*
「あらあら、本当に興味のつかない町だ事。別荘でも建てようかしら」
行き交う人を優雅な動きで避けながら、『彼女』は言う。
「樒様……」
「はいはい、分かっているわよ。本当に、私の<椛>は固いな。この町の<椛>はあんなに従順なのに」
「樒様、それ本気で言ってます?」
「まっさかー。従順って事は、考えがないって事。だって、主人の命令に黙って従っていた方が、はるかに楽だものね。特に、お前や、あの娘みたいな、<椛>の贋作は」
「……樒様」
と、少女が何か言い掛けると、その唇を『彼女』が長い指で触れた。
「だけど、お前は違う。ただ頭がいいだけのお人形ではない。だから、私は、お前を選んだ。いい加減に覚えなさい、黄葉」
「貴女の愛情表現は、歪みすぎていて分かりづらいんですよ」
そっぽを向く少女――黄葉を見て、『彼女』は楽しそうに微笑んだ。
「ですが、樒様。一体、この町に何の用が?」
「物見遊山って言いたい事だけど、今回は、ちょっと特別な用事よ。伝説をね、見にいくの」
「伝説?」
「ええ、妖刀伝説が生まれる瞬間を、見に行くのよ」
「よく分かりませんが、黄崎の令嬢がこんな所で油売っていると知られたら、一大事ですから、目立つ行動だけは……」
「だいじょーぶよ。私は、誰とも話さないし、誰とも会わないわ。ただ、見ているだけ。なーんにもしないわ。ただ、伝説が生まれる瞬間を、見るだけだから」
*
「お姉様。何処へ向かっているんですか?」
「繁華街区よ。あそこは身を隠すにはもってこいの場所だからね」
既に専門街区を抜けた私はモミジと共に繁華街区へ向かう。金埼の町は駅が中心部であり、駅周辺を商店街が、中止部より西に専門街区があり、その逆の東側に繁華街区がある。
こんな小さな田舎町だ。表だって暴れる奴らはいないが、繁華街は別だ。違法な店もあり、柄の悪い連中も多い。危険を冒したくない奴は近付かない事はおすすめする。
だが、同時に最も身を隠しやすい所でもある。ほとんどの店は夜のみ営業し、この時間帯に開いている店といえば、小さな茶店くらいだ。
――スバルちゃん、身ぐるみ剥がされてなければいいけど。
あの格好で繁華街区など歩けば、絶好の獲物。だが、彼も鑑定士に端くれ。自分の身を護るくらいは出来るだろうが。
「お姉様……!」
そんな事を考えているうちに人通りが減り、繁華街区へ入っていたようだ。
突然モミジが両腕を交差させて振り袖の中に潜ませている二丁拳銃に手を伸ばしていた。
「モミジ?」
彼女は私を庇うように前に出ると、数米先の茶店を睨み付けた。
刹那――むせ返るような異臭が鼻についた。
「これ、は……っ」
茶屋の入口から紅い水滴が流れ込んできた。徐々に足元へ伸びる紅に、一瞬嫌な光景が浮かんだ。足元に伸びる紅い水滴。白装束に咲いた紅い花は思っていたよりも残酷で――
「お姉様!」
モミジの言葉でハッと我に返る。
急いで茶店の中を確認すると、中には店の主人らしき老人と客らしき人物が約五名、床に倒れ込んでいた。らしきもの、と付けたのは人としての原型を留めていなかったからだ。
「こいつは……」
どれも鋭利な刃物で削ぎ落とされたように腕が両断され、そこから真新しい鮮血が止まる事なく溢れ出す。一瞬躊躇しかけた意識を何とか奮い立たせて店内に一歩踏み込む。足の裏に、嫌な水の感触を感じた。
「この切り口……」
と、その時――背後で床が軋む音が微かに響いた。
「お姉様!」
耳のすぐ傍で、一合の音が響いた。
私が振り返るよりも早く、モミジが銃身で凶刃を受け止めていた。そして、刃先を横へ流して振り払う。
「よくも、お姉様の背後を狙いましたね!」
「待ちなさい、モミジ」
と、彼女を制し、彼女に押し返された男を見やる。
浅黒い肌の、少し背丈の低い男。
――こいつは……!
雛菊が茉莉の情報だけで作った人相書き。それと全く同じ顔。
――となると、やはり今回の騒動は……。
返り血でべっとり汚れた薄黄色の着物に、やはり返り血で汚れた頬。一目で彼が何をして、そうなったのか第三者の目からでも明らかである。手に持っているのは打刀ひと振りであり、鞘もなければ、帯刀に必要な道具もなく、裸の刀をそのまま持ち出したようだ。
「う、うけけけけっ……獲物だ、新しい、肉だ、血だ……うけけけっ」
蛇のような鋭い視線が、私を捉えた。鑑定するとしたら、「危険物につき売買不可だ」。
ぐちゃり、と地面に転がったつい先程切り殺した死体を踏みつけ、男が前に踏み出した。それに合わせるように、モミジが私を背に庇いながら一歩後ろに下がる。
「貴方が、辻斬りさんですね!」
「いかにも。俺は、平良」
「平良って……行方不明の庭師さん!?」
モミジが驚愕の声を上げる。その間も、銃口は彼に向けたままだ。
「やっぱり」
「お姉様、じゃあ茉莉さんの所の……」
「ええ、間違いないわ。雛姉が情報だけで作った人相書きと一致する。村正盗難騒動の際に、他は全員斬り殺されたけど、庭師だけが行方知れず。それに加え、外部からの侵入形跡もない。となると……行方知れずの庭師が犯人だと自ら名乗っているようなもの」
落雷は偶然だろうが、その後の事は全てこの男の仕業だ。
「茉莉?」
一瞬、狂気を孕んだ男の瞳に、人間らしい光が宿った――気がした。
「ああ、お嬢の依頼で来たのか。いかにも! 俺は身分が低かったせいで、ずっと華族に仕えてきた。だが、俺の実力はこんなものではない。いつかこの世界から抜け出してやるって……ずっと思ってきた。そんな時さ、こいつ……村正と出会ったのはな!」
血を舐めるように舌を刀身に滑らせた。
「そんな……。茉莉さんは、貴方の無事を祈っているんですよ!? 貴方だけでも無事なら、って!」
モミジの言葉に、ほんの一瞬だが平良の動きが鈍った。が、それは刹那の迷いであり、すぐにそれを打ち消すように平良は刀を振るった。
「黙れ、黙れ! あんな温室育ちの小娘なんかに同情されて……たまるかよ! 俺は……」
そこまで彼が言った時だ。突然彼は豹変したように表情を変えた。
にたぁ、と貼り付けた笑みが、私達を捉える。
「血を、血を……新しい血を、村正に……あーひゃひゃひゃひゃ!」
奇声を上げて、彼――平良は村正を振り上げた。
が、それが振り下ろされる寸前にモミジが小型の銃を発砲し、鋒を弾いた。
刀同士での斬り合いの際、基礎的な動きは、相手の鋒と自分の鋒をぶつけて威力を殺して相手の懐に入り込む。高速の攻防のため、一瞬で勝負が決まる。これが達人なら一撃、素人なら時間がかかるだろう。が、それは同じ武器の話だ。戦う距離が異なる銃で、それをやり遂げた彼女も、また達人だ。
「貴方の身の上に興味ありませんわ。貴方に貴方の事情があるように、モミジには、モミジの、譲れない物があるんですの!」
モミジが平良の後方の壁を威嚇射撃した。二丁の銃を構え直し、二つの銃口が平良を捉える。そして、モミジが銃身に滑らせた指を動かそうとした時、遠くから人が駆けてくる気配がした。
警告を促す笛の音が遠くから聞こえた。笛の音と足音から察するに、そう遠くない。いつの間にか店の入り口に騒ぎを聞きつけた野次馬が集まり始め、甲高い悲鳴がこの惨状を物語る。そちらに気を取られた一瞬――平良が裏口へ向かった。
「お姉様!」
「ええ、追うわよ」
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