「ぐっ!」
私は鉄扇で刀を防ぎながら、彼女の膝下を狙って寸蹴りをくらわす。私がそうするとあらかじめ分かっていたのか、あやめは舞うように跳ね、後方へと移動した。その時、ばらまくように散った男達の四肢が妨害したが、「おっとと」とおどけた様子で軽くよろけてみせ――踏み潰した。
――こいつ、普通に強い。
攻撃には無駄がない。それに、動作一つ一つが丁寧であり、道場武道のものに近い。実践重視のモミジやケヤキのものとはまた別の、違う次元の強さ。
一部は息のある警察もいる。もしかしたら、建物の影に隠れているだけの民間人もいるかも知れない。
――私が、何とかしないと。
――私は、この町の、鑑定士なんだから。
「モミジ! お前は、まだ息のある者の避難を」
「ですが、お姉様……」
「行きなさい。今のお前じゃ、足止めにもならない」
先の平良戦で負傷した今のモミジでは、あやめ相手では歯が立たないだろう。それでも、モミジの戦闘能力なら少しは耐えるだろうが。
――こんな毒花相手に、可愛い妹分の命を散らせてなるものか。
特に、モミジは私のためなら簡単に命をかけ、そして、あやめは簡単にその命を散らす事が出来るから。
「それに、刀剣愛好家として、黙っていられないからね」
「あらあら、防いでばかりでは、勝てないと思うけど?」
あやめが嘲笑った。
――まあ、私もそう思う。だけど……。
「あら、私は認定鑑定士よ。当然、戦闘訓練も受けているわ。それに、姉貴分として、かっこ悪い背中は、見せられないからね」
「でも、実践と訓練は違うでしょ? それは、貴女が一番分かっているんじゃない? さっきから、震えているけど」
「やかましいわ!」
それを最後に、あやめが突っ込んできた。
「はああああ!」
的確に人間の急所を狙い、あやめは突きを繰り出す。私は鉄扇で何とか防ぐが、いつまで持つか分からない。いつものように、目釘抜で刀剣を解体するという方法もあるが、それを許してくれる程、相手は甘くない。
――ていうか、こいつ、本当に使用人!?
動きが使用人のものとは思えない。あまりに素早く、瞬きすら容易に出来ない。
「よ、妖刀伝説って言っていたけど……」
突きを防ぎながら、私が声をかけると、会話には応じるようで、攻撃の手が少しだけ緩んだ。
「それと、この殺戮とどう関係があるの?」
「あら、鈍い人ですね。刀剣には、数多の逸話がつきもの。その時代は、はるか昔……空白の時代の、さらに向こう側、創世の神の時代にも遡ると聞きます」
古事記の時代の事か。いちいち言い回しが詩的でまどろっこしい。
「『浪漫財』の刀は、大体が素敵な物語を宿している。ゆえに、浪漫なんでしょうね。神話や怪奇伝説、時代ともに色褪せる物語を、刀剣という実像するものに託す事で、物語はより真実味を増し、形ある物と共に語り継がれる事で、物語は歴史となる」
「まどろっこしいわね。はっきりと言ったら、どうなの!?」
「あら、情緒の分からない人ですね。つまり……私は、真実が見たいんですよ」
「ほん、もの?」
じりじり、と刀で押し潰されるが、それをぎりぎりの所で耐える。
「本当の、物語。絵空事でも、歌劇でもない。私は、本当の伝説が見たいんです! 貴女だって、鑑定士なら分かるでしょう? 大政奉還が起きる以前の、まだ刀剣が必要とされていた時代『旧時代』の……」
空白の時代――大政奉還が起きて、江戸から明治へと移り変わる瞬間。
「何故空白なのか。何故誰も空白を曝こうとしないのか。私は、ずっと不思議でしかなかった。当たり前のようにその事実を受け入れているみんなの事を、気持ち悪いとすら思ったわ。だから、私は知りたいの。識りたいの……文字でも、言伝でもなくて、この目で、見たいの。この世界の、歴史を」
「それと、辻斬りと、何の関係があるっていうの!? 大体、何度も説明しているけど、それは村正じゃなくて、藤正!」
言い放つと共に、私は鉄扇で鋒を流し、距離を取る。
対するあやめは、斬りかかるのやめ、愛しそうに刀身を見つめた。
「言ったでしょ。私は、ただ見たいだけだって。幽霊を斬ったにっかり青江のように、雷切が雷神を一刀両断したように、抜丸が大蛇から主を護ったように……ただの刀が、伝説になる瞬間を。この子が、妖刀になる瞬間を……人を狂わす程の、美しくも狂おしい刀剣の物語が、見たいんです」
「……!」
ああ、そうか。そこで、私はようやく理解した。この女は、こういう女だ。
何故なんて、そんな問いかけすら無意味。この女にとって、人も、刀も、物語を形成する素材でしかない。怪奇物語に幽霊が出てくるように、神話に神々が出てくるように――紙の上の墨。それが、彼女の世界における私達。
ふいに、彼女の言葉が脳裏をよぎった。
『刀剣の美しさに惚れ込みまして』
あの時の「美しさ」とは、刀剣が持つ逸話や伝説を含めての意味だったのか。
「あーあ、残念。どちらにしても、私とあんたとでは、友達にはなれなかったわけか。全然、愛の重さが違うもの」
「あら? どういう意味かしら?」
「私が愛したのは、私が心を奪われたのは、何も刀だけじゃない。刀を巡って、人が起こして、人が築いた、人間の物語だからよ!」
雷切を通して、かつての友との約束を果たしたように。長谷部国信を通して、心から愛しているものに気付いたように。
「刀剣を巡る物語は、刀剣をきっかけに、人間が作り出す、人間の物語。刀が勝手に動いて紡ぎ出したわけじゃない。刀工が心血注いで生み出した魂の作品に、今度は武士が魂込めて振るって……そして、巡り巡って、今を生きる私達が、その魂の輝きを惹かれる」
私が、刀を美しいと思うのは、きっと――作った人の魂と使った者の魂、その刀を巡って生き抜いた数多の人間の魂が込められているから。だから、心を奪われる。
――私はきっと、そんな魂の片鱗に惹かれたんだ。
「物語を創るのは、人間よ。刀に心を揺さぶられて、人間が作り出すものよ!」
「どうやら、話しても分からないようですね」
と、あやめは腰を低くし、刀を構えた。一撃で決める、という彼女の殺意が伝わってきた。
――まずいかも知れない。鉄扇で耐えきれるか……。
せめて致命傷にならないように後ろに下がるが――
「あっ」
あやめが吹き飛ばした誰かの腕を踏んで体勢が崩れた。
――しまった! これは、避けられない。
すぐに体勢を戻すが、遅かった。スキを見逃さず、あやめが突っ込んできた。
「さあ、死になさい!」
少し遅れてから鉄扇を盾として構えるが――駄目だ、これは貫かれる。
咄嗟に目を閉じかけた瞬間、誰かの気配が目の前に現れた。
「……っ」
肉を切り裂く音と共に、見慣れない男の背中があった。
「あんた……平良!?」
「ざまあねえな……まったく、散々な、人生だったぜ」
平良はそう呟いた後、大量の血を吐き出した。しかし、倒れる事はなく、自分を貫く刀をしっかりと握っている。
「ちょっと! 何で、あんたが! あんたの出番はもう終わりなのよ!」
あやめが刀を動かそうとするが、刀は深く刺さり、平良の身体から抜けない。いや、そうじゃない。まるで平良の身体と刀が一体化したように、びくともしない。
平良も、倒れる事なく、がっしりとあやめの身体を刀身と一体化する事で抑えつけている。
「何している、鑑定士」
枯れた声で、平良が言った。
「早く、やれ。決着、つけてくれよ!」
「……ええ!」
それが合図になり、私は鉄扇を頭上に掲げながら助走を付け、地面を蹴る。そして、平良の身体をよじ登るように高く飛躍し――
「くっそ! 離せよ!」
あやめが暴れ出した。平良が片腕で刀を握るあやめの手を掴んで抑え込んでいるが、片腕の状態では長く持たない。
が、あやめの両端を二つの音が横切った。モミジが遠方から暴れるあやめの腕や足を弾き、雛菊がくないを投げてあやめの動きを規制した。
「くそ! くそ! くそ!」
あやめは正面の平良の身体を蹴り、何とかどかそうとするが――
「これで、今度こそ終わりだ!」
鉄扇を構えたまま、私はあやめの頭上めがけて落ち――寸前で鉄扇を開き、胸元を撫でるように裂いた。
途端、彼女の胸元から血が吹き出した。でかい胸が幸いし、致命傷にはならなかったが。だからこそ、狙ったわけだが。
「がはっ」
あやめは呻き声を漏らしながら、膝を折った。
「良かったじゃない。望みが叶って……これが、刀をきっかけに人が起こした、人間の物語よ」
と、私はとどめに彼女の首元に手刀し――あやめの意識は完全に落ちた。
「平良!」
その時、後方で茉莉の悲鳴のような声が聞こえた。
「悪かったな、村正、じゃなくて藤正か……最後まで、巻き込んじまって」
平良は刀を抱き込んだまま地面に倒れた。その時の衝撃で、大量の血がさらに噴き出し、紅い塊となった。しかし、刀が抜ける気配はなく――紅い塊と一体化した。
「まったく、散々な、人生だったぜ……」
血溜まりの中で、彼は笑った。
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