平良は踏み込むと同時に、村正を振り落とした。それを横へ飛んで避けると、近くの無造作に伸びていた雑草が刈られた。
――こりゃ、農家にでも再就職した方がいいんじゃないの。
余計な事を考えている余裕も与えず、さらに平良は追撃する。
「あひゃひゃひゃっ!」
笑い声を上げて村正を振り回す平良は、確かに妖刀に操られているように見える。
が、正しくは違う。
あれは、酔っているだけだ。「殺せる」という殺意に酔っているだけである。
――まったく、小心者が武器を持つと如何せん。
村正に操られているという点では、確かに妖刀だ。しかし、村正自身は何もしていない。村正はただ刀としてあるだけであり、それだけで平良にとっては殺せる可能性を生んでいるだけに過ぎない。
――根本的な臆病者ね。
「俺は殺せる」「俺は強い」。刀が与えたのは、たったそれだけの事だ。
ただ武器を持っただけで、強くなった気になっているだけ小心者にとっては、それだけで殺せる可能性は、簡単に殺意に変わる。
だからこそ、簡単に流れも読める。
「くそ! 何で当たらん」
先程の死体の切口から見て、平良は相手の不意をついて一撃で仕留めている。その後に死体を何度も切り刻む事で、猟奇的な殺害現場を生んだ。
刀の切れ味が良かっただけだ。
「さて、そろそろ頃合ね。では、庭師・平良よ。鑑定結果を告げましょう」
「鑑定だと?」
ずさり、と重い刀身が地面に叩きつけられた。
そこから数歩下がって距離を取りながら、私は告げる。
「鑑定額、史上最価格! つまり、数値で示す事も出来ない程の格安って事。これが、その証しよ!」
私は懐から金色の目釘抜を取り出す。
対する平良は地面に刺さった鋒を抜いて再び斬りかかろうと村正を構え直し――
「しぃぃぃぃぃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「これが……鑑定結果よ!」
カキン――
と、一合の音が響いた。まるで達人同士の斬り合いのようだが、生憎両者とも素人であり、歌舞伎のようなお約束な展開にはならない。
私が懐へ目釘抜きを戻すと同時に、平良の手元で村正の柄と刀身が真っ二つに分裂した。
「あ、ああああああ! 村正がっ! 俺が、俺が……!」
本気で自分が村正の一部だと思い込んでいるようで、彼は刀身が地面に落ちると、それに合わせて膝を折った。
「目釘抜きは、一つを二つにする。刀身と柄を切り離し、柄の中に眠る真実を突きつける」
抜き身の刀身の端は錆びた金属の塊であり、その端に柄とくっつけるため目釘穴がぽっかり空いている。
「確かに腕のある職人の作る特芸品というものは美しい。つい心を奪われる一種の魅力のようなものがある。が、所詮人の作った物。作ったのが人ならば、壊す事だって可能。決して壊れない物なんて、この世には存在しない」
「認め、ねえ……!」
「ち、ちょっと……」
平良は制止の声も届かず、村正の茎を両手で握って構え直す。
が、刀とは柄や目釘によって支えられ、ようやく一つの刀となる。当然刀身一つを刀だなんて呼べる筈なく、構えてはいるが、先端がゆらゆらと揺れており、狙いが定まらない。
「やめておきなさい。あんたは、村正じゃない。あんたは、人間よ。刀にはなれない」
「う、うるせえ。村正が、囁くんだ。早く血を寄越せって……」
本気で村正と一体化していると思っているのか、平良は血走った眼で私を睨みつける。
そして、あろうことか、村正の茎の上――刀身の部分を握った。
「お前……!」
ぶしゅ、と肉の切れた音が小さく響いた。ぽたり、と平良の手から鮮血が溢れ落ちる。それすら愛おしいように、平良は狂った笑い声を上げた。
「ほら、俺の血だ。俺の血を飲んで、力をつけるんだ。ああ、分かっている。そうだな。もっと血が欲しいのだな?」
――こいつ、痛覚がないの?
いや、痛みすら超える〝何か〟が彼を支配しているのだろう。そして、その何かは決して良いものではない。
「おりゃあああああああああっ!」
雄叫びに近い声を上げながら、平良が刀身を直に握りながら真上から振り下ろす。寸前でそれを避け、追撃を恐れて後ろに下がり、ある程度距離を取った。
――ここまでする気はなかったけど、仕方ない。
真実を、突きつけるか。
「待ちなさい」
鉄扇で鋒を払いのけ、流れるように彼の背後に回り込む。
「私は鑑定士。物の価値を数字で示す事くらいしか出来ないわ。だからこそ、どうしても不思議でしょうがない。どうして、あんたは、それが〝妖刀〟だなんて空言を言うの?」
「え……っ」
既に平良からは殺気どころか戦意すら感じられず、いつの間にか彼と私との距離は縮まっていた。私の接近をここまで許したという事は、今の彼は相当動揺しているのだろう。
「だ、だって、これは……<妖刀・村正>で! だから俺は村正に、村正に言われて! 村正が俺に囁くんだ! 人を斬れって! 血を寄越せって! だから俺は村正に導かれるままに……村正が、言ったんだ。村正が、そう言っているって、アイツだって……」
「ただの鉄の塊に、そこまでの事が出来るって本気で思っているの?」
「なっ……!?」
「確かに、そういう逸話は多いわ。主人のために時に擬人化して敵を討ち、時に傷を癒し……本当にこの世は摩訶不思議よね。だけど、その刀じゃ〝それ〟は出来ない」
何故なら――
「それは、<妖刀・村正>ではないから」
「そ、そんな事はねえ! こいつは、たくさん人を斬った! あの切れ味は村正だ!」
「確かに装飾は似ているわ。素人なら間違えるかも知れないけど、鑑定士の目は誤魔化されない。それは、村正じゃない」
「お姉様」
私の鑑定結果が意外だったのか、後方でモミジが問うた。
「じゃあ、あの人は妖刀に操られたんじゃなくて……自分の意思で人を斬り続けたった事ですの?」
「嘘だ……」
かぶりを振るうように、平良は叫んだ。
「こいつは村正だ! だって村正がそう言っているんだ! だから村正なんだよ! これは妖刀で、だから触れた瞬間に取り憑かれるって、そう言っていたんだ!」
「そこまで言うなら、その子に聞いてみなさい。物は、嘘はつかない。嘘つきはいつだって人間の方。本当の事は刀が知っている。今なら柄に眠っていた真実が見えるでしょ」
平良はおそるおそる血で汚れた茎を見る。そして、目を大きく見開いた。
「む、ら……まさ。ほ、ほら、やっぱり村正って……」
「よく見なさい。それは村正じゃない。藤正よ」
茎には、くっきりと「藤正」の銘が刻まれていた。
「似ているのは当然よ。それを打ったのは村正と同じく伊勢の刀匠、千子藤正。千子村正の門下の一人で、その中でも一番村正に作風が似ていると言われている」
似ているのは作風だけでなく、銘字の「藤正」も村正に似ており、実子ではないかと言われる程に色んな意味で似ている刀匠だ。
「が、似ていたとしても、千子村正じゃない。そもそも村正は応永の刀匠、藤正は永正。時代が違う」
贋作というよりは完全に勘違いだ。いや、思い込みか。
今回の妖刀騒動は、「村正」を妖刀だと思い込み、藤正を村正だと思い込んだ――思い込みが引き金となって、男の狂気を引きずり出したに過ぎない。
「理解したなら、今すぐ刀を渡しなさい。それ以上血で汚れた手で触れられると、刀身が痛むわ」
「……違う!」
「おっと……」
まだ諦めていなかったようで、平良が横一文字に刀身を振るった。素人の私の目から見ても分かる程に軌道がばらばらであり、ただ鉄の塊を振っているように危うい切り込みだ。
「俺は、村正に心を乗っ取られたんだ! だから人を斬った! だって、この村正は妖刀で! 妖刀は呪われていて! だから、この妖刀に人の血を吸わせれば、妖刀にも力が宿って! そうしたら、その持ち主にも……運命を変える力が! 認めねえ、認めねえ、認めねえ! これは妖刀だ! これは、これは、これは……!」
「今、あんたの脳裏によぎったものこそが、真実よ。人間が生んだものといえ、人間と違って刀は嘘をつかない。ありのままの真実を、我らに突きつける。それが、真実。それが、本当の事なんだ」
「くそがああああああっ!」
まだ続けるつもりか、彼が自分と一体化した藤正を高く振り上げた。そして、目的もなく周囲の木々を斬った。
一合、二合、三合 ̄ ̄。続けざまに、刀の音が鳴った。
「やめなさい。それ以上は……」
「黙れ、黙れ、黙れ! そんな真実、俺は認めねえ!」
なおも食い下がらず、平良は乱暴に刀を振り回す。本当に妖刀に取り憑かれたように暴れまわる平良は標的を見失ってもなお大地を、木々を、周囲を斬る。
「こいつは、妖刀だ! 妖刀じゃなくちゃ、駄目なんだ! じゃなきゃ、俺は……」
「茉莉は……あんたの帰りを待っている」
私の言葉に、平良は刀を振り上げた体勢のまま止まった。
「華族の連中はいけ好かない奴が多いわ。私やあんたみたいな輩にとって、特にね。だけど、あの子は違う。出生で人を判断するような子じゃない。あのこは、あんたをあんたとして見てくれた、初めての相手じゃないの?」
「そ、そんなの、お嬢が知らないだけだ。汚い世界も、暗い世界も、お嬢は知らずに生きてきた。お嬢は優しさに包まれて生きてきた。優しさを知っているから、人に、俺みたいな奴にも優しく出来る。俺だって……優しくしたかった。あんな風に、優しい世界で生きてみたかった。だけど……やっぱり無理だった。『還無』の俺には……。そんなの、不公平だろ! どうして、俺だけが……。俺だって、お嬢みたいに、お前達みたいに……! だったら壊しちまえばいい! 捨ててしまえばいい! 俺は……妖刀になる!」
彼が「人間」として語ったのはそこまでだった。彼は再び「妖刀」の目つきになると、刀を振り上げた。
「あああああああああああああ!」
「お姉様! 避けて!」
モミジが二丁拳銃の内、小型の方の銃口を取り出す。まだ傷が痛むのか、近くの木に身体を支えられながらモミジは傷みで震える銃身を無理やり上げ――
「お姉様の敵は……モミジが、撃ちます!」
ぱん、と乾いた音と共に、刀を握る平良の手に一発当たった。傷みで刀から手が離れたところを、さらにモミジは続け様に二発、三発、と宙を舞う刀身の近くを撃った。銃撃による衝撃に圧され、刀身は回転しながら離れた位置まで飛んでいき――地面に深く突き刺さった。
――確かにあれは妖刀だ。
固い地面に深々と突き刺さる様は、刀の切れ味を物語っている。
「お姉様!」
「ええ、決めるわよ!」
両手が赤く腫れ上がっており、常人なら気を失ってもおかしくない。しかし、痛みでは男の狂気は完全に消す事は出来ず、平良はゆらりゆらり、と歩み寄る。血走った目は殺意や嫉みが入り交じった狂気を宿し――それこそ幽鬼の類いのようだ。
「妖刀物語、か。まったく美しくなかったわね。では、そろそろ幕にさせてもらいましょうか」
「でいやあああああああああああああ!」
腫れ上がった拳を振り上げて突進する平良の足下に、モミジが銃弾を撃ち込み、動きを封じた。その隙に私は彼の懐に入り――
「これで……しまいよ!」
私は鉄扇で平良の顎を思いっきり掬い上げる。顎への衝撃は直接脳へと響く。平良の身体は宙を舞いながら、村正の近くに落下した。顎と全身、両方の衝撃だ。しばらくは起き上がれないだろう。
「むらま……さ、俺の……よう、と……」
平良は最後の力を振り絞って近くに刺さっていた妖刀に手を伸ばすが、途中で力尽きた。
――まだ息はあるようだな。
物凄く痛い思いはしているが、命に関わるような怪我ではない。かなり痛いが。
「馬鹿な人ですね」
ぼそり、とモミジが呟いた。
「何処で生まれようと、どんな過去を持とうと……受け入れてくれる人は、いる。彼にも、ちゃんといたのに、それを自ら捨ててしまうなんて……」
「ええ、そうね」
ぽん、と私はモミジの頭に手を置く。
「が、それも一つの選択よ。こいつが選んだ道を、こいつ以外が鑑定する事は出来ない。ともあれ……」
私は鉄扇を閉じ――
「終幕よ」
ぱん、と綺麗な音が終焉を語った。
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