「で? それで果南さんとケヤキさんは行ってしまった、と」
あの後、彼は診療所へ運ばれて緊急入院した。しかし、闇世界で長い間生きてきただけはあり、その身体は頑丈であり、常人の三倍の速度で回復し――全治三ヶ月にもかかわらず、三日で全快ではないが、普通に出歩いていた。
正しくはまだ退院ではなかったのだが、あれだけの騒ぎがあったせいで居づらかったのか、二人は姿を消した。
「巷じゃ使用人とお嬢様の禁断の愛、とか駆け落ちとかで盛り上がってましてよ」
「のようだな。どうやら東宮が築き上げた商流が二人を手助けしたようだな」
数日後に送られてきた文によると、二人は父親のかつての商売仲間や取引先などを頼りに点々と町を移動し、今は自分達の事を誰も知らない町でひっそりと暮らしているらしい。
「だからって、一言くらいあってもいいじゃないですの! あれだけ頑張ったのに、刀は壊れるわ、華族の坊やだってちょっと華族界で後ろ指刺されるくらいですし」
沼倉良太は、あれでも華族だ。家柄による面子が関わるが、今回の騒動自体彼が独断で引き起こした事らしく――結局、果南への求婚話が漏れて、華族の間では「商家の娘に求婚して振られて逃げられた」、「商家の娘を物にしようと不良まで雇ったが、駆け落ちして逃げられた」と言われており――まあ、あながち間違っていないか。
「まあ、面子第一の華族様としては大打撃で、ざまあ、って感じですけど。ふふふのふー。人の恋路を邪魔するからですわ」
「お前、本当に歪みないわね」
そういえば、この子、この手の恋愛物語好きだったな。よくそんな内容の小説を読んでいた気がする。
――そういう所は、年頃の娘か。
「お姉様! モミジとお姉様も、十分禁断の恋ですわ! 負けていませんわ」
「張り合うな! そもそもお前の一方通行だ!」
背中から抱きついてくるモミジの身体を無理やり引っぺがすと、ちょうど鳩時計が鳴いた。
「あら、もうこんな時間ですの。待っていてください、お姉様。すぐにおやつの準備をしますわね」
「今日は何?」
「もみじまんじゅう。あ、まんじゅうってそっちの意味では……」
「そういうのいいから」
「ふんふんふーん。モミジとお姉様はー♪らーぶらぶ」
日課である姫百合との午後三時のお茶時間の準備をしながらモミジが鼻歌を歌っている時。ふいに、モミジは思い出すように呟く。
「そういえば、ケヤキさんって……」
*
所変わって、とある宿。
果南と二人で流れの旅に出たケヤキは、宿の一室で窓の外を眺める。
ちょうど治療をかねて湯治の土地へ訪れたため、温泉宿でしばらく泊まる事になり、果南はまだ温泉だ。ケヤキは昔の習慣で部屋の安全を確認するために少し早めに出てきたが。
――お嬢様に知られたら、また怒られそうだ。
今までの自分では想像も出来ない程に穏やかな笑みを浮かべながらケヤキは思った。
その時、窓から欅の木が見えた。落ちた葉っぱが部屋の中に入り込む。
――そういえば、あのモミジとかいう女……たしかカタカナでモミジだったよな。
随分と身のこなしが良かったが――
「カタカナの方で良かったな。紅葉や黄葉ならともかく……もし椛の方だったら……不吉すぎる」
――もし椛だった時は……。
*
「ケヤキさんって、カタカナでケヤキさんでしたよね?」
お茶の準備をしながら、モミジを呟く。
「事情が事情にしろ、そうそうに出て行ってくれて良かったわ。だって、カタカナで樹木の名だなんて、不吉すぎますもの。もし長居するようなら……」
「消さなきゃいけない所だったわ」
「殺さなくては、いけない所だったからな」
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