小学校の授業参観の帰り道。
美柑は、クラスメイトの母親たちと並んで歩いていた。
「美柑ちゃんのお母さん、来てなかったね」
「うん、仕事やから」
「どんな仕事なん?」
その質問に、美柑は一瞬だけ考えた。
「……お店の人」
「ふーん、お店って?」
「夜のお店」
その瞬間、周りの空気が変わった。
「あっ……そうなんや」
誰も何も言わなかったけど、子どもでも、その言葉の裏にある微妙な意味を察した。
それは、まるで——
「普通じゃない」と言われたような気がした。
家に帰ると、母は鏡の前で化粧をしていた。
「お母さん」
「ん?」
「なんで、うちにはお父さんがいないの?」
皐月の手が、一瞬だけ止まった。
「……急にどうしたの?」
「みんな、お父さんがいるのに」
皐月は、口紅を塗りながら答えた。
「別に、いなくてもいいでしょ?」
「でも……」
「美柑、私を見なさい」
皐月は、鏡越しに美柑を見つめる。
「お母さんは、お父さんがいなくても生きていけるの」
「だから、美柑もそうなりなさい」
美柑は、その言葉をただ聞いていた。
「女は1人でも強く生きていける」
——母は、そう言いたかったのかもしれない。
でも、美柑にはわからなかった。
「……お母さん、なんでそんなに強いの?」
皐月は、静かに笑った。
「強くならなきゃ、生きていけないからよ」
その言葉の意味を、本当の意味で理解できるのは、まだ、ずっと先の話だった。
美柑が道場に通い始めて、3年が経った。
この頃には、基本的な技は身についていた。
受け身、突き、蹴り、体捌き——
「お前、飲み込み早いな」
道場の兄弟子たちにそう言われることも増えた。
——私は強い。
いつしか、美柑はそう思うようになっていた。
しかし、その思い込みは、ある日あっけなく砕かれた。
「ちょっと、お前もやってみるか?」
祖父が連れてきたのは、年下の少年だった。
「こいつ、武道の大会で優勝したらしいで」
年は美柑よりも1つ下。
小柄で、どこか頼りなさそうな雰囲気。
「なんや、こんな子が?」
美柑は、軽く構えた。
しかし——
その1分後には、畳の上に転がされていた。
「……え?」
何が起こったのか、わからなかった。
「お前、隙だらけや」
少年は、軽く息をつきながら言った。
美柑は、悔しさで拳を握った。
——私は、強くなったはずやのに。
祖父が、静かに言った。
「強さに、上限はない」
「まだまだ、お前は弱い」
その言葉が、美柑の心に深く突き刺さった。
そして、その日から——
「本気で強くなりたい」
そう思うようになった。
“強くなるって、どういうこと?”
道場の帰り道、美柑はずっと考えていた。
「「強い」って、…なんやろ?」
誰かを倒せること?
誰にも負けへんこと?
それとも——
「……お母さんみたいになること?」
家に帰ると、母はまた鏡の前にいた。
——強くならなきゃ、生きていけない。
母の言葉が、頭の中で響く。
「私は、どうやったら強くなれるんやろ?」
その答えを探す日々が、
この頃から始まった。
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