「あの、お姉様」
朝食の片付けを終えたモミジが割烹着で濡れた手を拭きながら作業机付近に立った。
「少し、部屋干しをしたいのですが。匂いが溜まってますし」
「まったく、だからお前は半人前なのよ」
私は本棚に並んだ古書や参考書、棚に並ぶ古道具を見ながら言う。
「酸化する事で傷む子達だっている。ここにいる子達はみんな繊細なの」
種類だと刀剣が一番多いが、その他にも古書や陶器など様々な品物が店の棚には収納されている。中には微妙な環境の変化で「痛いよー、苦しいよー」と悲鳴を上げる子もいるわけで――そのため部屋の温度と湿度は常に調整している。
「でも、うちって鑑定屋じゃないですか。骨董屋じゃないですし、商品を並べてどうするんですか」
「商品じゃない! 愛蔵品! ここにいる子達は私が花よ蝶よと愛でてきた大事な子達よ! 売ったりするものか!」
「愛でて、って……お姉様にはモミジがいるじゃないですか! やっぱり部屋干ししましょう」
「しない!」
「しましょう!」
「しない!」
「今日の御夕飯抜きますよ」
「しない!」
「おやつは?」
「いる!」
そんな事を繰り返した時。モミジが時計を見て、手を叩いた。
「いけない! お姉様、今日は依頼が入っていましたよね?」
「あ、そうだったわね」
「すぐに支度しますので、お待ちください」
本当に特殊な性癖さえ除けば、この子完璧なんだけどな。
モミジは、臙脂色の羽織を手に取ると、後ろから私の肩にかけた。
上質な布に、職人仕上がりの染め物。最高の一品で――
――あれ? 干しておいた筈なのに、何だかじゃっかん生ぬるい。
最近は訪問客ばかりで外出なんてしなかったから、使用していない筈なのだが。
「そんなに喜んで頂けるなんて、モミジ感激です」
モミジがモジモジしながら言った。先に言っておくが、ギャグではない。
「お姉様のために、一晩中全裸で羽織にくるまれて、モミジの香りをこすりつけた甲斐がありました。これで、モミジがいない時でも、モミジの存在を感じられ……」
「気色悪いマネすんな!」
今すぐ破り捨てたいが、これは思い入れの強い羽織のため、我慢する。というか、何してくれたんだ、この痴女。
「それにしても、いつ見ても素敵な羽織ですね。臙脂色の染め物に、“浪漫”の文字」
「モミジ、分かってくれるのね。仲間内にはクソダサいだの、何のって……」
「そして、モミジの香りが染みついた、愛の一品」
「あとで洗濯しよう」
所変わって、金崎町二丁目の駅前広場。一番人が賑わう場所であり、駅周辺では定期的に催しを行っている。ちょうど先週は旅芸人が大道芸を行っていた。
駅周辺には商店が幾つもあり、駅前広場で何か行えば店側にも客が流れて利益となるせいか、商店街一同でよく宣伝を行っている。
が、今週は違うようだ。
賑わっている筈の駅前広場は人が行き交う事はあっても足を止める者は少ない。
――催し物がなければ、噴水と休憩所がある程度の大きな公園だからな。
駅前のため、駅を利用している会社員や大学生、または逢引き目的の若者が休憩で使っているか、馬車屋が客待ちをしているだけだ。
「いつもは賑わっているのに、こうやって見るとただの逢引き場所みたいですね……まさか、お姉様、依頼とはただの口実で、本当はモミジと逢瀬を楽しむために……」
「違う」
「でも、いつもは催しやっていますよね? 何で今週はやってないんでしょう」
「やっていない、ではなく、やれない、が正しいかな」
「え?」
首を傾げるモミジに、私は駅前の一点を指差す。
駅前広場近くにある、二階建ての小劇場。元は町の物であり、駅前広場はこの劇場の付属品のようであり、よく二つの場所を使って演芸などを披露している。広場を使って芸をすれば、自然と劇場にも足を運ぶ、というわけだ。
しかし、その一角は西洋の衣類を身に纏った紳士淑女に陣取られてしまっている。
劇場の垂幕は取られ、代わりに入り口に『古刀展』と記載された看板がある。
「何か、お姉様が好きそうな展示会ですね」
「ええ、まあ……」
「あら、その割に不機嫌そうですね?」
「あれは華族が趣味で開いている展示会よ……死ね。たしか一週間程を予定しているらしいけど、利益のためか、その期間は劇場と広場を買い取り、他の催しを中止にしたらしい……ざけんな、くそごらぁ」
「それで不機嫌そうなんですか? 言葉遣いが雅びじゃないですわよ」
「それだけじゃないわ。華族や招待客以外は出入りを禁じているのよ。物を愛すのは個人の自由。それを線引きするなどあり得ないわ。そもそも最初から人を選ぶくらいなら展示会など……死ねばいいのに」
「お姉様、声がだだ漏れですよ。それより、この辺りですよね? 依頼人様は……」
「あれよ」
「あれって、まさか展示会?」
「そうよ。『古刀展』の主催者、菅野亀吉が今回の依頼人。そこで、今回の展示の目玉となる<太刀・雷切>を公開鑑定してほしいそうよ」
「お姉様、そういう見世物みたいなの嫌いなのに、珍しいですね」
「嫌いよ」
ぼそり、と言った言葉が思いのほか脳内に響いた。
「見世物なんて……」
真っ暗な世界と、異様なくらい眩しい照明。見下した目と、蔑む笑い声。それから――
「お姉様?」
モミジの声が、暗闇に覆われた私の意識を掬った。
「どうしました?」
「……いや」
「よく分かりませんが、お姉様がやるって決めたなら、このモミジはついていくだけです。ほら、行きましょう」
「ええ」
モミジに手を掴まれ、そのまま劇場前まで移動する。握った手から微かに伝わる温もりが、私が今何処に立っているかを教えてくれた――そんな気がした。
「モミジ、その……」
「え? 結婚? 喜んで!」
「違う」
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