真贋乙女―ユリとコウヨウ

刀剣乙女の目は誤魔化せない
霜月セイ
霜月セイ

妖刀・村正⑧

公開日時: 2020年12月6日(日) 00:00
文字数:3,255

「はい、お姉様」

 と、モミジは地面から藤正を乱暴に抜き取る。

ふいに、村正の近くで倒れている平良を見ると、彼の掌から血が零れ落ち、地面を紅く染めていた。予想よりも両手からの出血が酷く、藤正を直で触れた箇所は肉が削がれていた。よくこの状況で気絶しなかったものだ。

「まったく、折角の名刀が酷いものだ」

 血と油でべっとりと濡れた刀身は、一部は酸化が始まっており、早く処理しないと刀身が傷んでしまう。そもそも錆が刀身にこびりついてしまっては、もう拭いようない。それこそ錆そのものを刀身と共に削らなくてはいけなくなる。そして、一部を削ったら、他も合わせなくてはいけなくなる。そうなったら〝元〟の刀剣ではなくなる。

――応急手当だけでもやっておくか。

 ひとまずなかごの中に刀身を戻し、私は刀紙で血を拭ってから鞘へと戻す。

 ――そういえば、平良の奴、妙な事を言っていたわね。アイツが言っていた、って。

 ――もしかして、誰かが平良に、妖刀伝説を吹き込んだの?

 だとしても、人を斬ったのは彼自身の意思で、それが覆る事はないが。

「結局、全部、彼の妄想だったんでしょうか」

「え?」

「妖刀は、妖刀・村正は、彼の勘違いだったのなら……彼は、嘘か本当かも分からない空想を信じて、踊らされた……」

「そんなものよ、伝説なんてものは」

 刀剣には、幾つもの物語がある。病が治った、神から譲渡された、虎を倒した、雷を切った、夢の中で美少女として現れた。それが名前の由来になる事もあり、刀剣にまつわる物語は、広く人間の作る歴史に関わってきた。

「刀剣が、物語を作るんじゃない。人間が、刀剣を通じて、自ら物語を”創る”の。妖刀だろうと、神剣だろうと、同じよ。全て、人間が起こした、人間の物語。刀剣は、所詮きっかけに過ぎない」

 象徴とも言うが。

 物語を、伝説や神話を象徴づけるために、刀剣が在っただけで――刀が勝手に動いて何かしたわけではない。人が刀と出会い、物語を起こした。

「お姉様」

「なあに?」

「人って、偉大ですわね。たまに、怖いくらいに」

「ええ……そうね」


 ともあれ、これで――人が起こした、人の物語を終わった。


      *


 『紅月鑑定屋』に戻ると、雛菊と茉莉、あやめ、そして部屋の隅っこで蹲っているスバルがいた。

「雛姉。どうしてスバルはふて腐れているの? また派手に転んだ?」

「あー、実は……繁華街区で身ぐるみ剥がされかけたらしいのよ。返り討ちに遭わせたまではいいけど、結局迷子になって……泣きながら警察まっぽの人にここまで送ってもらったみたいなの」

 予想通りか。だから、こいつを勝負するのは嫌だったんだ。

「ま、迷子じゃない……僕は大人だ。大人、だ……っ……ひ、一人で出来るもん」

 ぶつぶつと繰り返しながら、スバルは膝を抱えて床の上に座り込んだまま動かない。

 実績はあるけど、色々残念な子だ。

「ひとまず、例の刀はこの通り取り戻した」

 平良の身柄は警察まっぽに引き渡し、後は法が彼に然るべき処罰を下す。

「にしても、茉莉さん。庭師さんの事、驚かないんですね」

「え、ええ。何となく、そんな気はしていました。だけど……もしかしたら踏み止まって、刀と一緒に帰ってきてくれるかも知れなかったから……」

「それが警察まっぽに依頼しなかった本当の理由か」

 ぼそり、と蹲りながらスバルが言った。

警察まっぽに相談すれば、刀は勿論だが、庭師の事も露見する。そうしたら、そいつは二度と戻れない」

「それが正しいかどうかは分かりませんが……私には、そのくらいの事しか出来なかった。止める事も追いかける事も出来なかった私には……。だから、待つ事にしたんです」

「犠牲者が出た以上、お前のした事も立派な罪だぞ」

 スバルの指摘はもっともであり、もし警察まっぽが当時の事を調べ、茉莉の事を突き止めたら、彼女も共犯扱いを受ける場合もある。しかし、きっとそうはならない。

「平良は、最後の最後で“人”として踏み止まったわ」

「え?」

 私の言葉に、茉莉が顔を上げた。

「あいつは妖刀になろうとしていた。だけど、あんたの名を出した時、奴の反応は人間のものだった。あんたの存在が、あいつをぎりぎり人として繋ぎ止めた」

「……っ」

 茉莉は泣き出しそうな瞳で私を見上げる。

 ――もしかしたら、あの人は……ただ眩しかったのかも知れない。

 何者でもない自分を無条件で受け入れた彼女が、闇に身を落として生きてきた男にとっては眩しすぎ、毒にも感じた。

 ――いや、やめておこう。これは私でも鑑定不可能だ。

 本当の事は、あの男だけが知っていればいい。

「ちっ……」

 ふいに舌打ちが聞こえ、茉莉の後方を見ると、あやめが苛ついたように唇を噛んでいた。が、それは一瞬の事で、私の視線に気付くと、彼女は分かりやすいくらいの作った笑顔を貼り付けた。

 ――何なんだ、この人、本当に。

「おい。それより、肝心の刀はどうした?」

 スバルの言葉に、私達は一斉に「あ」と漏らした。すっかり忘れていた。

「茉莉」

 私は平良から奪い返した刀を彼女に返す。

「結論から言うと、これは村正じゃない。藤正の刀だったわ」

 さらに言うと、今回の騒動でかなりの血を浴び、刀身は痛んでしまった。仮にこれが『浪漫財』でも、その値打ちはなくなった。刀の値打ちは誰が鍛えたかや誰が使っていたか、などの歴史もあるが、何より重視されるのは保存状態だ。

「あとは研磨師にでも依頼しなさい。何処まで出来るかは不明だけど」

「は、はい。何から何まで……」

「茉莉、一つ聞くけど……あんた、これが徳川から譲り受けた村正と言っていたけど、それが藤正と聞いてなお、これは家宝だと思うの?」

「んー、確かに村正だと聞いてはいましたけど……我が家の宝である事に違いはありませんから」

「その口ぶりだと、それが村正でない事を知っていたようだが……」

 壁際で蹲りながらスバルがじろり、と茉莉を見た。

「ええ、何となく。うちは歴史ある家系ではありますが、徳川様とは関わりがないと思います。きっと……ただの見栄です。うちには『浪漫財』があまりなく、歴史はなくても『浪漫財』多数所持のお家には華族としては負けています。だから、私の祖先はそれが許せなくて、徳川様と縁のある刀だ、って言ってしまったのだと思います」

「そして、それがいつの間にか逸話となって代々伝わった、と……」

 モミジが続きを言うと、茉莉はにっこりと笑いながら返した。

「ええ。だって、それ……祖父が借金の担保かたに何処かの家から貰い受けたものですから」

「……」

 一瞬、空気が冷たくなった。

「刀には、逸話がつきものよ」

忠誠の<短刀・薬研藤四郎>。鬼を斬った <太刀・童子切安綱>。雷神を斬った<太刀・雷切>や<脇差・雷切丸>――。挙げたらきりがない。

「だから、あんたの家は、〝妖刀を所持している家〟として名乗り上げたかった。そのために、刀の逸話が欲しかった……という事かしら」

 そして、その逸話――人を狂わせる妖刀という名に平良は取り憑かれた。

「つまり、全ては真贋を見極めず、名前だけを見た結果という事だ」

 そこで一度言葉を切り、私は茉莉を見下ろす。

「これから、平良のした事であんたの家の〝本当〟が露見するでしょうね」

「ええ、でも……私はあの人の主人であり、その刀の主人です。それが罰だというなら、罪ごと刀を継承するまでです」

 どうやら余計な気遣いは無用だったようだ。刀は、私の手から彼女の手へと戻る。茉莉はそれを確かめるように鞘から刀身を僅かに抜く。

 鈍い光が輝き、一瞬だけ平良の血走った眼が浮かんだように見えた。

「妖刀だな」

 ぼそり、とスバルが言った。

「人を、道から迷わせた……妖刀だ」

「ああ、確かに……妖刀ね、これは」

 紫色の輝く刀身は、見る者の心の闇を引き出すように怪しい光を放った。

「そうですね」

 ふいに、あやめが呟いた。

「それは、確かに、妖刀です。ねえ、お嬢様?」

 あやめが茉莉に問いかけながら、彼女に手を伸ばすが――あやめが触れる寸前で、茉莉が私の元に歩み寄った。

「あの、姫百合さん。一つだけ、お願いがあるんですけど……」

 伏せていた顔を上げた茉莉の瞳に、確かな意思が輝いた。

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