所変わって、高級宿屋。
「商区」からは少し離れ、華族の住まいが多い場所。背の高い洋館に挟まれた宿屋の最上階に、『彼女』はいた。
「あらあら、決着ついちゃったのね、残念」
黄崎樒は、高い建物の一室から双眼鏡で街路を見下ろしながら、言った。
「結局、”伝説”が生まれた瞬間には立ち会えなかったか」
「樒様、もう良いでしょう? 帰りましょうよ。妖刀騒ぎのせいで、街路には警察が集まり始めていますし、これ以上の長居は……」
「そうね……彼が、辞めてしまったのなら……これ以上の期待は無意味ね。あーあ、彼なら成し遂げてくれそうだったのに、残念、残念。所詮、人間になれなかった者の末路は、こんなものか」
「彼って、今回の辻斬り犯の男の事ですか?」
「さあ、どうでしょう……って、あらあら」
樒は下ろしかけた双眼鏡で再び街路を見下ろし、とても嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、そう……似たような考えの子って、稀にいるものね。良かった、これなら、伝説が生まれる瞬間に、立ち会えそうだわ」
「樒様」
咎めるように言う少女――黄葉に、樒は肩を竦める。
「分かっているわ。<原色>の私が、表舞台に立ったら、大騒ぎになるって言うのでしょう? 心配しなくても、私はここから一歩も動かないわ。ここで、ただ見物するだけだから」
「約束ですよ」
「本当に、うちの『椛』は固いのだから……でも、お前の所の『椛』はどうかしらね? 紅の鑑定士ちゃん」
街路を動く小さな点を見つめながら、樒は微笑んだ。
歌劇を楽しむ、観客のように――幕が閉じる瞬間を待ちながら。
*
住宅路。多くの人が遠巻きに怯えた瞳で見守る中、警察に拘束された平良は歩く。
彼が歩く度に、道には包帯から零れ落ちた鮮血が跡をつけていく。
――これで、いい。
平良は、今まで嫌っていた周囲の視線も、声も、何も感じなかった。
――結局、俺はなれなかったんだな。妖刀にも……。
――当たり前か。所詮、俺は名を持たぬ者。人にも化け物にも怪談噺にも……何者にもなれない。
と、その時、自分を連行する警察の足が止まった。
「平良!」
聞き覚えのある声に顔を上げると、見知った――しかし決して会いたくなかった少女が立っていた。
息を切らしながら歩く少女――茉莉を、平良は睨み付けた。
「何をしに来た!」
「……っ」
茉莉が怯えて両肩を上げた。
「怒鳴られただけで怯えるようなお嬢ちゃんが来るような所じゃないだろ。とっとと帰れ」
「平良、私は……」
「近付くなって言ってんだろうが!」
なお近付こうとする茉莉を威嚇すると、周囲から嫌悪の視線が送られてきた。
「ああ、華族のお嬢様。お怖かったでしょう。さあ、こちらへ」
平良を拘束していた警察が茉莉を避難させようと近付いた。
「貴様! 『還無』風情が、何て口を叩くんだ!」
警察の一人が、平良の顔を警棒で殴った。
「これだから、『還無』は嫌なんだ! 結局、行き着く果ては犯罪しかない。道を死体で汚すわ、生かしておいてもろくな事になりゃしな……」
男がそこまで言いかけた時。
鈍い音が、男の背後でした。そして――ゆっくりと倒れた。
「あら、ごめんなさい。当たっちゃった?」
悪びれた様子なく現れた二人組の姿を見て、平良は目を見開く。
「お、お前……鑑定士!」
*
「悪気はないんですのよ。ちょっとお姉様と鉄扇で蹴鞠をしていただけで」
「こらこら、モミジ。それじゃあ蹴鞠じゃなくて、蹴扇子じゃないの」
「あら、モミジとした事が」
「まったく、こいつはー」
「あははは!」
あらかじめ打ち合わせした会話をしながら、私とモミジは立ち尽くす警察を退け、目的の人物――辻斬り犯の平良の元へ行く。
「一体、何の用だ? もうお前達の用はすんだ筈だろ」
案の定、彼は威嚇するように吠えた。
「いいえ、まだよ。まだね、依頼が残っているの」
「依頼だと? はっ、一体何の……」
そこまで言い掛けた時。私の後ろに立つ少女の姿を見て、平良は絶句した。
「平良……」
「……っ」
茉莉の姿を見た途端、彼は分かりやすく視線を逸らした。その様子に胸を痛めながらも、茉莉は彼に近付く。
「待ちなさい、お嬢さん。ここは危ないから」
が、茉莉の行く手を警察が止めに入った。
「あら、可愛い警察さんねぇ。ねえ、お姉さんのお悩み、聞いてくれないかしら?」
行く手を阻んだ男に、雛菊がのし掛かるように肩に手を伸ばした。
「え、あの……自分は、凶悪犯の護送中で……」
「えー、お姉さん、今がいい。ねえ、駄目かしらぁ?」
それに続く形で、モミジがわざとらしく道の真ん中に倒れ込むように座った。
「うぅ、痛いですの。モミジ、足がとっても痛い痛いですのー」
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
「痛くて、痛い、痛いですの。ねえ、どなたか、肩を貸してくださらない?」
「では、自分が!」「いえ、自分が!」「わたくしめが!」
案の定、モミジに男どもが一斉に食らい付いた。
ここまで来れば、あとはあの二人に任せれば大丈夫だろう。
「あー、お姉さん、何だか胸が苦しくなってきたわ。誰か、さすってくださらない?」
「モミジ、喉が渇いて、からからですわ。どなたか、果汁飲料買ってきてくださらない?」
「お姉さん、足が疲れちゃった。誰か、足置きになってくれないかしら」
「モミジィ、座りすぎてお尻が痛い痛いですわ。どなたか、椅子になってくださらない?」
段々と注文が過激になってきたけど――まあ、この際いいか。
そして、それにころっと欺される男どもが公安で、この国は大丈夫だろうか。
――まともな奴が応援に来る前に、こっちは何とかしましょう。
「茉莉」
「はい」
私に諭されると、茉莉は平良の元へ歩み寄る。一応、彼が暴れ出した時のために私は鉄扇を構えながら、二人の行く末を見守る。
「何の用だよ? 無様に捕まった所でも笑いに来たのかよ? 大した趣味だな」
「違います、平良。私は……」
「迷惑なんだよ! あんたのその全てを信じていますって顔も、許しますって態度も、全部、全部……ずっと、大嫌いなんだよ! お綺麗な世界のお綺麗なお嬢さんが、こっち側に来るんじゃねえよ! 俺は、あんたみたい奴が……」
「待っています!」
声を張らして茉莉が叫んだ。
見た目からは想像出来ない大声に、周囲がしんと静まり返る。
「ずっと、ずっと、待っています」
「何で……何で、そうなんだよ、あんたは! 俺は、あんたの顔に泥を塗ったんだぞ。あんたの蔵から刀を盗んだ! 人を殺した! なのに、どうして、まだ……そんな目で、俺を見るんだよ。そんな目されたら、俺は……もう……」
「……それでも……私は、貴方の主人です。だから……」
「そんなの、あんたが汚い世界を知らないだけだからだろ。綺麗な世界で生きてきたから、そんな事が言えるんだ」
「なら、私を、穢してください」
「え……」
別の意味にも聞こえる言葉に、その場にいる全員が固まった。
「私は、貴方の主人です。もし貴方が汚れているというなら、その穢れごと、私は貴方を受け入れます。だから、ずっと、ずっと、待っています。貴方の帰りを、ずっとあの屋敷で待っています」
「ばか、じゃねえの。そんなんだから、簡単に欺されちまうんだろうが。そんなんだから……あんたが、そんなんだから、俺は……期待しちまうんだろうが。あんたがそんなんだから、俺は……何を恨めば、いいんだよ」
「平良……」
平良が、膝を折った。
「う、うわああああああああああっ!」
大の男がみっともないと思うだろうか。
連続殺人犯の慟哭が、静寂を切り裂いた。喉をからしながらも叫ぶ声は、恐ろしく――そして哀しげで、誰も彼を咎める者はいなかった。
ただ彼が泣きやむまで、誰も何も言わず見守っていた。
「平良……」
泣き叫ぶ彼の背を、茉莉がそっと撫でた。母が子をあやすように。
「私が待っているって事、忘れないでくださいね」
「うるせえよ……小娘」
悪態をつきながらも、彼の横顔は、どこか満足そうで――何かから解放されたようにも見えた。
――待っている、か。
最後の最後で、残酷な事をいうお嬢さんだ。
戻ってこられない事は、当の本人が一番理解しているだろう。
何人も殺している以上、物語のような結末は望めない。権力や資金で罪を軽減出来る華族とは違う。窃盗と殺人となると、おそらく――
「……」
茉莉も結末は分かっているのか、どこか哀しげな表情で彼を見つめていた。
彼の結末を考えると、罵声の一つでも浴びせてやった方が、あの男も諦めがついたかも知れないが――
「残酷ね」
ぼそり、と警察を骨抜きにしていた雛菊が、いつの間にか私の隣に立っていた。そして、私にしか聞こえない声で言った。
「これから死にゆく相手にかける言葉にしては……」
「ええ、そうね。残酷ね」
美しい程に――。
「さあ、もういいだろ」
警察に促され、茉莉と平良の別離の時は終わった。
平良は再度連行され、茉莉がそれを見送り――
ざしゅ――
肉の切れる音が、響いた。
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