真贋乙女―ユリとコウヨウ

刀剣乙女の目は誤魔化せない
霜月セイ
霜月セイ

太刀・雷切⑦

公開日時: 2020年11月25日(水) 23:11
文字数:3,468

モミジが葛切を振り返った時、菅野の姿が消えていた。

 この騒ぎに生じて逃げ出したか、と周囲を注意深く確認していると――少し離れた位置で、がしゃん、と硝子の割れた音が響いた。

「まだ、終わりではない!」

 部屋の隅の硝子箱がらすけーすが割れていた。

 ――あれは……。

 菅野は硝子箱がらすけーすを割って中から展示していた太刀を取り出した。腰反りが深く、大柄な刀。とても室内――いや、あの男の腕では振り回す事も出来そうもないが。

「もう! 往生際が悪いですね!」

 モミジが照準を菅野に固定しようとした時、私がその銃身を掴んだ。

「お姉様?」

「“あれ”を傷つけるな。価値が下がるわ」

「価値って……」

 モミジは問いかけるが、続く言葉は菅野の声がかき消した。

「許さん! お前達、絶対に……許さん!」

「やめておきなさい。あんたに、“それ“は相応しくない」

「黙れ、黙れ! 馬鹿にしおって! お前さえいなければ……こんな事には!」

菅野が太刀を振り上げた。しかし、反りの深い太刀は元々馬上で戦う用に作られた物。室内では不向きであり、太刀の重みがずしりと彼にのし掛かる。

 それでも闘争心だけは健在のようで、菅野は千鳥足になりながらも私に向かう。

「その根性だけは評価しましょう。だけどね……」

 私は一歩踏み出すと同時に、菅野の隣へ移動する。数秒遅れてから羽織りがふわり、と舞った。

「んな!?」

 菅野が太刀を振り下ろす寸前、それを鉄扇で受け止める。

「軽いわね……」

 鉄扇で掬い上げるように太刀ごと菅野を押し返す。突然目の前に現れた私に動揺していた事もあり、菅野の身体は容易に体勢を崩した。

「ひっ……!」

 菅野の手から太刀が離れたため、支えを失った太刀はちょうど彼の股の間の床に突き刺さった。目の前に鈍い光を放つ刀身があり、菅野は小さく悲鳴を上げて後方に下がろうとしたが――

「あ、今動くと……」

 びり、と不吉な音が響いた。太刀の刃先が彼の洋袴ずぼんを貫通させていたせいで、後ろに下がった拍子に股の部分が大きく裂けた。

「破けるわよ」

「早く言わんかい!」

 周囲から悲鳴ではなく笑い声が響いた。ここで悲鳴を上げる娘がいたら問答無用で捕まっていただろう。

 洋袴ずぼんが破けたせいで立ち上がる事が出来ず、股間を押さえて座り込むという――何とも誤解される体勢のまま、菅野は顔を真っ赤にして私を睨んだ。

「ちょっと、そこの悪党! お姉様に何するんですの!」

「されたのは俺の方だ!」

「ああ、お姉様! そのような汚い物を見てはいけません。お姉様には、モミジだけを見つめて……むしろ、今ここで脱ぎ……」

「そういうのいいから」

 両手を広げて向かってくるモミジをかわすと、私は目当ての品を拾い上げる。

「さて、今回の鑑定料にこの子は貰っていくわ」

「貰っていくって、お姉様、ここの刀って、ほとんどが贋作なんじゃ……」

「ほとんど、がね」

 その言葉で察しの良い連中は気付いたようで、モミジはにんまりと勝ち誇った顔で、菅野と安部は心底悔しそうな顔で太刀を見た。

「部屋の隅に展示されていた、名札のない刀。だけど、これだけは、正真正銘の真作の備前物よ」

「それが、真作!?」

 菅野が目を見開いて太刀を見る。だけど、もうあげない。これは私のだから。

「やはり気付いていなかったね。こいつは真作、それも『浪漫財』に当たる古刀よ」

 がっくりと肩を落す菅野に、モミジが歩み寄った。

 微笑みながら、モミジは彼に見下ろす。傍から見れば、天女が男を慰めているように見えるが――真逆だ。

あの女は、そんなに優しくない。

「おじ様。随分と真作や贋作にこだわっているようでしたけど……そのわりに、本物と偽物の区別も出来なかったんですね」

 にっこり、と微笑みながら、モミジは彼の耳元に唇を近付け――

「ざまぁ、ですわ」

「……っ」

 菅野は、モミジの一言で完全に心が折れたのか、それ以降何も言わなかった。

 対するモミジは、上機嫌に私の元へ戻ってきた。恐ろしい子。

「モミジ。あんた、いくら何でも、とどめ刺さなくても……」

「えー、そうは言いますけど、あの男がお姉様を逆恨みでもしたら大変ですから。そんな気を起こさないように、徹底的に心をへし折っておこうかと」

「やだ怖い」

 私とモミジがそんなやり取りをしていると、ふいに複数の人影が私達を囲んでいた。

 一瞬身構えたが、甘い香水の香りに、すぐに警戒を解いた。

「格好良かったです、鑑定士のお姉様」

 気付けば、周囲を華族の令嬢達に囲まれていた。

「無傷で、解決したその手腕」

 いや、約一名プライドというプライドずたずたにされていますが。

「誰も傷つけずに勝利するなんて、素敵です、お姉様」

 知らない間に、お姉様呼びが確定されている。

「下がりなさい、小娘どもが! お姉様はモミジのお姉様です! 触れていいのは、モミジだけですわ」

 モミジが見せつけるように、私の肩に腕を絡めるが、力が強すぎて骨が軋んだ。

 と、その時、令嬢達が嘲笑と共に何かを囁き合った。

「ですけど、菅野様にはがっかりしましたわね」「まったくですわ。ですが、見世物としてはちょうど良かったんでなくて?」「ええ、確かに。あれは滑稽でしたわね」「あら、私は最初から怪しいと思ってましてよ」――次々に聞こえる薄っぺらい言葉に、私は小さく溜め息を吐いた。

 そして、軽く前髪を掻き上げると、野次馬の華族達を見る。

「貴女達も同じでしょ」

 私の言葉で、その場は一瞬でしん、と静まりかえった。

 私を賞賛する華族の娘達を横目で見ると、何故か娘達は狼狽えながら視線を逸らした。

「名前ではなく、本質を見なさい。物は、嘘はつかない」

 名品だから良品ではない。『浪漫財』だから価値が高いのではない。

「刀匠が魂を込めて鍛えた刀を、今度は侍が魂を宿して戦い……そして、私達がその魂を読み解く。ゆえに『浪漫』なのよ。人が心血注いで生み出した物に、悪い奴なんていないわ」

 そこで一度言葉を切ると、私は後方にいた五鈴に歩み寄る。

「五鈴。あんたが見ていたのは、いつだって本質。刀の名前じゃない……刀にのせた、人の愛情。それを読み解き、受け継いだあんたは、他の誰よりも、それを持つに相応しい」

真作だろうと何だろうと刀剣を大事にしていた。刀への愛ごと継承した五鈴は、この中で一番本質を理解していた。

「刀だけじゃない。その刀の歴史と、その歴史の中で紡がれた人と人の絆ごと刀を大事にしていた。だから、誰よりも、その刀の主に相応しい」

「姫百合さん……」

 五鈴が、笑った。正直初めて見るかも知れない。何かを決意した――まったくもって美しい笑顔だ。

 釣られて笑うと、何故かモミジに足を踏まれた。酷い。

「あ、あの……」

 その時、おそるおそる令嬢達が声をかけてきた。

 が、どうやら声をかけられたのは私ではなく、五鈴の方だ。彼女達は、恥ずかしそうに下を向き――五鈴に向かって頭を下げた。

「ごめんなさい! 鑑定士のお姉様に言われて、気付きました。私達も、名前しか見ていなかった。その刀が、貴女にとってどれだけ大事か、どんな歴史を持っていて、だからこんなに美しいんだ、って……知ろうともしなかった」

「菅野様に食ってかかった貴女を見て、思ったの。私達も、華族の名前に恥じない娘にならないと、って」

 建前ではない。本気でそう思っている令嬢達は口々に謝罪し、五鈴に頭を下げた。華族が平民(『浪漫財』所持という点では華族でもあるが)に頭を下げるなど、滅多にない――というより初めて見た。その光景に小さな拍手が起き、私はつい呟いてしまった。

「なかなか、美しいじゃないの……」

「えっ……」

 私が呟いた途端、令嬢達が顔を真っ赤にして狼狽え始めた。中には貧血だったのか突然頭から倒れ出す娘もいた。

「ちょっと、大丈夫?」

 私が声をかけると、その瞬間にまた一人倒れた。どうなっているんだ。

「お、お姉様の浮気者! モミジというものがありながら、酷いです! だけど、好き!」

「だから、何なんだよ、お前はいつも!」

 ――よく分からないけど、あとは使用人が何とかするでしょう。

 私は羽織を翻し――鉄扇を景気よく鳴らした。

「これにて、鑑定終了」

 

「お姉様! 放置しないで下さい! この天然たらし! だけど愛している!」

「バカやっていると、おいていくわよ」

「待って、お姉様! モミジは、たとえ遊びでも、一生お姉様を……あ、本当においていかないで下さい! お姉様ああああああ!」

 

 後日、五鈴は『浪漫財』所持のため身分昇格するが――その資格を売り飛ばし、質屋を再建する事にしたらしい。今回の騒動が報道され、五鈴の店は世間から注目を浴び――そして、騒ぎを聞きつけた少年が、そこを訪れたとか、訪れなかったとか――。

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