武道館の床に落ちた汗が、月明かりに淡く光っていた。
息が荒い。
全身の筋肉が張り詰め、心臓が強く脈打つ。
それでも美柑は、ただひたすらに動きを繰り返していた。
踏み込み、体捌き、間合いの操作。
相手の力を利用し、流れを掴む。
祖父の教えは、すでに体に染みついていた。
だが——
「何かが違う」
そう感じていた。
動きが噛み合わないわけではない。
間合いの取り方も間違っていない。
でも、どこかズレている。
それはまるで、目の前に透明な壁があるような感覚だった。
「……」
美柑は立ち止まり、拳を握った。
「何が違うんや?」
美柑は、強くなっている実感はあった。
技術は確実に向上していたし、
兄弟子たちとの組手でも、以前より優位に立てるようになっていた。
だが、それでも“違和感”が残る。
まるで、自分の中にノイズが混ざっているような感覚。
その違和感は、ほんの一瞬のズレとして現れる。
相手の攻撃をかわした時、
打撃を打ち込んだ時、
体を捌いた時——
ほんのわずかに、「流れ」が噛み合わない。
「……おかしいな」
武道は「間合いと流れを掴むもの」。
それを理解しているはずなのに、何かが引っかかる。
「じいちゃん」
稽古後、美柑は祖父に尋ねた。
「私、最近……なんか変な感じがするんよ」
「変な感じ?」
「間合いは掴めとるし、動きも悪くない」
「けど、なんかズレてる気がするんよ」
祖父は、美柑をじっと見つめた。
「……お前、自分の気持ちをちゃんとわかっとるか?」
「気持ち?」
「せや」
祖父は、美柑の肩をポンと叩く。
「“何のために強くなりたいんか”、お前は答えを持っとるか?」
美柑は、言葉を詰まらせた。
「……」
「強さいうのはな、技術だけやない」
「心と体が一致して初めて、本当の強さが生まれるんや」
祖父は、道場の窓の外を見ながら言った。
「今のお前は、どこか迷っとる」
「だから、お前の動きにズレが生まれとるんや」
「迷い?」
美柑は、自分の胸に手を当てた。
——私は、何のために強くなりたいんやろう?
最初は、遊びの延長だった。
次第に、強くなること自体が楽しくなった。
でも——
今は?
「私、なんでこんなに強くなりたいんやろ?」
母親みたいになりたくないから?
祖父の期待に応えたいから?
自分が「弱い」と思いたくないから?
どの理由も、しっくりこなかった。
「……」
祖父は、少し微笑んだ。
「焦るな」
「お前はまだ若い。答えなんか、すぐに出るもんやない」
「ただし——」
「答えを探し続けることだけは、忘れたらあかんで」
美柑は、その言葉をじっと噛みしめた。
「私が、強くなりたい理由」
「それが見つかった時、私はこの“ズレ”を超えられるんやろうか?」
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