この復讐は扇綾香の提供でお送りします

さらす
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第十四話 空っぽの牢獄

公開日時: 2021年5月6日(木) 20:48
文字数:2,482

 赤尾さんに教室を連れ出された僕たちは、ひとまず体育館の前で一息ついた。

 

「まったく、今回は随分と無茶をしたねぇ、扇綾香」

「……すみません」


 扇綾香は赤尾さんに素直に謝っている。そういえばこの二人、仲が悪いんじゃなかったか?

 ダメだ、頭の整理が追いつかない。次々と新たな事実が現れてきて、僕の理解が追いついていない。とにかく一個ずつ話を処理しないと。

 まず一つ目、瀧くんは遺書を残していて、その内容はこの僕――蓬莱実嵯人に虐げられているから死を選ぶというものだった。しかしそれは僕が今まで知っていた情報と矛盾する。

 二つ目、扇綾香は僕が瀧くんを虐げていたという事実を否定した。これもおかしな話だ。扇綾香からすれば、むしろ僕が瀧くんを虐げていたというのは自然な話のはずだ。なのに萱愛先生にあそこまで抗議したのはおかしい。

 そして三つ目……


 瀧くんは、扇綾香に暴力を振るっていたという話。


 新たに明らかになったこの三つの話は、どれも今までの話と食い違っている。今までの僕の認識は、「扇綾香が僕を虐げていて、そのせいで僕は記憶を失っていた」というものだった。しかしこれではまるで、僕が瀧くんを虐げようとして、抵抗された結果記憶を失った可能性さえある。

 わからない。一体何が真実なんだ? 僕はどうして記憶を失ったんだ? 何もわからない。


 いや待て、一つだけ確かなことがあるじゃないか。今目の前にいる扇綾香。この女は間違いなく、蓬莱実嵯人と瀧秀輝の二人の身に起こった何かと関わっている。関わっているからこそ、遺書の内容を否定したんだ。遺書の告発が事実と異なるという確信があるからだ。

 なら僕が取るべき行動はひとつしかない。


「扇綾香……いや、扇さん」


 僕は扇さんに向き直り、動揺している彼女の両肩を掴んだ。


「君にあんなことをしておいて、虫がいいことを言うのは自分でもわかってます。でも僕は知りたいんです、僕の身に何が起こったのかを」


 そして僕は、扇さんの肩から手を放し、地面に手を着いた。


「お願いです! 知っていることがあったら教えてください! 一体、終業式の日に僕の身に何があったんですか!?」


 地面に額を擦りつけるくらいの勢いで頭を下げ、扇さんに懇願する。それほどまでに、僕は必死だった。


「……蓬莱くん。私からお話できることは何もありません」

「扇さん!」

「何もないんです! あなたは何も思い出すべきではありません! あなたは今まで通り、私を憎んでくれればいいのです! そうすればあなたは平和に生きていける!」


 扇さんは両目を強く閉じて、僕の顔を見ようとしない。その右手で自分の前髪を掴み、頑なに語ろうとしない。


「扇綾香、私はもう隠し通すのは無理だと思うけどねぇ」


 だけどそんな扇さんに、赤尾さんが声をかけた。


「……赤尾さん!」

「私も『あんなこと』が起こった責任を感じていたから、君に協力していたけどねぇ。ここに来て事態は変わってしまったのは、君もわかっているんじゃないかなぁ?」

「あなたは私に協力すると言いました。『あのこと』は蓬莱くんは何も悪くないとも言いました。それなのに、彼に思い出せと言うんですか!?」

「協力はするけど、君に共感はしていないとも言ったはずだよぉ。それにもう、私と君の協力関係も、扇綾香という人間が憎むべき人間ではないことも、蓬莱くんにバレてしまったからねぇ。これじゃもう、隠し通すのは無理だよねぇ」

「くっ……!」


 扇さんは顔をしかめながら、僕の方をチラリと見た。しかしそれは一瞬だけで、すぐに赤尾さんに視線を戻してしまう。


「それでも! 私は蓬莱くんの憎むべき敵でなければならないんです! だって、私は、私は……!」


「扇さん!」


 だから僕は、今の思いを扇さんにぶつけることにした。大声を出した僕に対し、彼女はピクリと身体を震わせる。


「……今の言葉で、あなたが今まで僕のために動いていたことはわかりました。だとしたら、僕は尚更、君に真実を語って欲しい。もしここで僕が記憶を失ったままなら、僕はこの先何もわからずに生きていくことになる。記憶を失う前の僕が何か大変な事態に巻き込まれたという事実だけはわかっているのに、その内容は何もわからずに、目を逸らしたまま生きていくことになってしまう。そんなの……」


 僕が気づいたときには、自分の両目から自然と涙が流れていた。


「僕が今まで生きた時間が全て否定されてるみたいじゃないですか!!」


 そうだ、覚えていないとはいえ、僕は十数年間生きてきた。だけどそれを思い出すことも、知ることも禁じられたとなれば、僕はこの先何を支えにして生きていけばいい? 何を信じて生きていけばいい?記憶を失い、扇さんへの憎しみすらなくなった僕は、また空っぽになってしまう。


「だからお願いです。僕をもう……解放してください……この空っぽの牢獄から、自由にしてください……」


 そして僕は、もう一度扇さんに頭を下げた。それこそ、縋るような声を出していた。


「……頭を上げてください、蓬莱くん」


 扇さんは静かに声を出す。頭を上げた僕が見たのは、両目から涙を流し、許しを乞うように怯えた表情の扇さんだった。

 僕はこんな顔の扇さんを見たことはない。だけどおそらくは、これが本来の彼女なんだろう。


「私、私は……また間違ってしまったのですね……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 そして扇さんは膝を着いて地面に踞り、涙声で謝り始めた。なんだろう、どうして扇さんが謝っているのだろう。


「……どうやら、扇綾香は話せる状態ではないようだねぇ」

「赤尾さん……」

「だけど私が知っている情報には限りがあるよぉ。この話だけはどうしても扇綾香、君の口から語られるべきだ。そうだよねぇ?」

「はい……」


 泣きじゃくっていた扇さんは手で涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。


「お話します、蓬莱くん」

「え……?」

「あの日、いえ、今まで私に何があったのかを」

「扇さんの身に、何があったのか……?」


 どういうことだ? 僕の過去について話してくれるんじゃないのか?


「……私は、あの歪んだクラスに囚われていました。それを救ってくれたのが、蓬莱くん、あなただったのです」

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