「じいちゃん、強さって何?」
ある日の稽古後、美柑は祖父に尋ねた。
祖父は、薄く笑った。
「お前、また難しいことを考えとるな」
「だって、強くなりたいもん」
美柑のその言葉を聞くと、少しだけ考え、静かに畳に座った。
「……“強さ”とはな、ただ力があることやない」
美柑もその前に座る。
「ほんなら、何なん?」
祖父は、ゆっくりと手を広げ、道場の空間を指し示した。
「“間合い”や」
「……間合い?」
無言のまま立ち上がると、美柑の前にゆっくりと歩み寄った。
そして、ピタリと止まる。
美柑は、思わず息を呑んだ。
「今、わしが止まった瞬間……何か感じたか?」
「……え?」
「例えばやな——」
祖父は、再びゆっくりと一歩引く。
たったそれだけで、空気が変わった。
——まるで、祖父との間に“見えない線”が生まれたような感覚。
「“間合い”とはな、相手との“距離感”や」
「それだけやなく、“流れ”でもある」
「流れ……?」
祖父は、美柑の額を、指で軽く突いた。
「……!」
美柑は、わずかに後ろへよろめいた。
「今のは、わしが作った“流れ”や」
「“強さ”とはな——相手と自分の間にある、この“線の繋がり”を掴むことや」
その言葉が、美柑の心に深く刻まれた。
「間合い」「流れ」「線の繋がり」——
その意味を、もっと知りたい。
それからの美柑は、祖父の動きをじっくり観察するようになった。
「どうして今、ここで止まったん?」
「どうして今、ここで踏み込んだん?」
祖父の一つひとつの動作が、まるで自然の一部のように感じられるようになった。
そしてある日——
祖父が稽古の合間に、ふと呟いた。
「川に流れがあり、風に流れがあり、空に流れがある」
「全ての出来事や事象には、一つの線で繋げることができる“時間”がある」
美柑は、真剣な目で祖父を見つめた。
「時間……?」
「せや。わしが追い求めとるんは、空間と時間を結ぶ“点”や」
祖父は、道場の畳を指で軽くなぞった。
「この世界にあるものは、すべて繋がっとる」
「お前が技を出す前に、すでにお前の体は動きを作っとる」
「“点”を掴めば、相手の動きも、時間の流れも支配できるんや」
——まるで、それが「究極の強さ」だと言うかのように。
それから、美柑の稽古は変わった。
単に相手を倒すための技ではなく、
『相手の動きの流れを掴み、間合いを操作する』という意識を持ち始めた。
・相手がどちらの足に重心を置いているか。
・次の動きに移る“わずかな予兆”を感じ取る。
・その一瞬の「時間の隙間」を突く。
「……!」
ある日の稽古中、美柑は兄弟子と向かい合っていた。
彼の構えを見た瞬間、何かが見えた気がした。
「——ここや」
美柑は、一歩踏み込む。
兄弟子が反応するよりも早く、
美柑はわずかに体をずらし、“流れ”を作る。
その瞬間——
兄弟子の体勢が崩れた。
「な……っ!」
美柑は、一切力を使わずに、兄弟子を倒していた。
「……!」
「やっと、掴んだな。しかし、それはまだほんのわずかな“一歩”や」
祖父が微笑む。
美柑は、畳の上に立ちながら、自分の中に新しい「強さ」の感覚が生まれたことを確信した。
夜、布団の中で考える。
「強くなりたい」
「でも、それは何のため?」
道場で鍛えた技術は、本当に「自分のため」なのか。
——それとも、「誰かのため」なのか?
母親の言葉が、ふと脳裏をよぎる。
「強くならなきゃ、生きていけない」
祖父の言葉も、浮かぶ。
「強さとは、間合いと流れを掴むことや」
どっちが本当の「強さ」なんやろう——?
答えはまだ出ないまま、美柑は目を閉じた。
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