「ケヤキ!?」
沼倉が短刀を振り上げた時、それを振り降ろす寸前に両者の間にケヤキが入り込み、沼倉の手首を掴んだ。そして、あろうことかケヤキはそのまま彼の手を使って自分の腹を刺した。沼倉の力だけならそこまで入れない程深く突き刺さる。
「お、お前何して……!?」
沼倉の手から、力なく短刀が落ちた。ケヤキの血がべっとりついた短刀を見て、沼倉は震えながら後退した。
「ち、違う、僕は……そいつが、勝手に……」
「違わ、ないだろ。あんたは、俺を刺した。ここに、あんたの指紋がべっとりついた、俺を刺した短刀がある。出る所出たら、終わるのはあんたの方だ。分かったら、失せろ。そして、二度と……お嬢様の前に姿を見せるな」
「……っ」
自尊心の高さを逆手に取った脅しだ。沼倉が悲鳴を上げて逃げ去るのを見送った後、ケヤキは両膝を折った。しかし、倒れる事なく、膝を追った状態で地面に蹲っていた果南を見ると――満足げに微笑んだ。
「お嬢様、良かった……これで……」
「ケヤキ!」
ふっと全ての力を抜いた彼の身体を、果南が正面から受け止めた。
「モミジ、医者を!」
「は、はい!」
モミジが診療所のある方角に向かって走り出した。モミジの足ならすぐに医者を背負って戻ってくる。それまで彼が持つか、の話だが。
果南は横に寝かせたケヤキの傍で膝をつくと、すぐに手拭いを取り出す。それを腹部に押し付けるが、出血が多く、すぐに水分を吸っていく。
「ケヤキ、どうして……。あそこまでする必要なんてないでしょ。あなたなら、あの程度……」
彼女の手元で、白い布が紅く染まる。
「まだ分からないの? とんだお嬢さんね」
「姫百合さん……」
泣きそうな顔で、果南が私を見上げる。
この子は、本当に分かっていないのか。それとも、気付かないだけか――。
「もし、彼がただの使用人なら、多少の情はあったとしても、ここまではしない。何故なら、今のあんたには彼を雇うだけの財も力もない。会社を失い、雇用主だった父を失い……もう彼を縛るものはない。なら、どうして彼は、今でもあんたの傍を離れないの?」
「そ、それは……」
「あんた、言ったわよね? 自分には何もないって。この砕けた刀以外、何もないって。もし本気でそう思っているなら、とんだ格安なお嬢さんね。何もない? 一体何処を見て言っているの」
私は両膝をつく果南に合わせて片膝をつき、折れた刀の欠片を見せる。
「あんたの家を護る刀はもうない。だけど、あんたを護る刀はまだ在るでしょ」
「……っ」
そこまで言われて初めて気が付いたのか、果南は嗚咽を噛みしめるように右手で自分の口を覆った。
「だけど、私……何も、持っていない。ケヤキに、あげられるもの、なんて……」
「やめろ……お嬢様を、泣かすな」
弱々しい声で、ケヤキが私を制す。
「お嬢様……」
ケヤキが、すがるように果南の左手に触れた。
「逆です、お嬢様。俺は、貴女から頂いたんです。貴女は、憶えていないかも知れませんが……あの時、俺は深い闇の中にいました。寒さと飢えしかない、孤独の中に……」
「やっぱり、そうだったのね」
今の言葉だけで理解するには十分だ。
「あんたの動きは、裏社会のもの。傷つける事を躊躇わず、自分の縄張りに入った奴を容赦なく叩きのめすのが当たり前の世界の連中のもの」
身近なもの――例えば彼の場合は羽根付筆だ。ああいった日用品を武器に変えるやり方も、闇社会の、社会の影でしか生きられない連中のものだ。孤児か、不良か――理由は不明だが。
「あんたと似た奴を一人知っているわ。何も持たず、自分の死すら無関心だった奴を……」
『そんな事、言われても、“私”には、分かりません。分かっていた事さえ分からない』
『だけど、この命に値打ちがあるとアナタが言うなら、それを信じます』
『この命を持って、アナタが間違っていない事を証明いたします』
『それが、私の信頼の返し方。だから、今日から、“私”はアナタのものです』
脳裏に、その時の言葉が鮮明に蘇った。
――何となく面倒な事になりそうな予感はしたけど、放っておけなかったのは……似ているからだったのね。
『だから、私を、”人”にしてください、紅月様』
この二人が、似ていたから。かつての、私と、あの人に――。
だから、放っておけなかった。
「ねえ、果南。彼の忠誠心は、まさしくあんたへの信頼の返し。違う?」
「あの時……私は、行き倒れていた貴方を助けた。だけど、それだけ。命をかける程の事、私は……」
「いいえ……暗闇の中で差し伸ばされた手は、極楽にも勝ります。あの時から、俺の命は貴女のものです。お嬢様……」
血の気が失せて青白い顔だが、彼の顔は満足げで――とても美しかった。それこそ値打ちなどつけられない程に。
「果南。あんたの刀は、確かに守り刀だった。時代が移ろうと共に主を変え、幾代も主を護ってきた。だから、お前の父や祖父、先祖もそれに倣って守り刀を大事にし、次の世代へ受け継いできた。だけど、本当にそれだけ? あんたが父親から受け継いだものは、本当に刀だけなの?」
私は周囲に散らばった刀の欠片の中から棟の部分を拾い上げる。
「長谷部一派は、南北朝に最も活躍した刀匠とも言われている。名物・へし切り長谷部を鍛えた初代が最も有名だが、国信も国重とは違った良さがある。一番有名なものは、上杉家の唐柏かしらね」
国信は、国重と並ぶ長谷部一派を代表する刀匠だ。特に、国信の良さは「皆焼」にある。私見ではあるが、国信の作風は華やかなものが多い。皆焼――刀の焼き入れの時に、大体は刃先部分のみに焼き入れされるが、皆焼は刀身の刃先だけでなく、棟や鎬などの部分にも焼き入れを行う。この作風は長谷部国重も同じだが、国重はやや抑えめに対して、国信の皆焼は見られる事も視野に入れているように、華やかで豪快なのが特徴だ。
「国信の皆焼は、同じ皆焼を得意とする作風でも、国重とは違った良さがあるわ。刀を鍛える時、どこを魅せるかが違ったんだろうね。初代と違った作風の国信を、あんたは間違っていると思う? 先人の想いを引き継ぐ事や歴史を次に繋げる事は立派だけど、今あんたがいる場所は先代達のいた過去ではなく、現在よ。だから、今一度問いましょう。あんたが継承したのは刀だけなの? あんたにとっての〝宝〟は、折れた脇差一つだけなの?」
「……違う、……」
果南は、小さく首を振った。
「確かに大事な家宝だったかも知れない。だけど、私が受け継いだものは刀でも遺産でも会社でもない。私がお父さんから貰ったもの、託してもらったもの、私の宝物、それは……」
果南は私に渡された刀の欠片を見つめた後、ケヤキを見た。そして、彼の頬に触れる。
「ある……。ここに、ちゃんとあるんだよ」
嗚咽交じりに、彼女は続ける。
「お父さんが、築いたものは会社でも、家宝でもない。きっと、私と貴方の間にあるような、そんなあったかいもの……。ごめんね、ケヤキ。私、当たり前すぎて、何も分かっていなかった。私には、貴方がいた。貴方が、どんな時も傍にいてくれたから、今こうして立っていられる。貴方は、私の最高の護り刀。だから……」
果南は一度ケヤキに向かってほほ笑むと、そのまま泣き崩れるように彼の首筋に顔を埋めた。噛み殺し切れない嗚咽が漏れ、微かに肩が震えている。
「お願い、生きて。生きていて、ケヤキ……これからも、私の傍に……」
「お嬢様……」
ケヤキは身体を起こす事は叶わないため、彼女の言葉に答えるように片手で彼女の頭を抱き寄せた。
「それが貴女の言葉なら、俺はそれに従うまで。俺は、貴女の護り刀、ですから……」
彼の言葉で顔を上げた彼女の泣き腫らした瞳と、彼の労わるような瞳が重なった。普段なら美しくない、と思うだろう泣き顔や血だらけの姿が、何故か無性に愛おしく――美しい、と思えた。
「そうそう、まだ鑑定結果を言っていなかったわね」
私が声をかけると、二人は同時に顔を上げた。
「最高価格よ……あんた達」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!