「最後まで、ご迷惑をおかけしました」
あの後――色々あって、茉莉は一週間ほど町に滞在していたが、迎えの使用人が来たため、帰る事になった。
場所は、駅前。茉莉を見送るため、私とモミジは軽く挨拶を交わす。ちなみに、スバルは早々に帰り(薄情な奴)、雛菊は誘っていない(知ってそうだが)。
駅は都心と金崎町を繋ぐ唯一の交通機関であり、もっとも人の出入りが激しい場所でもある。妖刀事件のせいで、いつもより訪れる人は少ないが――それも、あと数日もすれば、みんな綺麗に忘れて、元の活気ある景色に戻るだろう。
「じゃあね、茉莉。元気で」
「はい、お世話になりました」
深々と茉莉は頭を下げた。
――来た時とは、だいぶ状況も異なっちゃったわね。
二人で訪れたのに、帰る時は刀が一本だけなのは、少し寂しい気がする。
「でも、茉莉さん。その刀、本当に持ち帰るんですの? たしか、もう刀としては……」
「はっきり言うと、修復は難しいと思うわ」
平良の辻斬り、あやめの惨殺、と繰り返し酷使されたため、刀身はぼろぼろ。ただ気になるのは、最後の平良を貫いた時には傷一つつかなかった事だ。普通あそこまで深く刺せば折れる。元々、刀の寿命は世間が思っている以上に短い。一人二人斬れば寿命と言われる程に刀は繊細だから。
「いいんです。もう刀として使い物にならなくても……傍においておきたいんです」
「そうは言うけど、元の価値よりもだいぶ下がったわよ」
刀剣にも格付けというものがあり、我ら鑑定界においては、特に『特別重要刀剣』、『重要刀剣』、『特別保存刀剣』、『保存刀剣』の四種類を重視している。というのも、これが刀剣売買においての価値基準となるから、商いとして重要なのだ。大雑把に言うと、鎌倉から明治までが『保存刀剣』、そのさらに状態が良い物が『特別保存刀剣』。平安から江戸の物が『重要刀剣』、同じく状態が良い物を『特別重要刀剣』と呼ぶ。ちなみに、何故平安から江戸の刀の方が高評価を受けるのかは、その時は刀の流通が少なく手に入りづらいからだ。
刀剣協会がが行う年一度の審査会で決まり、『浪漫財』の中でも特別視しており、愛好家の中では、これを重視して購入する者も多く、刀工や時代は問わない場合もある。
そして、茉莉の藤正は保存状態が良く、『特別保存刀剣』くらいの評価は受けただろう。しかし、今回の事件で刃こぼれが多く刀剣とはしては死んでいるに等しく、生まれたての刀剣よりも価値は低くなっている。
――これも、この刀の運命だったのかな。
私にしてはやけに女々しい考えが浮かんだ。
「あの、姫百合さん。私、この刀に、新しい名前をつけようと思います」
「号って事?」
刀剣には特殊な名称を持つ物があり、こちらが正式名称だと勘違いしている人も結構多い。大体が著名な誰かが所持していたか、怪奇的或いは神話的な出来事が起き、当時の持ち主がそれにちなんで名付けたかだ。前者は人に、後者は刀に由来する。
例えば――三種の神器・天叢雲剣も、ヤマトタケルが火に囲まれた時に草を薙ぎ払って助かったから草薙剣。天下三名槍の大笹穂槍も、槍先に止まった蜻蛉が一刀両断された事から、蜻蛉切と呼ばれ、世間ではこちらの方が馴染みあるだろう。北条氏政の重臣・板部岡江雪斎が佩刀していた江雪左文字など――刀の名前の由来は、大体が人に由来している。
「なんてつけるの?」
「平良丸」
躊躇いなく、茉莉は言った。
「平良さん、本当に刀になっちゃったんですね」
モミジが、寂しそうに言った。
そういえば、そんな事を言っていたな。
生まれながらに何も持っていなかった男が、何者かになろうとした結果、歪んだ道へ自ら入り込み、結果、人を捨てて妖刀になろうとした。しかし――
「彼が望んだ結果とは、少し違うかも知れないけどね。だって、これは、妖刀ではない。そうでしょう? 茉莉」
「はい、これは妖刀じゃない。私の、護り刀です」
茉莉は背負うように持っていた打刀を胸に抱いた。
「私も人間です。この先、何か間違える事がたくさんあるでしょう。その時、この刀が、私をきっと叱ってくれるって思うんです。”間違えてんじゃねえよ。それでも俺の主人かよ”って。その度、私はきっと正しい道へと戻れる。そんな気がするんです」
そう言った茉莉の幼い背後に、寄り添うように誰かが佇んだ――そんな気がした。
――なーんて。いくら何でもないか。
「じゃあね、茉莉。立派な令嬢になるのよ」
「はい、姫百合さんも、お元気で」
そう最後に挨拶を交わし、茉莉は使用人達が待つ列車へと向かった。その時、手を振りながら去っていく彼女に寄り添う何者かの影が見えた気がした。
「あんたは、なれたのね。何者かに」
「お姉様?」
「何でもないわ。帰りましょう」
と、振り返ると、モミジが俯いていた。
「モミジ?」
「ねえ、お姉様。もし、もしモミジが間違った道に行こうとしたら、お姉様は……」
「引っぱたいてあげるわよ」
はっきり言った私を見て、モミジがキョトンとした顔になった。
「そもそも、先に行くのは主人の務め。なら、前を歩く私が間違わなければいいだけでしょ。それに、お前と、平良とでは、根本的に違うと思うわよ」
「お姉様、でも……」
「だから……もし私が道を間違えようとしたら、ちゃんと教えてね? それが出来るのは、後ろからついて来るお前だけなのだから」
「お姉様……はい!」
とても嬉しそうにモミジは笑った。
「いつまでも、ついて行きますわ。地獄にでも」
「あー、私は天国行き決定だから」
と、踵を返すと、案の定、モミジが頬を膨らませながらついて来た。
「あー、酷いですわ、お姉様」
「お前は色々恨まれてそうだもんね」
「そんな事ありませんわ。ちゃんと黄泉の国からお姉様を引き込んで……」
「道連れにする気か!」
「ずーっと一緒ですからね、お姉様!」
恋人のように腕に両手を絡ませるモミジを振り払い、また腕が捕まり、また振り払い――と小さな攻防を繰り広げながら、私達は帰った。
私達の家『紅月鑑定屋』へ。
*
茉莉と別れ、店に戻ってきて、ちょうど半日ほど経過した頃――。
「ねえねえ、お姉様。結局、あの藤正の刀って妖刀だったんですの?」
作業机で茶器の鑑定をしていると、ふいに今月の領収書を整理していたモミジが顔を上げた。
「さあね。妖刀だから人を狂わせるのか、狂った奴が持つから妖刀なのかは分からないわ」
平良が護り刀になったのも、あやめが刀剣の逸話に恋い焦がれて狂ったのも――。全て本人が選んだ結果だ。
「価値を上げるも下げるも、結局は本人次第よ。人も物も、時間をかけてじっくりとその価値は上がる。開始価格と全く同じなんてあり得えないわ。それを高額にするのも、最低価格に下げるのも……その時を生きる連中次第」
「お姉様。つまり……」
ふいにモミジが私のすぐ隣まで来ていた。そして、顔を近付け――
「モミジが将来的にもっと美しく成長して、価値がどんどん上がるって事ですわね?」
「違う」
「つまり、求婚」
「だから、違う!」
しかし、半分は正解かも知れない。彼女は、出会った時から出鱈目で胸はでかいが頭が軽い所もあるが、最初より、もっと――
「お姉様? どうしました? そんなにモミジをじっと見て。孕んでしまいますわ」
「しねえよ!」
「お姉様のけちんぼー」
「まだまだよ。お前みたいな未熟な……」
「うん?」
その時、首を傾げたモミジの胸が大きく揺れた。くっそ!
「と、とにかく、お前の鑑定結果はまだ出ないわ。だから……お前の人生をもって、お前の価値を、この私に示しなさい」
絶対に言葉に出してやらないけど。
「つまり、将来的に愛しているって事ですわね! きゃー、モミジ嬉しい」
「きゃー、姫百合、困る」
と、棒読みで返した時――錆びかけた鈴が大きく揺れた。
「あの、ここって『紅月鑑定屋』さんですよね!?」
大慌てで扉を開けた年若い娘が握り締める色鮮やかな紙には見覚えがある。
となると、この後の展開も予想が出来る。
――まったく、少しは手加減してくださいよ、先代。だけど……。
相手が女だからか、警戒しているモミジを一瞥した後、私は客人に向き合う。
「ええ、『紅月鑑定屋』二代目主人、紅月姫百合よ」
――お前と一緒なら、何でも乗り越えられるような気がするの。
「さあ、鑑定を始めましょうか」
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