今朝の晴天が嘘のような雷雨で、けたたましい音が鳴り響く。
殴りつけるような風の音に隠れて、時折悲鳴に似た声が響くが、全て雨音へ飲み込まれていく。
全身を濡らした〝彼〟は視界を遮る雨や返り血を物ともせず、自分に向かってくる武装した男達を斬り倒す。ある者は刀身ごと身を切られ、ある者は身体の上下を両断され、ある者は心臓をひと突きに――。何人も切り倒した刀身は不思議な事に刃崩れ一つなく、斬り倒した血脂の汚れも全て雨が洗い流し ̄―雷光に反射して時折怪しい光を放った。
「はっはははははは!」
雷鳴が響く中、〝彼〟は笑い声を上げた。
「俺のだ! これは、俺のものだ! 誰も〝俺達〟を、止められない!」
〝彼〟は怪しく光る刀身を振り上げながら、臆しながらも向かってくる敵を次々に斬り捨てていく。絶命する寸前に上げた助けを求める声や断末魔の叫びも、全て激しい雨音によってかき消され――やがて雷鳴や雨音に隠れた雑音は完全に途絶えた。
まさに血溜まり。赤黒い何かの群れを踏みつけ、〝彼〟は轟く雷鳴に呼応するように雄叫びを上げた。
「やってやるぞ! これで、俺はやり遂げてみせる! さあ、世界に復讐へ行こう」
雨は一層激しさを増し、行く手を阻むような豪雨の中、〝彼〟は刀身を天に掲げながら走り去った。
*
「贋作ね」
時刻は、昼前。五日ほど続いた豪雨が嘘のような快晴。窓から差し込む日差しが電球代わりをしている部屋の中で、私は目の前の客に鑑定結果を言う。
「額にして、一一四圓【現代推定価格・約五三万円】。まあ、相場価格ね」
作業机の上には、ひと振りの打刀。そして、目の前に座る二〇代前半の男が、今回の依頼人だ。洋服に身を包んだ青年は、がっくりと肩を落とした。
「う、嘘だろ……買った時は、店の人が村正って言っていたのに……」
所持している物が人の価値を決める時代。大政奉還が起きる新時代前の物は大変価値があり、このように「ひょっとして『浪漫財』かも」と思って鑑定依頼にくる若者が最近多い。
「よくある贋作の手順ね。この銘をよく見て。これは、元々あった銘を切り直して村正の銘が刻まれている。贋作で一番多いやり方なのよ」
「多いやり方って、贋作ってそんな多いんですか?」
「ええ、旧時代……彼理の黒船来航以来、刀屋は爆発的に繁盛した。特に刀が主流となっていた当時は、皆、人気のある刀を求めたの」
買っただけで満足する奴が持ったところで刀の価値が下がるだけだがな。
「しかし、繁盛する反面、生産が追いつかず……特に当時人気だった虎徹は、刀屋も求められる事が多かった。そのため、刀屋の多くは他の銘の入った刀の本来ある名前を切り直し、虎鉄の名前を上書きして売りつけていた。虎鉄に贋作が多い原因の大半が、これ」
客の要望に答えられなくては、商売屋ではない。だが、ないものはない。
特に虎徹は人気ゆえ量産され、「虎徹と言われたら贋作と思え」と言われる程に贋作も多く出回った。当時の鑑定屋はさぞ苦労しただろう。
「ちなみに、新撰組の近藤勇が愛用していた長曾禰虎鉄も贋作だって言われているわ。特に有力なのは、同じく人気のあった源清麿の銘を切り直したもの……という説かしら」
故人の刀に関する説は様々であり、本当かどうかは刀に聞くしかない。特に近藤の虎徹は鑑定界でも意見が分かれる程、難しい。たとえ贋作でも、あれを鍛えた人物は相当の腕の持ち主だ。
「でも、贋作だったんですよね。じゃあ、俺の刀も、名刀とは言えないか……結構綺麗な刀で気に入っていたのにな」
「そうとは限らないわよ」
「え?」
「長曾禰虎鉄は確かに贋作だったけど、当時の刀剣の中では、頑丈の上に最強だった事も事実。あの時代、刀の真価は戦場で発揮される。つまり、強い刀が、名刀って事」
時代が移ろうと共に社会や人が変わるのと同じく、物の価値もまた変わる。今の時勢、旧い物の保存状態や逸話などで価値が決まるが、あの時代の刀では、目の前の敵を幾人斬れるかどうかだ。
「刀は繊細で、一人二人斬れば使い物にならなくなる。しかし、中には燭台ごと斬る刀や罪人の髭や膝ごと斬る刀もあるように、〝斬るため〟に生まれた刀もあるわ」
当時、刀の切れ味は、罪人の胴体を重ねて斬って確認していたらしいが――その中でも長曾禰虎鉄は二人の胴体をまとめて斬った上に、その土台まで斬ったと言われる、稀に見る名刀だ。
「長曾禰虎鉄と真作の虎鉄だったら、長曾禰虎鉄の方が刀としては上かも知れない。贋作だから、といってないがしろに出来ない。だから、刀は面白いのよ」
「じ、じゃあ、鑑定屋さんから見て、俺の刀は名刀ですか?」
「それを決めるのは、私じゃなくて、貴方でなくて? 何故なら、この刀は、お客さんのものなのだから。その刀を名刀にするのもなまくらにするのも、貴方次第ですよ」
「は、はい! 俺、こいつに恥じない男になります!」
まるで求婚のようだが――
「ええ、良い心掛けね」
今回は名前ではなく本当に「物」を「物」として購入したようで、彼は残念そうだったが――どこか吹っ切れた顔をしていた。
「酷いですわ、お姉様! モミジという本妻がありながら、あのような若造に!」
「なんの話をしているの、お前は。というか、誰が本妻だ」
先に言っておくが、私にそっちの「気」はない。
おおかた先程の青年の言葉が、刀に対してでなくて、私に対してと思ったのだろうが。
「うぅ、モミジはこんなにもお姉様を愛してやまないというのに。ああ、健気で可哀想なモミジ……」
「そんな所で座り込むと汚れるわよ」
わざとらしく床に手をついて座り込むモミジを見下ろしながら言うと、彼女はなぜか頬を紅く染め――
「お姉様、起こしてくださ……」
「自分で起きろ」
「もう、お姉様は意地悪なんですから。だけど、そんな貴女が好き」
「あー、最近、珍しく客が多いから、疲れたな」
「無視ですの! 酷いですわ、でも愛してる!」
うるさい。
作業机で書類を整理していると、モミジが覗き込んできた。胸元のでかいブツのせいで、影になってしまい見にくい。
「ですが、確かに珍しいですわね。先程ので五件目だなんて……一日でそんなに来るなんて、希少しすぎて、逆に不気味ですわ。明日、世界が滅ぶんじゃないでしょうか」
酷い言われようだ。確かに、珍しいが。
「あら? そのわりに、あまり儲けがありませんわね」
「そりゃ、相手はみんな学生さんだからね。高額な請求は出来ないわよ」
「お姉様、慈愛に満ちあふれている! 素敵」
モミジは一度うっとりと顔を輝かせたが、すぐに元の顔に戻った。忙しいな、顔が。
「そういえば、皆様、贋作でしたわね」
「ええ、一体どこで買ってきたのか」
ここ最近、訪ねてくる客はみんな学生だった。そして、全員が贋作であり――
「ですが、お姉様。なーんか妙じゃないですか? 最近きたお客様って、みんな、これは村正じゃないかって鑑定ばかりで。それも全て安物の贋作……」
「それは、巷を騒がせている事件のせいじゃないかしら」
女にしてはやや低めの声が聞こえ、同時に顔を上げると――扉の鈴の音色と共に、見知った顔があった。
「雛姉……」
髪の色は黒というよりも暗い青色であり、一つに結った髪の結び目には蝶の髪留めが光る。極端に長い前髪のせいで左目が隠れてしまっていて分かりにくいが、彼女の瞳は左右で色が異なっており、右目は桜色、左目は檸檬色。全ての色がばらばらである。そのせいか、そこにいるだけなのにかなり目立つ。
それに加えて――闇から浮き出たような黒一色の忍装束。袖がなく、白い肌が大胆に露出している。露わになっている左の肩から肘にかけて蝶の刺青が目立つ。白い肌の上を舞うように彫られている蝶は、今にも何処かへ飛んでいきそうだ。
「やあ、お嬢ちゃん達。お久しぶりね」
豊満な胸元を揺らしながら、彼女――雛菊は、作業机まで歩み寄る。
――くそ、どいつもこいつも、成長しやがって。
「情報屋の雛さんじゃないですか」
と、どこか棘のある口調でモミジが立ちふさがった。胸が思いっきり揺れた。
「以前、お伝えしましたわよね? 用がないのに、モミジのお姉様に接近するのはやめて下さいって。ぶち殺しますわよ」
「あらあら、恋する乙女は盲目ね。心配しなくても、貴女達のような趣味はなくてよ」
モミジと雛菊が、対峙するように立つが――でかい胸のせいで、互いの胸が押し付け合って、絵面的にまずい事になっていた。
「ちょっと、お姫ちゃん。少し従業員の教育がなってないんじゃないのー」
「従業員じゃありません! 本妻です!」
「うん、違うけどね」
――あー、面倒くさい奴が来たもんだ。
彼女――雛菊は、表と裏両方に名の知れた情報屋だ。色んな業界に顔が利き、鑑定界でも有名だ。短時間で確かな情報を入手出来、情報屋としては信用出来るのだが。
一つだけ、この女には問題がある。
「もう少しお嬢ちゃんと遊んでいたい所だけど、今日の私はただの案内人よ」
雛菊が後ろに視線を移動させるが、でかい奴二人に並ばれたせいで、私の位置からは何も見えない。仕方なく立ち上がって、雛菊の視線を追うと――また扉の鈴が鳴った。
「まったく……相変わらず小汚い店だな。紅月先生が泣くぞ」
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