私は蓬莱くんに助けを求められないまま、終業式の日を迎えることとなった。夏休みに入ってしまえば、学校に行くこともない。瀧くんと会うこともないだろう。
しかし、終業式が終わって教室に戻ってくると、瀧くんは早速私に声をかけてきた。
「扇さん、ちょっと来て」
何かイヤな予感はしたけれども、私は彼への恐怖から、大人しく従わざるを得なかった。
校舎の階段の近くに来ると、瀧くんは私に険しい顔を向けてきた。
「扇さん、君さ、蓬莱に何か言ったの?」
「え?」
「最近、蓬莱のヤツが僕のことを探ってるみたいなんだよね。クラスメイトに『瀧が扇さんに何かしてないか』とか、『扇さんは瀧の言いなりになってないか』って質問してるんだって」
「……わ、私は、何も知りません」
そうか、蓬莱くんはやっぱり私のことを心配してくれていたんだ。だから、瀧くんのことを探ってるんだ。
だけどその気遣いは、今の私にはマイナスにしかならなかった。
「ウソをつくんじゃないよ!」
「ひっ!」
現に、彼の行動は、瀧くんを怒らせてしまっている。
「君が蓬莱に何か告げ口したんだろ! そもそもさぁ、僕がこんな苦労しているのって、君のせいだよねぇ!? それなのに僕のことを悪く言うなんて、ひどい人だね君は!」
「そ、そんな、私は……」
「言い訳する気なのかい!? 君が僕の勧誘をちゃんと受けてれば、こんなに話もこじれなかったし、僕が君の面倒を見ることもなかったんだよ! 全ては君が悪いだろ!? そうだろ!?」
「ううう……」
そうなのかもしれない。私が瀧くんの勧誘を受けて、サッカー部のマネージャーになっていれば、全ては丸く収まっていたのかもしれない。じゃあ今の状況は、全部私のせい……?
「……せっかくだから、忠告しておくよ。正直ねえ、君の面倒見るのはもううんざりなんだ。だからこれ以上君が蓬莱に何か言うつもりだったら、本当に君を殺してしまうかもしれない」
「……!?」
私を……殺す?
「だってそうだろ? 全部君のせいなんだ。君さえいなければ、みんな平和に過ごせたんだ。だったら君なんていない方がいいだろ? 大丈夫、君が死んでも、僕のせいにはならずに、蓬莱のせいにする準備もしているからさ、君は安心して死んでいいよ」
「……」
私が、私がいなければ、みんな平和に過ごせたんだろうか。瀧くんも私の面倒を見る必要も無く、赤尾さんと別れることもなく、萱愛先生を怒らすことも無かったのかもしれない。
だったら……私なんていない方が……
「随分と物騒なことを言ってるな、瀧秀輝」
だけどそんな私の思考を、階段から上ってくる一人の男子の声が止めた。
私も、そして瀧くんも、階段を見下ろす。そこにいたのは、私が助けを求められなかった相手、蓬莱実嵯人だった。
「アンタの不幸が、全部扇さんのせいだって? バカじゃねえのか? そうやって他人のせいにするその性根が、彼女に振られた原因だろ」
「蓬莱……!」
瀧くんは決定的瞬間を見られたことで、かなり動揺している。だけどどうして? どうしてここに蓬莱くんが?
「扇さん、アンタは瀧とは何もないって言ってたけど、やっぱり気になったんだ。だから俺なりに調べた。そして知ったんだ、アンタが瀧に暴力を振るわれていることをな」
「蓬莱くん、私は……あなたに助けを求めなかったのに……!」
「ああ、そうだ。アンタは俺に助けを求めなかった。だけど考えたんだ。もし俺が同じ立場だったら、碌に話したこともないクラスメイトに助けを求められるかって。それにアンタは女子だ。瀧のことは相当怖かっただろうし、それに……」
蓬莱くんは、一瞬顔を伏せる。
「アンタの恐怖に、今まで気づかなかった俺たちにも責任がある」
そしてもう一度、私の方を見て、申し訳なさそうな微笑みを浮かべた。
「蓬莱くん……!」
私はバカだ。どうして素直に彼に助けを求めなかったんだろう。どうして私に声をかけてくれた彼を、信じることができなかったんだろう。そう思うと、自然と涙が溢れてくる。
「瀧秀輝、一度だけ言うぞ。もう扇さんからは手を引け。そうすれば萱愛先生にも黙っておいてやる」
「蓬莱くん、僕は別に扇さんを怖がらせていたわけじゃないんだ。ただ事実を言っただけだよ。彼女が素直に僕を受け入れていれば、こんなことにはならなかった」
「いや、違うね。アンタは面倒ごとを押しつけられても、萱愛先生に反抗しなかった。萱愛先生に『自分には無理なので他を当たってください』とは言わなかった。そしてアンタは扇さんの面倒をまともに見るつもりもなかった。そうやって外面だけ取り繕うとした結果が、今の状況に繋がった」
「……だとしても! 何で僕がこんな目に遭わないとならないんだ!」
瀧くんは尚も怒り続けるが、階段を上って私たちに向き合った蓬莱くんは恐れない。
「アンタが扇さんの面倒を見るつもりがないなら、俺が扇さんの友達になる。それなら萱愛先生も文句は言わないだろ?」
「そういう問題じゃないんだよ! 僕が言われたこともできない人間だと思われるのが問題なんだ! そうならないためには、扇さんが僕に素直に従っている必要があるんだ! 君が首を突っ込む話じゃないんだよ!」
「例え冗談だとしても、他人に向かって『殺してしまうかもしれない』なんて言う人間に、扇さんを任せられるわけねえだろ。とにかくアンタは一度頭を冷やせ。例えアンタが扇さんの面倒を見れなくても、萱愛先生からの評価が落ちるだけだ。大した問題じゃねえ」
「この僕があんなババアからも見下されるなんてことが、小さい問題なわけないだろ!」
蓬莱くんの言葉に逆上した瀧くんは、彼に掴みかかった。
「大体なあ! 君みたいなヤツが僕に意見を言うなんてのが既に腹立たしいんだよ! 人望も! 友達の数も! 僕の方が上だろうが! 人間としてのレベルが違うんだよ!」
「アンタも萱愛と同じじゃねえか! 自分の価値基準が絶対だと思っている! その傲慢さが、周りの人間を振り回す!」
「僕をあんなババアと一緒にするんじゃないよ!」
二人は激しくもみ合っていたせいなのか、自分たちが階段のすぐ傍にいたことを忘れていた。だからだろう。
争っている内に、二人は階段の方向に向かっていってしまい、足を踏み外す。
「えっ?」
「なにっ!?」
二人が同時に驚愕の声を発したが、その時にはもう、二人の身体は階段の下に転落していってしまった。
「……え?」
激しい音と共に、二人の身体が階段の下に強く叩きつけられる。私が見下ろした時には、二人はピクリとも動いていなかった。
「あ、ああ……」
私はそれを見て、ショックのあまり微動だに出来なかった。
なんで、なんでこんなことに? なんで私を助けようとした蓬莱くんと、私を虐げていた瀧くんがこんなことに?
いや、わかっている。全ての原因は私にある。この事態を回避できるチャンスはいくらでもあった。私が瀧くんの勧誘を受けていたら。私が萱愛先生に強く意見を言えたら。私が蓬莱くんに助けを求めていたら。こんなことにはならなかった。
だけど私は、そのチャンスを悉く逃した。私が動けばいくらでも回避できたのに、誰も傷つかない未来があったはずなのに、私はそれをフイにした。
「こ、これはどういうことかなぁ!?」
動けないでいると、二人が倒れている場所から女子の声がした。見るとそこには、赤尾さんが二人を見つけて驚きの表情を浮かべている。
「そ、そこの人! 先生をよんでくれないかなぁ!? 早く!」
「は、はい!」
その言葉でようやく我に返った私は、先生を呼びに教室に走った。
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