*
――あなたは、『私』を美しいと言った。
外見、知能、品性。
あらゆる箇所から総合的に評価して、確かに『私』は高額で取引に値する存在だったのかも知れない。
格安の値札をつけられたら、そのまま形を保てず、簡単に解体されて、部品ごと売買される事だってある。だから、高額で取引される『私』は、他に比べると、幸せなのかも知れない。
だけど――
『お前はバカなの?』
美しいと言われるよりも、愛らしいと言われるよりも、欲しいと言われるよりも――その言葉が、一番痛くて、哀しくて、だけどとても嬉しく思えたんだ。
*
季節は初夏。
だいぶ日が長くなり、少し前まではまだ薄暗かった時刻でも、日差しが入り込んで眩しい。
――いつもより早いけど、起きるか。
日差しと妙な寝苦しさに起こされた私は、仕方なく身体を起こそうとすると、足が何かに当たった。
「あ、お姉様。もう起きられるますか? いつもより早いのですね」
「何でお前が当たり前のように、私の寝台具の中にいる!?」
寝起きではっきりしない意識が一気に覚醒した。
――最近は大人しかったら、油断していた。
そうだ、こいつはそういう奴だった。
彼女――モミジは、人の布団の中に潜り込んだというのに、悪びれた様子どころか、どこか照れたように頬を紅く染めた。
「お姉様。まだ明るいのに、そんなに見つめられた……」
「言わせねえよ!? 大体何ていうか分かるからね」
と、私は彼女の襟を掴むと、ぽいっと床に下ろした。
「お姉様。“お前の考える事なんて丸分かりだぜ”だなんて……モミジ、照れてしまいますわ」
「いいわね、お前は本当に幸せそうで」
「お姉様が望むなら、今日は一日このまま布団の中で過ごしても、モミジは全然構いませ……」
「起きろ! そなたは鬱陶しい!」
今度は完全に部屋の外に投げ捨てた。
なんか言っていた気がするが、まあいい。
「もうお姉様は、モミジの気持ちを知っていて、そうやって弄ぶんですから。でも、そういう所も好き、愛してる」
「あーはいはい」
とあしらってみたが、私が支度をして食卓に向かうと、既に朝食の準備は出来ており、店の方も掃除が行き届いていた。
きっと私よりも早くに目覚めて、全ての支度を終えてから忍び込んだのだろう。
――あの性癖さえなければ、本当に良妻なんだけど。
いや、別に嫁に欲しいわけではないが。
「お姉様。最近はお客さんが多くてご無沙汰でしたら、今日くらいはゆっくり……」
と、脱ぎかけたモミジの肩を掴んで、服を戻す。
「多いなら問題ないでしょ。私達からすれば死活問題なんだから」
「それもそうですんわね。お姉様とモミジの将来のためにも、貯金はしっかりしないと。あ、でも、モミジ、挙式は別に豪華でなくても……」
と、莫迦がまた莫迦を言いかけた時。
私にとってはタイミング良く、玄関の鈴が鳴った。
「あら、いらっしゃ……って、初音じゃないの」
極端に長い髪が左目を隠した、どこか影のある女の子。
背丈が低く、幼さを残した顔つき。ぱっと見た感じだと十二歳くらいにしか見えないが、たしか今年で十四才だった筈。私も年下に見られやすいが、彼女は身体つき以上に、童子の持つあどけない空気を纏っており、幼く見えるのはそのせいだろ。
「百合姉」
じゃっかん舌っ足らずの独特な発音で、初音は縋るように言った。
「お姉様、どちら様ですの? このお子様」
「こら、一応お前より歳は上よ」
明らかに敵視した視線を送るモミジを窘めていると、初音がよろよろと近付き――そして、私の顔を見ると、唯一見えている右目に涙を溜めて、突進してきた。
「百合姉、助けてっ……お爺ちゃんの刀が、取られちゃう」
所変わって、『紅月鑑定屋』の居間。
店と自宅が一緒になっているため、一階は主に作業部屋兼店内として使っており、二階は私とモミジの私生活空間になっている。
その内の、食事をする場所。
そこに、私と――いつもの通り腕にひっつきながらモミジが座り、私の正面に初音が座る。
普段は一階の店内で話を聞くが、彼女の尋常でない様子を見て、急遽二階へ移動した。ここに通した人物は初音が初めてかも知れない。
そのせいか、さっきから私の腕に絡むモミジの腕が痛い。骨が折れる。
「お姉様」
頬を膨らませながら、明らかな態度でモミジが説明を求める。
「そういえば、お前は初めてだったわね。この子は、藤田初音」
私が紹介すると、彼女――初音は小さく会釈した。
「それで、お姉様との関係は? 雛菊さんの次は、こんな小さな女の子にまで! お姉様の節操なし!」
「人聞きの悪い言い方すんな!」
と、すかさず彼女の脇を小突くと、椅子に倒れ込みながら幸せそうに「だめ、お姉様。こんな所で……」とうわごとのように呟きながら小刻みに震えていた。初音には見せないでおこう。教育によろしくない。
「初音は、こう見えて鍛冶職人よ。私の鉄扇もこの子が鍛えているの。お前の銃弾の注文先だって、この子よ」
裏社会ではそこそこ名前の知れた鍛冶職人であり、雛菊も常連の一人だ。
内気で幼い見た目とは裏腹に、彼女の元を訪れるのは裏社会の住人ばかりで――現に、彼女自身もこの時代には珍しく着物に帯刀といった、ひと昔前の格好である。
大政奉還以前の記憶が少ないが、その数少ない資料にすら残っている「侍」を連想させる。
「あら、そうでしたの。まあ、妾ならぎり許しましたが、そういう事でしたら、お姉様への接近を許しましょう」
「何でお前が決めてんの」
そして、妾ならいいのか!
案の定、初音はきょとんとした顔でこちらを見ている。ごめんね、変なお姉ちゃんで。保護者には、絶対に言わないでね。
「それで、初音。一体、何があったの? あんたにしては珍しく動揺しているようだけど」
「実は……僕の店にあった、お爺ちゃんの刀が、とられちゃったの」
「とられた、って……」
泥棒?
しかし、初音は帯刀もしており、それなりに腕は立つ。そこらの子悪党程度では、相手にならない筈だが。
「少し前に、僕の店に、華族のお兄さんが仕事の依頼にきたの。ちょっと香水きつい感じの」
「華族のお兄さん?」
何だろう。何だか、今とても嫌な予感がしたんだが。
気のせいか?
「その人が、壊れた刀剣の修繕にきたの。その時、僕の店にあるお爺ちゃんの形見の刀……」
「ああ、いつも壁にかけてあるやつね」
初音の店は、いつも神棚の代わりに打刀が壁にかけられている。
とても古い刀のようで、何度か鑑定させてほしいとお願いしているが、祖父の形見らしく、毎度断られている。
「それを譲って欲しいって言われて……」
「まさか、その人に刀を!?」
私の問いに、初音は小さく首を振る。
「”いくらでも出す”って言われて、なんか腹立ったから……目前に刀突きつけて、”お前の命と交換なら考えてやってもいい”って、言ったら、帰った」
「……」
そうだった。この子、こういう奴だった。
――何で私の周りには、まともな女子がいないんだろう……。
「お姉様? どうかしました? 何だか疲れているようですが」
「ううん、何でもないの。初音、続けて」
私が続きを促すと、初音は小さく頷く。
「その日の夕方。なんか怪しい人がいっぱい来て……無論、全員返り討ちにしてやったんだけど」
「う、うん」
「そして、店の中に戻ったら、壁の刀が、違う刀にすり返られていたの」
「それって……」
同じ事を思ったのか、モミジが顎に手をおいて言った。
「そのお客さんが仕組んだって事ですの?」
「たぶん。怪しい人達、みんな、動きが素人くさくて、とても弱かったから」
「あら、それなら、雇われた子悪党の可能性が高いですわね」
お前らの価値基準で喋るなよ。もし本当にその筋の人だったら可哀想だろ。
「だから、取り戻そうと思って……」
「華族の人をお捜しですの? それなら、お姉様よりも雛菊さんの方が……」
モミジの言葉に、初音は首を横に振った。
「ううん。一人、喋れるようにしておいたから、吐かせたの」
「あら、そうでしたの。お利口さんでしたわね」
「うん、僕、えらい」
初音への警戒心が解けたモミジは、姉が妹を可愛がるように言うが、その内容は全然可愛くない。
――人間がいる世界に行きたい。
「だけど、僕の刀……」
そこで、初音は右目に涙を溜めた。
まばたきをした瞬間に、ぽたん、と膝の上に涙が零れ落ちた。
「華族の集会所にあって、僕、入れなくて……。僕の刀なのに、お爺ちゃんの形見なのに……もう僕のじゃないって! 僕のって言っても、誰も信じてくれなくてっ……」
泣きじゃくりながら話す初音の話をまとめるとこうだ。
偽物とすり替えられた祖父の形見の刀は、華族の集会所にあり――その集会所では、美術品の競りが行われていた。
つまり、盗まれた初音の刀が、どこかの華族に競り落とされ、所有権を奪われる可能性があるという事だ。
「あの刀、僕のなのに、このままじゃ、知らない人に、とられちゃう……っ、だけど、僕、もうどうしたらいいのか、分からない……っ」
「初音……」
泣きじゃくる初音が可哀想に見え、そっと私は手を伸ばすが――
「全員、叩斬ってやろうと思ったら……」
思ったんかい!
「警察が来て、それで……」
「なるほど。それで、お姉様に助けを求めに来たって事ですわね」
モミジはそこで一度言葉を切ると、隣の私に視線を移動させた。
「お姉様。一応、聞きますけど……どういたしますの?」
「そんなの、決まっているでしょ。相手は華族よ。それも、集会所となれば、きっと華族か同等の相手でないと、敷地内に入る事すら出来ない」
加えて言うなら、あちらは初音の事も警戒しているだろう。ぼこぼこにされたようだし。
「そんなの……首突っ込む以外の選択肢、ないでしょ」
「ええ、それでこそモミジのお姉様ですわ」
それに、初音は先代の代から世話になっている大事な取引相手にして、馴染みの店でもある。そこの看板娘にして店主を泣かされたとなっては――
「可愛い方の妹分を涙は、高いわよ」
――黙ってられるか!
「お姉様……つまり、モミジは妹分卒業して、ついに妻に!?」
「お前は少し空気を読んで!」
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