繰り広げる二人の甘い空気を壊し、私はおずおずと手を上げた。
「とりあえず、中に入らない? これ以上、変な噂立てられるのは……」
互いに抱き合った状態の男女と、なぜか嬉しそうに興奮しているモミジ。
――ただでさえ、モミジの奇行のせいで近所の人の視線が痛いから、これ以上はごめんだ。
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