「ほな、今日はお前に仕事を一つ頼むわ」
美柑が、ポケットから煙草を取り出しながら言った。
ゆいは、その言葉にスマホを握りしめた。
——仕事。
自分が「プレイヤー」として動く最初の機会。
「いきなり難しいことはさせへん」
美柑は、煙を吐きながら続ける。
「まずは簡単な仕事からや」
「簡単な仕事?」
ゆいがスマホに打つと、美柑はリョウに目を向けた。
リョウは、ゆるく笑いながら内ポケットから小さな封筒を取り出した。
「これを、ある場所まで運ぶだけや」
ゆいは、それを受け取ると、不思議そうに封筒を見つめる。
封筒は薄く、指で押すと中に何か固いものが入っているのがわかった。
「……何が入ってるの?」
リョウは軽く笑う。
「知らんでええ」
「せやな」
美柑も、リョウの言葉に同意するように頷いた。
「お前の仕事は、中身を知ることちゃう。ただ、決められた場所に、決められた時間に運ぶことや。」
ゆいは、その言葉をじっとスマホで読み返した。
——知らんでええ?
でも、リョウも美柑も、それ以上何も説明する気はないようだった。
「場所は?」
スマホにそう打ち込むと、マチがすっと紙を渡してきた。
「ここや」
そこには、三宮の繁華街にあるビルの住所が書かれていた。
「時間は23時ちょうど。相手はお前の顔を知っとるから、ただ渡すだけでええ」
美柑は、ゆいの肩を軽く叩く。
「簡単やろ?」
ゆいは、封筒を握りしめたまま、静かに頷いた。
——ほんまに簡単なんやろうか。
でも、考えていても仕方がない。
これが、最初の仕事。
ゆいは、夜の街へと向かった。
ビルのネオンが、夜の街を青白く照らしていた。
繁華街のざわめきが遠くで響く。
視界に映る人々の動き、車のライト、交差点の信号——
それらすべてが、夜の街の「鼓動」だった。
ゆいは、ポケットの中の封筒を握りしめながら、指定されたビルの前に立った。
——ほんまに、これだけでええんやろうか。
リョウや美柑は「ただ渡すだけでええ」と言った。
でも、それが「普通の仕事」ではないことは、わかっていた。
それでも、これは「プレイヤー」になるための第一歩。
ゆいは、深呼吸をしてビルの中へ入った。
エレベーターで3階へ上がり、廊下を進む。
ドアの前に立ち、ゆっくりとノックする。
——コン、コン。
ドアが開いた。
中には、30代後半と思しき男がひとり。
黒のスーツを着た短髪の男で、左手には煙草。
——この人が、渡す相手か。
ゆいは、ポケットから封筒を取り出し、男に差し出した。
しかし——。
男の表情が、一瞬、怪訝そうに曇る。
「……お前、誰や?」
口の動きだけを見て、ゆいはそう言われたことを察した。
スマホを開こうとするが——。
男が、いきなりゆいの手首を掴んだ。
「おい、なんか喋れや」
ゆいは驚き、一瞬、反射的に身を引いた。
男の眉がさらに歪む。
「……なんや、お前」
ゆいは、スマホに急いで打ち込む。
「耳が聞こえません。渡すだけです」
男は、その画面を覗き込むと、唇を歪めた。
「……なんや、冗談きついな」
ゆいは、封筒をもう一度差し出した。
——ただ、渡すだけ。それだけや。
しかし——。
男はすぐに受け取らなかった。
視線をじっとゆいに向けたまま、煙草を咥え直す。
「……お前、ほんまに“真里亞”のもんか?」
その言葉に、ゆいは息を詰まらせた。
——なんで?
ゆいの手が、ほんのわずかに震えた。
この仕事は「ただ渡すだけ」のはずやった。
それなのに、なんでこんな展開になっとる?
「……お前、ちょっと待てや」
男は、スマホを取り出し、どこかに電話をかけようとした。
ゆいの心臓が、強く脈打つ。
——このままでは、まずい。
何かを言わなあかん——でも、言葉は届かへん。
ゆいは、一瞬の迷いの後——
封筒を男の手の中に強引に押し込んだ。
「……!」
男は、一瞬驚いた表情をしたが、封筒を掴んだ。
ゆいは、すぐに踵を返し、ドアを開けた。
「……おい、お前——!」
男が何かを言いかけるが、ゆいは振り返らなかった。
ドアを閉め、すぐにエレベーターに向かう。
ボタンを押しながら、息を整えた。
——やっぱり、ただの「仕事」なんかじゃなかった。
エレベーターが開く。
ゆいは中に滑り込み、1階のボタンを押した。
ドアが閉まり、ゆっくりと下降する。
手のひらが、少し汗ばんでいた。
エレベーターの中で、スマホを取り出す。
そして、美柑にメッセージを送った。
「渡しました」
数秒後、既読がつく。
「ご苦労さん」
それだけの短い返事。
ゆいは、スマホの画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!