六
*
『いいかい? 初音。これは、証なのだ。この刀は、先代が我れに託した証なのだ』
今よりもっと小さい頃。お爺ちゃんが僕に言った。
『お前の上の兄弟は興味を示さなかったが、お前を見ていると思うよ。確かに、かの遺志はお前に継承された』
正直、お爺ちゃんの言葉は難しくて、半分以上何を言っているのか分からなかった。だけど――
『これで、もう安心だ』
お爺ちゃんがとても大切にしていて、大切に思っていた事だけは分かった。
だから、僕は――お爺ちゃんが大切にしていたものを、大切にしようと誓ったんだ。
*
「売却済って……お姉様、これもう誰かに競り落されたって事ですの!?」
「モミジ、それは……」
初音がいる前で言おうか迷っていると、私の心情を察してか、スバルが代わりに言った。
「そうだ。何者かによって競りに出され、そして……何者かによって競り落とされた」
「……っ」
初音は一瞬全身を震わせた。
が、次の瞬間――
「ねえ、百合姉」
顔を上げた初音の瞳は強い意志を宿しており、そこに怯えも不安もなかった。
「どうすればいい? どうすれば、僕は、僕の刀を取り戻せる?」
「……所有権が完全に相手にうつった場合は、仕方ない。諦めろ」
スバルがはっきり言った。
「が、元は盗品。お前が、こいつの持ち主だと証明さえ出来れば、所有権を取り戻せるが」
「分かった。それさえ分かっていれば……」
初音はすっと目を細くし、懐に手を突っ込んだ。
「お初ちゃん。何か策があるんですか?」
「この刀が僕の物だって証明する方法がある。あまり公にはしたくはなかったんだけど、状況が状況。きっとお爺ちゃんも許してくれる」
あまり気乗りしない所を見るに、「刀の所有権」を証明する何かは、あまり公にはしたくないものなのだろう。
「……気に入らないわね」
「お姉様?」
元は初音の持ち物。なのに、こちらが遠慮しなくちゃいけない理由がない。
――だけど、どうする?
感情だけで動いた所で、どうにもならない事は、私が知っている。
華族が、同胞以外の相手にどれだけ無慈悲に出来るか――私は、知っている。
だからこそ、スバルを巻き込んで回りくどくても、衝突しない方法を選んだ。
――こんな時、先代なら……。
「どこかで見た顔かと思ったら、あの時の不躾な女鑑定士じゃないか」
聞いた事のある嫌味な声に反応して一斉に振り返ると――水夫風洋袴に、山高帽子。派手な背広を着た青年。
――なんか、どこかで見たような……。
「久しぶりだね。まさか、こんな所で会うとは……」
「どちら様ですの?」
「え……」
私達の意見を代表したモミジの問いに、青年は呆けた顔になった。
咄嗟に、助けを求めるように私を見るが――ごめん、私も覚えていない。
「どっかで会った?」
「会っただろ! ほら、あの時!」
「あの時って……」
「だから! ほら! 東宮の!」
彼は顔を真っ赤にして怒鳴るように言う。
「東宮って……果南さん?」
「果南さんとケヤキさん。お二人とも、元気でやっているでしょうか」
「大丈夫よ、モミジ。あの二人なら、何処でもやっていけるわ」
「そうですわね。ああ、あの仲睦まじさ。まるで、モミジ達のようで……」
「あー、そういうのいいから。というか、いちいち引っ付くな!」
抱きつきかけたモミジを剥がすと、モミジは唇を尖らせた。
「もー、お姉様はー。いけずなんですからー」
「僕を無視するな!」
青年が声を張り上げたせいで、会場が少しだけ騒がしくなった。
周囲の視線を感じ、青年は突然身を隠すように山高帽を深く被った。
「僕は、沼倉良太。沼倉家の御曹司だ。忘れたとは言わせないぞ」
「忘れ……」
と、言い掛けたモミジの口を慌てて塞ぐ。少しだけ嬉しそうなのは放っておこう。
「おい。どういう因縁があるかは知らんが、とても紳士がする態度ではないな」
さり気なくスバルが背に初音を庇いながら言った。
「沼倉の何は覚えがある。派手好きで、華族の夜会には必ず顔を出していたらしいが。最近はめっきり姿を見なくなったらしいが」
そこで、スバルは私とモミジを一瞥した。
「お前ら、一体、何をしたんだ?」
「何もしてませんわ!」
「そうよ。ちょっと喧嘩ふっかけてきたから、返り討ちにしただけで」
「モミジ達は悪くありませんわ!」
「そうよ。せいぜい、政略結婚目論んだけど逃げられたざまあ、とか。人を雇ってまで物にしようとした娘に逃げられてだせえ、とか。そういう噂立てられたきっかけを作っただけで」
「しっかり覚えているじゃねえか!」
青年――沼倉が叫んだ。からかい甲斐のある御曹司だ。
「とにかくだ! 何故、華族でないお前達がこんな所にいるかは……」
そこで、彼はモミジの姿を見る。
凹凸がはっきり分かる上下続服は、特に胸を強調する作りになっており――
「ごくり」
沼倉が喉を鳴らした。
「ちょっと、うちの妹分をいやらしい目で見ないでくれる?」
確かに、西洋の服は身体の凹凸がはっきりと出る仕様になっているため、モミジのような一級品だと、目のやり場に困るが。
「お姉様……! ”私の嫁に手を出すな”だなんて……」
「言ってねえよ!」
と、否定する所はしっかり否定し、本題に入る。
「長谷部国信の一件以来、夜会には顔を出さなくなってって聞いていたけど」
「そんなのは僕の勝手だろ。大体、お前達の方こそ、何故華族の夜会に……」
沼倉がそこまで言い掛けた時。
小さな影が私達の前に飛び出した。
「返して」
初音が、低い声で言った。
「僕の刀。取っていった。僕、しっかり覚えている。香水くさい系のお兄さん」
「くさい!? 失礼な餓鬼だな」
「返して。あれは、『僕達』の」
「はんっ何を言い出すかと思えば。あれは、僕の物だ。それに……」
そこで沼倉は悪意の満ちた笑みを浮かべた。
「あれには買い手がついている。返せも何も、もう君の物ではないんだよ」
「そんな事……!」
「なら、硝子を破って、力ずくで刀を奪ってみるかい? そうなったら、今度こそ、君は正真正銘の盗人だがな」
「ちょっと待ってくださいまし! あの刀は、お初ちゃんの所有物でしてよ! 盗人は、貴方の方でなくて?」
モミジの言葉に、沼倉が小馬鹿にするように鼻で笑った。
「そんな証拠、どこにある?」
「どこって……」
「いいや、あいつの言っている事は、正しい」
怒鳴りかけたモミジを、スバルが諫めるように言った。
「見た所、あれには登録書がない。おそらく、刀剣協会に提出していないのだろう」
「提出って、まさか、以前お姉様がいっていた、刀の登録書の事ですの?」
「そう、刀の許可証。初音の刀には、それがないの」
本来、刀剣には一つ一つに許可証として、登録書が発行され、その時に人間でいう個人番号のように、識別番号が与えられ、刀剣協会で資料として一括で管理している。
今の時代、『浪漫財』による華族の昇格、または剥奪があるため、美術品や骨董品の盗難は多い。
そのためにも、各業界はそれに対応するためにも、所有者情報に関しては力を入れており、刀剣の登録書もその内の一つだ。
「特に、刀剣類は、出所が分からないものが多い。偶然、蔵から出てきた、とかね」
美術品の中でも、刀剣は「持ち」が良い。『浪漫財』の多くは刀剣を中心とした武具だと聞く。
「そのせいか、中には、登録がない刀剣も多いの」
その時は見つけた時点で刀剣協会に連絡すれば、すぐに鑑定士を派遣して、審査をした後に発行されるようになっている。
そして、初音の刀剣は――
「その刀は、登録をせずにずっと放置されてきた。その時点で既に違法のものだ」
――迂闊だった。
何となくだが、初音の刀剣は未登録な予感はしていた。
祖父から継承したものだから、もしかしたら祖父が登録していたかも知れないと思って、ずっと黙っていたが。
特に、彼女の血統を考えると、部外者が口を出していい代物ではない。
――もっと、私がしっかり注意してあげれば……。
今更ながら、沼倉は、長谷部国信の時も登録があるから、強硬手段は取らず、所有権のある果南を直接狙った。
私が思っていた以上に慎重な男だったのかも知れない。
「そういう事だよ、小さなお嬢ちゃん。登録のない、この刀はね、君のものだって証明がそもそも出来ないんだ。盗まれたと訴え出たとしても、登録がないのなら、調べようがないからね」
――こいつ、最初からそれが分かって、初音の刀を狙ったのか。
初音の刀は、ちゃんと鑑定していないからはっきりとは言えないが、『浪漫財』だ。未登録の『浪漫財』となると、彼のような人間からすれば格好の獲物だ。なんせ、足がつかないのだから。
「待って。登録とかは、ちょっと分からないけど。その刀が、僕のだって証明は、出来る。だから……」
「そんな与太話、誰が信じるんだ。登録がないのなら、法的に君の物だって証明は出来ないんだよ。分かったら、自分の無知さを呪うんだな」
沼倉は初音を笑い飛ばすと、硝子箱に近付き、自分の物だと言うように、硝子の手をついた。
「僕の刀に、触らないで!」
「よせ!」
掴みかかろうとする初音を、スバルが止めた。
既に、私達の不穏な気配を察知した華族達が見世物でも見るかのように集まり始めた。
――こんな時、どうしたら……。
見世物を楽しむ華族の視線と、小馬鹿にした蔑んだような笑い声。
それを浴びながらも掴みかかろうとする初音と、それを身体を張って止めているスバル。
そして、それらを舞台の主役のような立ち位置で眺める沼倉。
全てが、遠い出来事のように思えた。
まるで――檻の外で起こっている出来事のように。
――先代なら、もっと上手く出来たのかな。
――私じゃなくて、先代だったら……。
そんな事を考えていた時、思考を止めるようにモミジが私の左を両手で包んでいた。利き手の右を掴まなかったのは、もしもの時に動けるためだろう。
「大丈夫です、お姉様。お姉様は、お姉様が正しいと思う事を、お姉様が正しいと思った方法でやり遂げてください。モミジは、それに従います」
「モミジ……」
左手から伝わる彼女の健気な温もりが、徐々に胸の中を巣くっていた不安を取り除いていく。
「モミジは、お姉様に従います。モミジにとっての正義は、お姉様です。お姉様の決断が、モミジのとっての正しい事。だから、お姉様……迷わないで」
「モミジ。お前、そこまで……」
「もし、お姉様の決断を邪魔する輩がいた時は……撃ち殺してさしあげますから」
「物騒だな、おい!」
最後の一言で、涙が引っ込んだ。
――だけど、ありがとう。モミジ。
一体、私は何を迷っていたんだ。
二代目、二代目、と名乗りながら、一番私がそれを信じ切れていなかった。
いつも過去の影に怯え、先代という光に焦がれるばかりで――。
「待ちなさい」
それほど大きな声を出したわけでもないのに、私の一言がやけに大きく響いた。
全員の注目を浴びながら、私は初音とスバルの前に出て、沼倉と対峙する。
「何だね? 鑑定士。今回は君の出番はないと思うけど」
「あるわ。私は、刀の持ち主に、正式に依頼されているの」
「依頼だと? 一体、何の……」
「何って、そんなの、刀の依頼に決まっているでしょう」
――偉そうな事を言っても、結局私にはこれしかない。
これしか武器がない。なら、これを武器に戦うしかない。
そう――鑑定を武器に、真実を引きずり出してやる。
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