翌日。
ラドミラはペトラと共に、熊巨人や猿ゴブリンの住処があるというヨスィーダ山ヘ向かった。
冬山登山なんてまっぴらという気持ちもあったのだが……。よく話を聞いてみると、ヨスィーダ山は、名前こそ『山』になっているものの、実際には小高い丘といった程度なのだという。中央には聖なる祠の洞窟があり、昔々は厄除け開運の女神を祀っていたのだが、いつの時代からか洞窟はモンスターたちに占拠されてしまったらしい。
「何それ。モンスターを退けられないんじゃ、全然『厄除け』になってないじゃないの。そんなんじゃ『開運』の方も怪しいわね」
というラドミラのツッコミに対して。
宿屋の女主人は、全く気にせず、笑い飛ばしていた。
「まあ、仕方ないよ。ほら、ああいうのは、あくまでも形だけだからねえ」
近くの村人がそんな態度だから――信仰心が薄かったから――、その女神は、力が弱まっていたのではないか。
ラドミラは、少し神様に同情してしまうのだった。
村とヨスィーダ山の間には、寂しい景色が広がっていた。
冬枯れの牧草地だ。暖かい時期には一面青々として、目にも鮮やかなのだろうが、今は見る影もない。
いっそ雪が降れば、美しい銀世界となるのだろうが……。見た目はともかく、現実的に歩く上では、積雪は困る。むしろ、この『寂しい景色』の方が良いとラドミラは思う。
「なんだか、これでは物悲しい気分になりますわね。寒い地域なのですから、ホワイト・ウィンターを期待していましたのに」
と、隣を歩くペトラは、呑気な感想を口にしている。
こういうペトラは、ラドミラから見ると「能天気」ということになるのだが、これも男の目には「天然系で可愛い」と映るのだろうか。
そんなことも考えてしまうラドミラだったが、自分の頭の中を話題転換する意味で、ふと尋ねてみる。
「そういえば……。なんでペトラは、熊巨人の内臓なんて欲しがってるの?」
報酬は熊巨人の肝と心臓だけで構わない、とペトラが言い出した件だ。おかげで村人からの金品は全てラドミラの懐に入るわけだから、ラドミラにとっては都合の良い話ではあるのだが……。少し腑に落ちない気持ちもあったのだ。
「あら! ラドミラさん、知りませんの? あれって、貴重な材料になりますのよ」
「材料……? もしかして、スイーツの材料に……?」
ペトラが欲しがるということは、そういう意味なのだろう。モンスターの臓物なんて、間違ってもラドミラは口に入れたくないのだが。
眉間にしわを寄せて尋ねるラドミラに対して、同じく顔をしかめながら、ペトラは返す。
「まあ、下品。あんなもの、食べられませんわ。味なんて知りませんが、もしも美味だとしても、御免こうむります」
本当に嫌そうな表情だ。
いやいや、あんた甘い物なら何でも大歓迎じゃないのか? そう心の中でツッコミを入れながら、ラドミラは、さらに聞いてみる。
「じゃあ、なんで……?」
「秘薬の原料になりますのよ、熊巨人の肝と心臓は。お店でもなかなか買えない、貴重な魔法薬ですわ」
呪文詠唱時に併用することで、魔法の持続時間を長くする効果があるのだという。
ペトラの説明を聞いて、
「へえ。ひとつ賢くなったわ。ありがとう」
素直に礼を言うラドミラ。彼女の魔法は一瞬で敵を倒す威力があるだけに、持続時間には関心なかったのだが……。それでも、魔法関連の知識が増えるに越したことはない。
内心では「さすがは高名な魔法士、ただの甘い物マニアではなかったのだなあ」と改めて思っていたが、そちらは口には出さなかった。
そんなラドミラに向かって、
「どういたしまして」
ペトラは、無邪気な笑顔を浮かべているのだった。
ヨスィーダ山は、冬でも青々とした常緑樹の森であり、冬枯れの野原の中では、遠くからでも目立つ丘となっていた。
村からの街道に続く山道は、聖なる祠の洞窟に至る参道なのだろう。石畳で舗装されているわけではないが、しっかりと土が踏み固められており、かなり歩きやすい。
ただし両側には高い木々が並んでおり、その間から、いつ何が現れるかわからない状態だった。
自然と二人は、ヨスィーダ山に入った辺りで、おしゃべりを止める。攻撃力のあるラドミラを前衛にする形で、周囲を警戒しながら、黙って進むうちに……。
「来たわね」
モンスターの気配を察して、ポツリと呟くラドミラ。
続いて、右斜め前の茂みがガサゴソと音を立てたかと思うと、モンスターが飛び出してきた。
「ギギギ……!」
猿ゴブリンが二匹。一匹は小型のナイフを手にしており、もう一匹は生意気にも、人間の傭兵が使うような大剣を両手で抱えている。
「守れ! 鉄壁防御!」
戦闘の邪魔にならないよう大きく後退しながら、呪文詠唱するペトラ。
その瞬間、ラドミラは、全身が魔法の薄膜で覆われるのを感じた。不可視の保護膜であり、魔法耐性だけでなく、物理攻撃に対する防御力も大幅にアップしたことになる。
「サンキュー、ペトラ!」
短く礼を言ってから、ラドミラも魔法を唱える。
「貫け! 激圧水流!」
細く圧縮された水しぶきが、大剣持ちの猿ゴブリンに襲い掛かった。
回避の暇もなく、水圧で胸を貫かれ、血を吹き出しながら絶命するモンスター。
もう一匹は、相棒を殺られて呆気に取られたのか、一瞬その動きを止めてしまうが……。
「それって、戦場では命取りよ!」
余裕の言葉を口にするラドミラに詰め寄られ、彼女のナイフで喉首を掻っ切られて死亡。あっというまに、仲間の後を追う形になるのだった。
会敵から五分とかからず、戦闘終了。
ホッと一息つきたいところだったが、
「ラドミラさん!」
ペトラの悲鳴を耳にして、本能的に、バッと飛び退く。
すると、前を横切ったのは、大きな茶色の巨体。
左側から現れた熊巨人が、たった今までラドミラのいた場所に、突進してきていたのだ。
「なるほど、そういう戦法だったのね……」
呟くラドミラ。
陽動を兼ねて、先に猿ゴブリンが襲いかかり、続いて反対側から熊巨人が挟撃する……。
しかし、しょせんは猿ゴブリンの猿知恵だった。あまりにも短時間で、熊巨人が出る前に倒されたことで、陽動にも挟撃にもならなかったわけだ。
しかし。
モンスターたちの戦法は崩れたとはいえ、そもそも熊巨人は上級モンスター。先ほどの猿ゴブリンとは異なり、間違っても接近戦をしてはならない相手だった。
「グァーッ!」
咆哮と共に熊巨人が振りかざしたその手には、凶悪な鉤爪が黒光りしている。いくらペトラの鉄壁防御で守られているとはいえ、あれを食らったら、ひとたまりもないだろう。
「速まれ! 高速活動!」
鉄壁防御に続いて、新たな補助魔法が、ラドミラの体にかけられた。
高速活動。全身の筋肉や関節に魔力を染み込ませることで、その可動を迅速にする魔法だ。
猿ゴブリン相手では使わなかったのに、今度は詠唱したということは、ペトラも「熊巨人相手には回避力が重要」と考えているのだろう。
そうラドミラは推測して、
「一応、試してみましょうか」
再び、大きく後ろへ跳ぶ。
まだ熊巨人からは十分に離れているが、距離を詰められる前に「高速活動で、どれだけ素早く動けるようになったのか」を確認しておきたかったのだ。
「あらあら。これは……」
効果のほどは、思った以上だった。
以前にラドミラは、別の魔法士と組んだ際にも、高速活動をかけてもらったことがあるのだが……。
その時とは全く違う。さすがはペトラ、補助魔法を重視するネオ・シャドウ流の第一人者だ。
心の中で、あらためてペトラを評価するラドミラ。
一方。
ラドミラが距離を取ったことで、モンスターの方でも何かを感じたらしい。
「ガーッ!」
再び大きく叫んで、威嚇するかのように、離れたままブンブンと大きく両手を振り回し始めた。
ペトラはペトラで「さあ戦闘開始だ!」とでも思ったのか、ラドミラにアドバイスを送る。
「ラドミラさん! 炎は厳禁ですわ!」
それくらい、言われなくてもわかっている。ここで炎系統の魔法で戦えば、山火事のおそれがある。だから先ほども、烈火燃焼ではなく、激圧水流を用いたのだ。
そう思うラドミラだったが。
「ラドミラさんの烈火燃焼では、相手を燃やし尽くしてしまいますからね! せっかくの熊巨人なのに、肝も心臓もダメになっちゃう!」
「そっち? ちょっとペトラ! あなた、私よりも熊巨人の方が心配なの?」
「ペトラさん! 前、前!」
ラドミラが一瞬、後ろのペトラに意識を向けた隙に。
本能的に好機と察したらしく、熊巨人が突っ込んできた。
「甘いわね!」
サッと横に飛び退きながら、ラドミラは呪文を詠唱する。
「燃やせ! 烈火燃焼!」
火力馬鹿ではないとペトラに見せつける意味もあって、あえて炎を放つラドミラ。
山火事など絶対に起こさせない程度に火力を弱めて、熊巨人の顔面に、魔法を直撃させたのだ。
「グワッ?」
いきなり顔を焼かれて、動きが止まるモンスターに対して……。
「はいはい。今、消火してあげますからね」
軽口を言ってからラドミラは、とどめの一撃をお見舞いする。
「貫け! 激圧水流!」
消火なんて勢いではない水しぶきが、熊巨人の眉間に集まっていく。
その水圧の激しさにより、熊巨人は、分厚い『熊』の毛皮も強靭な頭蓋骨も貫かれて……。
あっけなく絶命して、その場に倒れこむのだった。
「ラドミラさんのナイフ、便利ですわねえ」
「モンスターの臓腑が欲しいなら、自分で刃物くらい用意しなさいよ!」
「あら! そんな危ないもの、私には持てませんわ。か弱い魔法士ですもの」
のほほんと言ってのけるペトラに、半ば呆れながら。
彼女のためにラドミラは、熊巨人の解体作業を行っていた。
全身の解体ではなく、肝と心臓を取り出すだけなので、その周囲だけ。それでも、モンスターの体内からは、鼻が曲がりそうな異臭が漂ってくる。
「やだ、この臭い……。ペトラ、魔法で何とかならないの?」
「そう言われましても……。鉄壁防御では、匂いまでは遮断できませんからねえ」
先ほどの鉄壁防御は、まだ効き目が続いているはず。つまり今、ラドミラは魔法の薄膜に覆われているわけだが、ペトラの言うように、この膜には異臭を遮る効果はなかった。
それはラドミラも理解している。戦場では、匂いで敵や罠を察知することもあるから、嗅覚だって生死を分ける感覚の一つ。そこを麻痺させるような魔法では、迂闊に使えないのだ。
わかった上で、それでも愚痴を言いたい心境なのだが……。なんだかんだ言いながらも、ペトラのために作業を続ける、優しいラドミラだった。
革袋越しでも臭う肝と心臓を、腰にぶら下げながら。
ラドミラとペトラの二人は、ヨスィーダ山の奥へと進んでいく。
しばらく歩くと、鬱蒼とした森の中から、ぼうっとした光が見えてきた。
「あれが問題の洞窟ね」
「そうみたいですわ。中から明かりが漏れているのでしょう」
洞窟内部の岩肌にヒカリゴケが生えており、それが発光現象を引き起こす。よくある話なので、魔法士である二人には、特に違和感もないのだが……。
もしかすると、昔の人々はこの『光』を神聖なものだと考えて、ここを女神の洞窟としたのかもしれない。ふとラドミラは、そんな想像をしてしまった。
誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、ラドミラとペトラは、光る洞窟へと近づいていき……。
入口近くで、まるで示し合わせたかのようなタイミングで、二人同時に足を止めた。
「ねえ、ペトラ。さっきの鉄壁防御、あれの遮断効果って……」
「守れ! 鉄壁防御!」
ラドミラに最後まで言わせず、魔法をかけ直すペトラ。
二人とも、洞窟内部で何が起こっているのか、もう察しがついたのだ。
「これで、しばらくは大丈夫ですわ。鉄壁防御が、きちんと遮ってくれますから……。さあ、行きましょう!」
安心したかのように前を歩くペトラに続いて、ラドミラも入っていく。
異臭の漂う、洞窟の中へ。
洞窟内の通路は曲がりくねっていたし、多少の分岐もあったが、それでも迷うほどではなかった。
やがて二人が辿り着いたのは、広々とした空間。天井も高く、洞窟の中とは思えないくらいだ。
中央が台地状に盛り上がっているのは、祭壇か何かのつもりらしい。『聖なる祠』だった時代には、そこに女神が祀られていたのだろう。だが今は、その代わりに、魔法式のストーブが――村から盗まれた高価な暖房器具が――、デンと鎮座させられていた。
そして。
ストーブの周囲には、倒れ伏したモンスターたち。
十数匹の猿ゴブリンと、二匹の熊巨人だ。そのうち一匹は、熊巨人にしてはサイズが小さいので、まだ子供だったのかもしれない。
それら全てが完全に事切れており、中央の魔法ストーブは、当然のように火が消えていた。
モンスターの死骸を見下ろしながら、ラドミラは嘆息する。
「はあぁ……。いくら広いとはいえ、洞窟の中だもんね……。こんなところで使い続けたら、そりゃあ酸素不足で、不完全燃焼にもなるわよ……」
魔法式とはいえ、ストーブはストーブ。酸素を使って燃焼する、という原理は同じ。だから換気に注意して使わないと、一酸化炭素中毒になるのだった。
そう。
ここで暮らすモンスターたちは、一酸化炭素中毒で全滅してしまったのだ。今も一酸化炭素が充満する洞窟の中で、ラドミラとペトラが平然としていられるのは、鉄壁防御に毒素を遮る効果があるおかげだった。
確か、一酸化炭素そのものは、無味無臭の気体のはず。ならば洞窟入口で感じた臭いは、これらモンスターの死臭だったのだろうか。
頭の中の知識と照らし合わせて、そう考えるラドミラの横で。
「ここの神様は、開運の女神のはずでしたのに……。このモンスターたちは、運がなかったのですね」
ペトラはペトラで、思うところを口にしていた。
それに対して、ラドミラが軽く首を横に振る。
「いいえ、運じゃないわ。知識が足りなかったのよ。一酸化炭素中毒のことも知らずに、ストーブなんて使うから……。しょせんは猿真似、猿知恵だったのね」
ペトラはラドミラの言葉など耳に入っていないのか、まだ女神に関して、何やら嘆き続けている。
「女神様は追い出されて、聖なる祠は、モンスターたちに占拠されて……。でも、そのモンスターたちも一酸化炭素に駆逐されて、今度は一酸化炭素が、洞窟の主になったのですね。何の因果でしょうか……」
ラドミラも、ペトラの言葉は聞き流すことにした。
一酸化炭素中毒でやられた熊巨人からも、ペトラは肝や心臓を欲しがるのだろうか。秘薬の原料として使えるのだろうか。
ふと考えながら、あらためて熊巨人の死体に視線を向けるラドミラ。
なんだか少し、この二匹の熊巨人が哀れに思えてきた。
本来ならば、自分の巣穴で冬眠しているはずだった熊巨人たち。ところが、猿ゴブリンたちと一緒に冬を過ごしたせいで、こんな結果に……。
「あなたたち……。冬眠どころか、永眠になってしまったのね」
ラドミラは、しみじみと呟くのだった。
(「冬眠モンスター」完)
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