ラーメン屋を出ると、夜風がひんやりと頬を撫でた。
蒼一郎が軽くストレッチをしながら、笑う。
「いやー、食いすぎたわ。うまかったけど、ちょっと腹パンや」
ゆいはスマホに短く打つ。
「食いすぎや」
「お前もまあまあ食っとったやろ」
「普通」
「いや、結構な量やったで」
蒼一郎は冗談めかして笑い、ゆいは肩をすくめる。
通りには人の波が続いていた。
繁華街の光が、夜の闇を押しのけるように輝いている。
路地裏のバーの扉が開き、酔った客が大きな声で笑う。
高架下の向こうで、下りの電車が線路を揺らしながら走っていた。
2人は、目的もなく歩いた。
——久しぶりに、こんな風に過ごした。
ずっと、学校では一緒だった。
隣にいるのが当たり前だった。
でも、今は違う。
「当たり前」って、なんなんだろう。
蒼一郎といると、つい日常が恋しくなってしまう自分がいる。
ゆいは理由もなく彼を見た。
気さくな彼の横顔や、見慣れたその歩き方を。
スマホを打ち込みながらふと思う。
「なんでかわからんけど、楽しい」
蒼一郎は、スマホの画面を見て、少し驚いたように目を丸くした。
「お、珍しいな。お前、そんなこと言うん」
ゆいは、わからないというように首を振る。
でも、少しだけ考えてから、続けた。
「きっと、久しぶりやから」
「久しぶり?」
「しばらく会ってなかったやろ?それで…」
「それはお前が学校に来んからやろ」
「しょうがないやん」
ゆいは頷く。
「……俺」
蒼一郎は、ポケットに手を突っ込みながら、ふっと笑った。
「お前は、お前やん。耳が聞こえへんとか、関係ないやろ」
——関係ない。
ゆいの胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「お前が喋られへん分、俺が多めに喋るし、お前がスマホで言う分、俺がちゃんと読む」
「そんだけやろ」
ゆいは、スマホを見つめながら、ゆっくりと歩き続けた。
それが、ずっと当たり前のように思っていたけど——
でも…
「ほんなら、もうちょい歩くか」
蒼一郎は、笑って誤魔化すように言う。
「お前が楽しいって言うん、めっちゃ珍しいから、今日は歩き倒そや」
ゆいは、小さく頷いた。
しばらく歩くと、大きな交差点に差し掛かった。
信号待ちの人々が群れをなし、行き交う車のヘッドライトが白く光る。
蒼一郎が、ふと立ち止まる。
「そろそろ帰ろか」
ゆいは、スマホに「わかった」と打つ。
「お前は?」
「仕事がある」
蒼一郎の表情が、わずかに曇った。
「……仕事」
「ほんまに、やるん?」
ゆいは、短く「うん」と答える。
「やめとけへんの?」
「なんで?」
蒼一郎は、ゆいの顔を見つめた。
「……なんか、嫌な予感がする」
「大丈夫」
蒼一郎は、それ以上言えなかった。
信号が青に変わる。
蒼一郎は、一歩踏み出しかけて、
もう一度だけ振り返った。
「また……会える?」
ゆいは、スマホを開いたまま、しばらく考えた。
そして、短く打ち込む。
「きっとな」
蒼一郎は、少しだけ苦笑した。
「そっか」
「ほな、またな」
そう言って、蒼一郎は人混みの中に消えていった。
夜空を見上げると、星がいくつか輝いていた。
ビルの谷間には、夜のネオンが光り、
遠くで無機質なクラクションが響く。
——ほんまに、大丈夫なんやろか。
ゆいは、スマホを握りしめたまま、しばらく立ち尽くした。
そして、静かに踵を返し、次の目的地へと歩き出す。
“仕事”のある場所へ。
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