――あの子が、嫌いだった。
初めて、あの子が現れた時、どうしようもない不安を覚えた。まるで私の居場所を奪われてしまうような――。
実際、あの子は私が出来なかった事を容易に成し遂げて、私の理想の女の子そのものだった。
私は、あの子が嫌いだった。
だけど、私は、あの子を、護らなくてはいけなかった。
だって、それが私の使命だから――
*
「え? 捕まったって……」
「それが……」
藤田初音の刀を巡る一連の事件が解決したと思った直後。
初音の第一声がそれだった。一瞬何を言われているのか理解出来なかった。
――捕まったって、さっきまでここにいたじゃない。
それに、モミジは強い。
私どころか、訓練を受けている警察よりも。
「一体、どこの誰が……」
私の呟きに答えるように、会場の扉が開いた。
初音と同時に振り返ると、警察の制服を着た青年が立っていた。
背は高いが、顔は少し幼い。
藍色の混じった黒の制服に、腰には長い刀。
胸元の勲章を見るところ、ただの警察というわけではなさそうだが――
「こんな所にいたのか、初音」
「……いち兄」
初音が私の後ろから顔を覗かせながら言った。
――え、待って、今、いち兄っていった? じゃあ……。
「あんたが、件の鑑定娘か」
初音と似た、どこか無感動な顔で彼は言った。
「俺は、藤田誠一。藤田の家の長男だ」
「つまり、初音の、お兄さん!?」
それにしては、初音の態度がおかしい。
普通、兄ならば、喜んで飛びつきそうだが――
「血縁上ではな」
突き放すように、彼――誠一は言った。
「来い。あんたの所の助手の娘の件で話がある」
「そうだった! ちょっと、モミジが捕まったってどういう事?」
「どうもこうもない。あの娘には、殺人未遂の容疑がかけられている」
殺人未遂!?
「待って。あの子は、ついさっきまで私と一緒にここにいたわ。それに、一体、どこの誰を……」
「……黙れ」
冷たい声が、自然と私の言葉を止めた。喉元に短刀を突きつけられたような緊張感で、上手く呼吸が出来ない。
「あんたに発言を許可した覚えはない。話は、署で伺う。異論があるなら、黙ってついてこい」
「……」
本当に初音のお兄さん?
それにしては、ちょっと冷たいような――。
「いち兄……」
その時、初音が私の後ろからおそるおそる彼に声をかけるが、彼は背を向けたまま、こう告げた。
「……気安いぞ。おのが立場を忘れたわけではあるまい」
威圧感のある口調に、冷たい目。
相手に呼吸も許さないような緊張感。
――この時、私ははっきりと思った。
この男が、嫌いだ、と。
*
『――罪状、殺人未遂。
被告人モミジ。短刀ニテ殺人未遂ノ疑いデ逮捕、拘束』
そう書かれた小さな記事が、新聞に載っていた。関係者や近隣住民でなければ見逃してしまう程に小さい。
――まあ、世間一般からすれば、他人が起こした事件なんて、その程度だろうけど。
しかし、今回に限り、私は第三者ではいられない。
時刻は、午前八時。
いつもなら、”あの子”が朝食の準備を終えて、私に余計なちょっかいをかけながら家事をこなしている時刻だ。
あの子がそうだから、私は業務に集中出来た。
「……」
少しの寂しさを感じ、私は静まりかえった部屋を見渡す。
いつもなら少し狭く感じる部屋も、煩く感じる騒音も何もなく――静寂に満ちた部屋。
ふいに、壁にかかった鏡の中の自分と目が合った。
迷子の子どものように、不安げで、情けない顔。
「……っ」
ぱしん、と私は気合いを入れるために両の頬を叩く。
「しっかりしろ、姫百合。お前は、姫百合なのよ。こんなみっともない顔、あの子に見せる気?」
そう鏡の中の自分に言い聞かせる。
我ながら、鏡に話しかけるなんて、かなりやばい人だが。今の私には必要の事だった。
――しっかりしろ。お姉様の名が廃るわよ。
一度目を閉じて、大きく息を吸う。
肺を伝って、全身に酸素が行き渡る。たったそれだけで、体内を渦巻いていた淀んだ何かが浄化された気がした。
気合いを入れるために、髪を高い位置で結う。いつもモミジに結ってもらっていたせいか、上手く結べず、不器用な出来になってしまったが。
そして、夜会へ出る前にモミジが洗濯し、部屋に干していた着物と袴に着替え――『認定鑑定士』の証でもある羽織を肩にかける。
「一人で身支度するのって、結構大変ね」
いつもはモミジが断っても断っても、世話を焼いてくるから。
私もそれに慣れて、いつしかそれが当たり前になって甘えていた。
「さて、行くか……」
場所は、警察署。
「百合姉、大丈夫?」
途中で合流した初音が、心配そうに見上げる。
「ええ、大丈夫よ。それより、昨夜の事だけど……」
「うん。僕も、警察関係者さん、話しているの聞いて、知った事だけど」
そう前置きをしながら、独特な喋り方で初音は語る。
「昨夜の夜会の帰り、華族のお兄ちゃんが通り魔に襲われた」
「華族のお兄ちゃんって、まさか……」
「うん。僕の刀、盗った人」
またアイツか!
「という事は、あの坊やがモミジが犯人って言ったわけ?」
よし殺そう。
「ううん、それが……」
初音が軽く首を振った。
「よく分からないの」
「え? 分からないって……」
「華族のお兄ちゃんは後ろから誰かに切られたみたいで、背中から腕に刃物で切られた跡があった」
刃物?
「お兄ちゃんの悲鳴を聞いて駆けつけた時、現場には血のついた短刀を持ったモミジ姉と、華族のお兄ちゃんが倒れているだけだった。それで、モミジ姉が……」
「何それ。証拠らしい証拠ないじゃない」
「うん。それに、何だか、おかしかった」
初音が俯きながら言った。
「モミジ姉、すぐに警察の人達に囲まれて、捕まっちゃったんだけど……何だか、手際がいいっていうか、まるで劇場みたいだった」
何だか、何か裏がありそうな感じ。
あの華族の坊やもそうだけど――
――『”全ては繋がっている”。どうか、この言葉を、忘れないで……』
あの時の、外套の少女――黄葉が言っていた事も気になる。
もしかしたら、あの黄色の令嬢――樒が一枚噛んでいるって事も――。
「ふぅ」
私は、小さく溜め息を吐いた。
駄目だ。考え出すと、全てが怪しく思えてくる。
――いつもこうやって行き詰まると、あの子が余計なちょっかい出して、気を紛らわせてくれるから。
「百合姉」
ふいに、初音が私の袖を小さな力で引っ張った。
「僕じゃ頼りないかも知れないけど、僕、力になるよ。モミジ姉みたく、上手に出来るか、分からないけど。尊敬する藤田五郎の名にかけて、百合姉の力になる」
「初音……」
いい子だ、やっっぱりいい子だ、この子。
思わず私は初音を頭ごと抱き締めた。
「ありがとう。その時は頼むわね」
「うん。それとね、百合姉。関係あるか分からないけど……」
「うん」
「モミジ姉が現場で持っていた短刀なんだけど……」
「小夜左文字みたい」
「……!!!」
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