ひとまず立ち話出来るような内容でないため、もう一度店内に戻って仕切り直す。作業机前の椅子に少女に座ってもらい、その正面に私と引っ付いて剥がれないモミジ、少し離れた位置で壁に身体を預けた雛菊が立つ。
「あの、椅子ありますので、どうぞ、おかけになって……」
扉付近に配置するように佇むお姉さんが気になり、声をかけるが――
「いいえ、自分の事は、どうぞ気になさらず。飾りとでも思ってください」
と、笑顔で断られた。
――立場上の問題なのかな?
彼女は扉から動こうとせず、仕方なく私は諦めて、目の前の少女に向き直る。
「それじゃあ、話を戻すけど。えっと……」
「北神茉莉、です」
と、彼女――茉莉は優雅な態度で会釈した。品が違う。
「あちらは、私の身の回りの世話をしてくれている……」
「あやめ、と申します」
と、使用人のお姉さん――あやめは、深くお辞儀をした。その時、襟元から豊満な胸が零れ落ち――
「お姉様! モミジの桃の方が豊作ですわよ」
「うん、そういうのいいから」
案の定、両手で自分の胸を持ち上げながら迫ってくるモミジを、私は額を指で小突いて押し返す。こちらも学習しているのよ。
「今回は、お嬢様に我が儘をいって、同行させて頂きました」
優雅な仕草で、あやめは言った。
「我が儘って?」
「実は、私、刀剣に物凄く興味があるんです」
「あー、そういえば、最近、若い娘の間で流行っているんだっけっか」
刀剣の多くは『浪漫財』に該当する。そのため、刀剣を求める華族は多いが、最近はそれとは別に、「刀剣乙女」と呼ばれる刀剣鑑賞や収集を趣味として嗜んでいる令嬢達もいる。あくまで、華族の令嬢達の一時的な流行りだろうが。
少し前は、文豪をこよなく愛する文豪乙女、その前は洋菓子をこよなく愛する甘味乙女――と、華族界では、たびたび、そういった一時的に爆発的な流行がある。
最近では華族だけでなく、町娘の間にも流行しており――いつぞやの雷切騒ぎの時に刀剣展を開いていたのも、その流行による影響だろう。実際、客人は女性ばかりだった。
「へぇ。最近は町娘の間でも流行しているとは聞いてはいたけど」
こんな妙齢のお姉さんも夢中なら、少しは客足よくならないかな。
――いや、でも、また浅知恵のお嬢さんに来られて、逃げられても困るか。
「最初はそこまで興味はなかったんですけど、蔵の掃除や、刀剣の売買に同行するうちに、刀剣の美しさに惚れ込みまして」
「あ、分かる。私も、先代に仕込まれているうちに、刀剣本来の美しさに惚れ込んじゃって」
「あ、鑑定士さんもですか! あの、刀身の流れるような刃文の美しさが」
「あ、いいわよね、刃文。特に、こう荒々しい……」
「”乱れ刃”ですね。私、中でも、”濤乱刃”が……」
「あー、そっちか! 私は、やっぱり”丁子刃”が」
この人、分かっている。てっきり流行にのっかている程度かと思ったが、この人は違う。
「あやめさん! 私、貴女のような人を待っていたの」
「あら、鑑定士さんにそう言って貰えて光栄です」
「ちなみに、推し刀は?」
「村正ですかね。妖刀伝説なんて、格好いいですし」
私が彼女の元へ駈け寄り、両手を握りながら頷いていると――後ろから刺すような視線を感じた。
「お、お姉様! 仕事の途中でしてよ!」
「あ……」
モミジに怒られ、私はしぶしぶ席に戻った。
「あらあら、相変わらず仲がよろしい事」
その時、雛菊が自分の腕の上に胸を置きながら言った。
というか、よく見たら、巨乳に完全包囲されているんですが。
――新しい嫌がらせか!
私がそんな事を考えていると、扉側からくすり、と笑う声が聞こえた。
「ふふ……」
あやめが小さく笑みを零した。
――笑うと、美人度上がるな、この人。
整った眉に細めの瞳。それを際立たせるような泣き黒子が、妙に色っぽい。
それに、刀剣について分かっているとは、完璧だ。お友達になりたい。
「失礼。自己紹介の途中でしたね。私は、数週間前から北神家で使用人として働いています、あやめです。歳は秘密ですが、多分、貴女よりも少し上くらいですよ。それから……」
と、にこやかに自己紹介をしていたあやめは、そこで一度言葉を切る。そして、私とモミジを交互に見つめ、言った。
「心配しなくても、あやめは、平仮名のあやめ、ですから……」
「……っ」
思わず、息を呑んだ。
――こいつ……。
思わず立ち上がりかけるが、それを前方からモミジ、後方から雛菊に優しく止められた。そして、前後に巨乳に挟まれた。くそ!
「お姫ちゃん。戯れは、その程度にして、話を進めたら? ねえ、茉莉ちゃん」
「あ、はい」
おそらく今の会話を何も分かっていなかっただろう茉莉は、キョトンとした顔で頷いた。
「北神家の息女として、本日は鑑定士さんに依頼に参った次第です」
「北神、というと有力な華族の一族じゃないの」
よく見れば、帯留めには北神家の家紋である「北」の文字と蔓を模した文様が刻まれている。どうやら本物のようだ。
「あのー、先程、妖刀の持ち主って言っていましたけど……それって……」
モミジの問いに、茉莉はばつが悪そうな顔で頷いた。
「はい。今、世間を騒がせている『近代の辻斬り』に使われている刀の事です」
咄嗟に雛菊を見ると、彼女は無言で頷いた。雛菊が下調べ済という事は、彼女の言っている事は本当の事か。
「えっと、それが……うちの刀がひと振り盗まれてしまったのです」
「それが、今の辻斬りに使われている刀って事かしら」
「はい。あれは、<打刀・千子村正>……我が家に伝わる、家宝の一つです。私の家は、徳川と縁にある家だったらしく、旧時代から新時代へ変わる時に、徳川が所蔵していた大多数の刀が、縁ある家に流れた事がありまして……」
「その内の一つが、あんたの家に伝わった、というわけ」
こくり、と茉莉は頷いた。
私も、その話には聞き覚えがある。旧時代から新時代へ移り変わる空白の一年。その間に何があったか不明だが、最も謎とされているのが徳川の遺産だ。
徳川は政権を完全に失う直前、全てを没収される前に縁ある家や小姓などを使い、遺産を各地へ流した。他人に奪われるくらいなら隠して、かつて自分達が納めた大地で眠らせる事を選んだ。
そして、空白の期間の『浪漫財』は高額で取引され、もし彼女の話が本当なら、辻斬りが持っている刀はかなりの値打ち物。
――確かに華族が欲しがるわけだ。
スバルに依頼した華族が単純に人を殺した刀を欲したのか、高額の『浪漫財』を欲したのかは不明だが。
「旧時代。徳川は、徳川を呪う妖刀として、村正を大量に没収しました。その当時、徳川が世に出ないように隠した村正の一つが、我が家に伝わる村正です」
村正の独占か、本気で妖刀と思ったのかは謎だが、当時村正の所持は大罪だった。徳川との因縁により、勤王志士の間では「倒幕の刀」として有名であり、そいつさえあれば倒幕が成功する、勝てる、とまで言われ、多くの侍がそれを欲していた。今思えば、そういった連中に対する抑止でもあったのかも知れない。
「盗まれたって事は、犯人の目星はついているの?」
「いつ盗まれたか、くらいでしたら」
つまり犯人は分からないが時期は分かっている、という事か。
「数日前の豪雨を覚えてますか?」
「ええ、あの全国的な豪雨ね」
「はい。その豪雨の影響で蔵が雷に打たれてしまって……。使用人達がすぐに消火したので大事には至らなかったのですが、その時に何者かが蔵にしまってあった村正を持ち出して、その時消火に当たっていた使用人達を無差別に襲って……」
「何者か、か……」
ちらり、と雛菊を見ると、私の視線の意図に気付いた彼女は、豊満な胸元から数枚の書類を取り出した。他にしまう所がないのか。
「ええ、茉莉ちゃんの言っている事は本当よ。その時、蔵付近にいた使用人はほとんどが急所をひと突きにされて絶命……」
「ほとんど、という事は……」
ちらり、と壁際の彼女を見ると、彼女は小さく頷いた。
「ええ、私は、別件で、留守にしていたため、火災当時は屋敷にいなかったので」
「別件?」
私が怪しんでいるのを悟ったのか、茉莉が遠慮がちに彼女の代わりに答えた。
「父に頼まれて、隣町に使いに行っていたんですよ。そのお蔭で、あやめだけは何ともなくて……本当に、良かった」
「ありがとうございます、お嬢様。お嬢様のそう言って頂き、あやめ感激でございます」
と、あやめは演技がかった様子で、茉莉に礼を言うが――正直、わざとらしくて胡散臭い、と思ってしまった。
――何なんだろう、この人……。
――モミジに挑発してきたけど、それ以外は口を挟まず、ずっと黙っている。
――なのに、何で、こんなにも気になるんだろう。
――刀剣の話題で盛り上がったし、あんまり嫌いになりたくないんだけどな。
――モミジの事があるから、ちょっと複雑。
私がそんな事を考えていると、あやめが再び演技がかった様子で手を叩いた。
「あー、そういえば、一人だけ生存者がいましたね。お嬢様?」
「え、ええ」
茉莉が歯切れ悪く頷いた。
「そうみたいね」
その時、雛菊が言った。
「まあ、生存者といっても行方不明だから、生死不明といった所かしら」
「行方不明か……」
成程。大体の話は分かった。
蔵にしまってあった村正。落雷で蔵が火事になった時に何者かが村正を持ち出し、蔵の消火をしていた使用人達を斬り殺した。
話をまとめると、こんな所か。
――随分と、雑だな。
蔵が雷に打たれたのは偶然だ。実際、先日の豪雨は派手な爪痕を残し、同じように落雷による火事や豪雨による交通の乱れ、土砂崩れなども発生していた。茉莉の家だけが特別というわけではない。
そして、蔵で眠っていた村正もまた、偶然外に出された。
つまり、これは計画的な犯行ではなく、偶発的にして突発的な――人間の仕業。
「ところで、茉莉。一人行方不明って言っていたけど……」
「あ、はい。庭師をやっていた男で、名前は平良。二ヶ月ほど前から住み込みで働いていたのですが、豪雨の夜から姿を消してしまって。彼も蔵の消火に当たっていた一人だったのですが……何処へ行ってしまったのか。せめて、彼だけでも無事だといいんですが」
膝の上で組んだ両手を握り締め、茉莉は祈るように言った。穢れを知らない瞳の奥で、透明な滴が光ったように見えた。
――嘘ではなさそうだな。
ここ最近遭遇した華族が自分主義ば連中なかりだったせいか、彼女のような華族は新鮮に感じた。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
近付きはしないが、労るようにあやめが言った。
「彼はきっと、びっくりして逃げてしまっただけですよ」
「そ、そうよね」
「そうですよ。きっと、近いうちに、戻ってきますよ……きっと」
二人がそんな会話をしているのを危機ながら、私は雛菊に声をかける。
「雛姉。その庭師の資料はある?」
「ええ」
私がそう言うと予想していたのか、雛菊は取り出した資料の中から男の人相書きの書かれた紙を見せる。
「名前は、平良。年齢は四〇代前半……」
ここまでが茉莉が持っていた情報だが、雛菊の情報はさらに詳細まで記されていた。
出自は不明。二ヶ月前に茉莉に行き倒れていた所を助けられ、そのまま北神家の庭師として住み込みで働き始める。北神家に来る前は、色んな職場を転々としていて移住生活を送っていた。使用人とよくもめ事を起こし、喧嘩早い性格。
「あの、茉莉さん。そういうのって、お姉様よりも警察に相談した方が……」
「いえ、それは無理でしょう。徳川縁の村正が辻斬りに使われたと知れたら、知名度命の華族のお家は大打撃。その村正も没収されるだろうし、一度ついた汚名はそう簡単に消えはしない」
「はい。だから、盗品申請も出来ず……。我が北神家では、どんな縁かは分かりませんが、徳川家から譲り受けた大事な刀。徳川の遺志に従い、あの刀を護り続けるのが、我が家の誇り。だから、表には出さずに護ってきたのですが……まさかこんな事になるとは……」
事情は飲み込めた。徳川縁の遺産と言ってはいるが、正式な鑑定は受けていない。つまり、『浪漫財』申請をしていない。彼女の北神家に代々伝わる宝ゆえ、外へ持ち出さずに来たのだろう。先日の商家の娘といい、家宝を隠す事だけが継承ではないのだが。
「お姉様、一応聞きますけど、どうします?」
「当然、行くに決まっているでしょ。スバルとの勝負もあるし。それに……」
『どうして、金埼の土地を離れないかって? そりゃあ……この町が、大好きだからさ』
『この町は、我を受け入れた。なら、我は、この町のために出来る事をする』
『離れてしまえば、それが出来ないから。だから、紅月は、この地に身を置くんだ』
――ええ、分かっています、先代。あなたの居場所は、私が守ります。
「この町に辻斬りが潜伏しているっていうなら、放ってなんておけないわ」
「ねえ、お姉様。モミジ、実物の村正って見た事がないんですが……その、本当に呪われたりしないですよね?」
「あら、お前にも怖い物があったの」
「お姉様はモミジを何だと思っているんですか、もう。あ、でも、お姉様のためなら、呪いくらい食べちゃいますけど……」
「そういうのいいから」
と、飛びつきかけたモミジを制した後、私は説明する。
「そもそも村正が、妖刀と言われたのは、何も徳川との因縁からだけじゃないわ。村正は、美しいの。人を惑わす程にね」
そう――村正には、一種の怪しい魅力がある。
村正の代表的な特徴としては、刃文が表裏揃っている事にあり――これは『古刀期』では珍しい作風だ。
「村正の美しさは、〝刃文〟にある。〝直刃〟を基調しているが……特に〝箱乱刃〟が美しい」
特に村正は刃文に妖艶な美しさを持っており、そこに惹かれる者は多い。
「分かります! あの乱れ具合、妖艶な美しさがあって、ああ……思い出しただけで」
「そうなのよ! 村正の〝箱乱刃〟は、とにかく美しいの! あんなの見たら、心奪われるわ」
再度あやめと刀話で盛り上がるが、モミジから刺すような視線を感じ、途中で自重した。
「そういえば、村正も、贋作が多いんですよね?」
やはり詳しい。あやめが問うた。
「ええ、村正は虎徹同様贋作の多い刀よ。当時、倒幕派からすれば志の象徴のようなものだったからね。反徳川派や勤労志士は村正を欲しがり……結果、全く違う刀の銘に『村正』の二字を刻むのも多く……」
「お姫ちゃん、お姫ちゃん。解説してくれるのは有り難いけど、そろそろ行かなくていいの? スバルちゃんに先超されるわよ」
「そうでした! 行きましょう、お姉様」
「う、うん」
もう少し語りたいけど、確かにスバルに先を越されるのはシャクだ。
「あ、そうだったわ。お姫ちゃん」
雛菊が私に顔を近付け、耳元で囁くように言った。
「事件当時だけど、外部からの侵入の形跡はなし。外部からは、ね……」
それだけ言うと、妖艶な笑みを浮かべ、雛菊はそっと私から離れた。
「じゃあ、留守はこの雛菊お姉さんに任せて、いってらっしゃい」
「帰るも何も、ここ、私の店なんだけどね」
「ほら! 行きますわよ、お姉様!」
いつまでも雛菊と離れない事を不満に思ったのか、モミジが私の腕を掴んで強引に外に飛び出した。
それを可笑しそうに雛菊が腹を抱えて笑って見送る。何なんだこいつら。
「あ、あの……」
と、その時、外に出た私達の背に、茉莉が声をかけた。
「心配しないで」
私は扉の向こう側から、中にいる茉莉に言う。
「そこで待っていなさい。私が必ず村正を取り戻してあげるから」
「は、はい! よろしくお願いします」
彼女が深く頭を下げるのと、扉が閉まるのは同時だった。
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