「へぇ。そういう事」
ふいに、樒が可笑しそうに笑いながら言った。
「池田屋事件で大活躍した近藤勇の物語を完成させるため、あなたの一族は、ずっと刀が三振りあった事を隠し、一子相伝で護り抜いてきたって事。まったく、もっと面白い事かと思ったら、残念だわ。所詮、偽物は偽物って事かしら」
「何が、言いたい、の?」
初音が震える事で問う。震えているのは恐怖からではなく、怒りからだろう。
「だって、そうでしょう? 新撰組は、偽物の武士。生まれや身分関係なく武士になれるという甘い言葉に惑わされ、集まった、武士の贋作。それなりに活躍もしたようですが、所詮、偽物は偽物。最終的には朝敵となって、反逆集団として処理された。偽物の行く末としては、唯一正しいかも知れないけれど」
「……っ」
初音が身近にあった刀を抜いた。
止めようと手を伸ばすが、私の速度では彼女の肩しか掠らなかった。
「先祖への、新撰組への侮辱、許さない……!」
小さな影が華族の間をすり抜け、椅子の上に君臨し続ける令嬢へ向かう。
対する樒はこの状況を楽しんでいるように、含み笑いを浮かべるだけで――
「モミ……!」
咄嗟に止めてもらおうとモミジの名前を呼びかけた時。
「しまってください」
幼さの残った女性の声が、静かに初音の心を鎮めた。
突然目の前に現れた、小さな人影。初音よりも少しだけ背が高い。
頭からすっぽりと外套を被った少女は、初音が鞘から刀を抜く寸前にその手の上に自分の手を重ね、抜刀を阻止していた。
――誰?
「ここで動けば、あなた自らが、あなたが大切にしている物を貶めます。『名』を守りたいのなら、今は抑えてくださいまし」
「……」
初音は、少しの間、外套の主を睨み付けたが――やがて手を離した。
外套の主は、初音がもう手を出さない事を確認してから、彼女に一礼し、背を向けた。
状況についていけず、誰もが見守る中、外套の主がモミジの横を通り過ぎる。
「……貴女、それでも”モミジ”ですか」
「え?」
モミジが振り返った時、既に彼女は樒の傍に控えていた。
「お姉様、お言葉が過ぎます」
「あら、お前こそ、誰が表に出てこいと言ったの? まったく使えない駒ね」
「……」
「怒った?」
「怒ってませんわ」
樒の従者か、外套を被っているせいで表情が分からない。声からも何の感情も伝わってこない。
――さっきからくないを投げて周囲を黙らせていたのは、この子か。
「鑑定士のお姉様、どうぞ続きを」
「えっ……」
「貴女なら、導ける答えがある筈です。この夜会の最後に、相応しい答えが」
「少し買いかぶりすぎよ。私は、鑑定士。ただ導き出した答えを、伝えるだけよ」
「それでも、それが誰かの救いとなる事もありますわ」
外套の中で、彼女が笑った気がした。
*
外套の主が気になったが、まずはこちらの問題だ。
私は気を取り直して、見守る華族達に私が導き出した真相を告げる。
――あれ? でも、あの子、どうして私が”お姉様”って呼ばれている事を知っているんだろう。
まあ、いいか。どうせモミジがそう呼んでいた所でも聞いたんだろう。
「とりあえず、鑑定結果からいうと、これは長曾袮虎徹の贋作」
誰が打ったかは現段階では不明。時代は江戸のものなのは確かだけど、刀工までは分からない。
「つまり、”不明”というのが、答えね」
「不明って、銘がないって事ですの?」
またこいつはよう!
こいつは、何度同じ説明すれば気がすむんだ。
「いいや、無銘は無銘で、不明は不明。別物だ」
その時、スバルがモミジに説明を始めた。
「たとえ誰が打ったか分かっていても、刀工によっては銘をあえて刻まない者もいる。そういった刀剣は、作者は分かっているが、無銘という扱いになるんだ」
無銘は無名ではない。
有名どころでいえば、ソハヤノツルギもたしか無銘だった。
そこは完全に刀工の趣味であるが、これを語り出すと、収集がつかなくなるので、またの機会にして、次だ次。
「つまり、この刀は、完全に作者が不明。そして、元は無銘だったんだろうけど、そこに後から『虎徹』の銘を刻まれた、偽銘」
贋作でよくある手口だ。
元あった銘を焼消して、別の銘を入れるやり方や、無銘の物に銘を新たに刻む方法。
銘の偽装だ。
「無銘の刀だからといって悪いわけじゃない。むしろ、後から無理に刻まれた事で価値が下がる事だってある」
この刀は、完全にそれの類いだ。
これだけ長い時間をかけても鋭さを損なう事はなく、多少の錆びはあっても、刀身は生きている。
よほど頑丈で――そして恐ろしい程までに実践向きな刀。
「後から無理に銘を刻んだせいで、むしろ価値が下がったとも言える。勿体ない事をしたわね」
「だけど、そうまでして、隠したかった」
私の言葉に、答えるように初音が言った。
「近藤勇は、虎徹の刀の持ち主。新撰組の大将として、相応しい刀を持ち、池田屋で活躍した。それが、斎藤一が望んだ、筋書きだから」
「やっぱり、あんたも、そして、あんたの先祖である斎藤一も、近藤さんの刀が三振りあった事も、その内の一つが、贋作だったという事を知っていたのね」
もしかしたら、全てが贋作で、本当は真作を一つも所持していなかったかも知れない。
さらに言うと、近藤勇自身、騙されたのではなく、その事を知っていた。
「実際、近藤さんが池田屋騒動の後に養父の秀斎へ宛てた書状でも、虎徹の刀をこれでもかってくらい、自慢していたらしいし」
たしか、現代の言葉に訳すと――
「俺の刀マジすげえわ。永倉の刀は折れて、総司のは帽子折れ、平助のは刃切れささらの如くだったしー、倅の周平なんて槍折れてやがったし……まあ、俺の刀は虎徹だから、普通に余裕でしたけど?」
てな感じだった筈。
一瞬で、場の空気が凍り、全員が何か言いたそうな顔で私を見るが、事実は事実だ。只一人、モミジだけは「場を和ます配慮を忘れない、お姉様! 流石です」とうっとりしているが。
「だけど、疑問は残るわ。どうして、近藤さんの刀が、斎藤さんの元に……」
たしか、斎藤一は――。
「斎藤一は、会津を救った英雄……。そして、同時に、新撰組と袂を分かった、途中で道を分けた、盟友」
先程の樒の言葉を気にしているのか、初音は一度だけ視線を下に落とし――そして覚悟を決めたように瞳に強い意思を宿した。かつて、斎藤一が、没落寸前の会津の城を見て、その地に留まる事を決めたように。
「みんな、それぞれ心に宿した正義は同じだった。みんな、それぞれ正義を貫くための道が違っていた。土方さんは、近藤さんに託された新撰組を護るために、そして自分を信じてついて来てくれた仲間を、迷子にしないために、前に進むしかなかった。そして、斎藤一は……会津に最後まで義を尽くした。それが、斎藤一の正義で、信念で、彼の侍道だったから」
もうすぐ没落するであろう会津の城を前に、土方さんは新撰組の未来のために、最後の戦いの場へ向かった。彼には、進む以外の選択肢がなかったから。
そして、斎藤一は、落ちる寸前の城を見て――、会津と運命を共にする道を選んだ。
ここが、彼と、彼らの、分岐点だった。
『今落城せんとするをみて志を捨て去、誠義にあらず』
その時の斎藤一がいった言葉――と伝えられているものだ。
その短い言葉に、一体どれだけの葛藤と決意と、そして「義」が込められたか。
私は、「最悪」を知っている。呼吸の仕方すら分からなくなる程の地獄を知っている。
だけど、彼のように戦は知らない。そんな私が、こんな事を言うのはお門違いかも知れないけど――
――最高に、格好いいじゃないの。
「多分だけど、斎藤一は、嬉しかったんだと思う」
初音がぽつりと言った。
「斎藤一は、過去に潘を追われている。だから、自分をもう一度受け入れてくれた新撰組が、会津藩が、とても好きだったんだと思う。とても大切で、失いたくなくて……だから、たとえ、どんな結末であろうと、最後まで、最期まで、共に歩もうって思ったんだと、思う」
喧嘩で人を斬って潘を追われた斎藤一が、行き着いた先が会津藩であり新撰組だ。
確かに、あの時代では潘を追われるという事は、帰る場所を失う事と一緒。
――その気持ちは、何となく分かる。
帰る場所がなくて、だからこそ、自分を受けいれてくれた場所を護りたいって気持ちは。
私は無意識に先代から継承した羽織を握り締めていた。
「だから、新撰組が、新撰組を最後まで貫くために、会津を、落ちそうなお城に背を向けて先に進む中、斎藤一だけは、会津に残った。会津への恩義に報いるために、それぞれの”義”を貫いた。その証が、この刀」
初音は、抜き身の刀身に手を伸ばし、触れるか触れないかの位置で手を止める。
「あれは、近藤さんが斎藤一に送った、最初で最後の贈り物」
「どういう事? たしか、その時には近藤さんは……」
近藤勇は、処刑された。
既に逆賊扱いされていた新撰組は、追い詰められたすえに、大将を奪われた。
処刑が決まった時、武士として死にたかった近藤勇は切腹を申し出た。しかし――「農民風情が」と却下され、罪人として首を落された。
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