この復讐は扇綾香の提供でお送りします

さらす
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第十七話 助けを求める勇気

公開日時: 2021年5月15日(土) 19:10
文字数:3,608


 瀧くんが『千景ちゃん』と呼ばれる女子に、自分の行動を咎められてから一週間。彼は抜け殻のように元気がなくなっていた。後から聞いた話だが、『千景ちゃん』――赤尾千景は、瀧くんと中学時代から付き合っていた彼女だったそうだ。当然の如く、二人は一緒の高校に入り、高校でも交際を続けるつもりだったようだが、その目論見は早くも崩れ去ってしまった。

 私としては、彼が赤尾さんにフラれたのは可哀想だと思わなくもないけど、どう考えても自業自得なので、むしろいい気味だという気持ちの方が勝っていた。私は彼の不幸を喜んでも許されるはずだ。


 しかし、私の束の間の平穏は突然終わりを告げる。


 授業が終わって帰りの支度をしていた時、萱愛先生が私の方につかつかと歩いてきた。この時点で少し嫌な予感はしていたが、先生を無視して帰るわけにもいかなかった。


「扇さん、あなた、また一人でいるようね」

「い、いや、そんなことはないですけど……瀧くんたちと一緒にご飯食べてますし……」


 色々言われるのを恐れた私はとっさにウソをついたが、萱愛先生は険しい顔を崩さなかった。


「扇さん! 無理をしなくていいのよ! 先生を心配させまいとしてるのはわかるけど、隠し事をしちゃダメ!」

「う……」

「瀧くんが最近元気ないじゃない? 彼もきっと扇さんと仲良くしたいけど、あなたが彼に心を開いていないから、元気がなくなってしまったのよ。だから扇さんも、瀧くんともっと仲良くしなきゃだめ!」


 萱愛先生は熱心に語りかけてくるが、その熱意が逆に鬱陶しかった。


「大丈夫、瀧くんには先生の方からちゃんと言っておくから、扇さんも瀧くんに心を開かないとダメよ」


 自分の言いたいことを言うだけ言って、萱愛先生は教室を出て行ってしまった。なんだかとてもイヤな予感がするが、その予感は的中することとなる。



 その翌日。

 昼休みになり、私は一応瀧くんのグループと一緒に昼ご飯を食べようとするが、その前に瀧くんから声をかけられた。


「ちょっと来なよ、扇さん」


 瀧くんの目は、あの時私を殴った時のように、相手に有無を言わさない傲慢な目つきだった。恐怖を感じた私は、促されるままに瀧くんに連れて行かれてしまう。


「……ここなら誰にも見つからないか」


 今回連れてこられたのは、体育館の倉庫だった。前回のことがあっったからか、瀧くんはかなり周りを警戒している。


「扇さん、僕がなんで怒ってるかわかる?」

「え? えーと、それは……」


 まず瀧くんが怒っていることを今初めて知っているので、考えても理由なんてわかるはずがない。答えられないでいると、顔面に衝撃が走った。


「ごぶっ!!」


 目の前の景色が急激に変わり、背中に柔らかいものが当たる感覚が伝わる。倉庫にあったマットに身体を横たえたとわかった時には、視界がチカチカと光り、鼻から血が流れ出していた。


「あ、ひあ……!」


 鼻の強烈な痛みが襲ってきて、両目から涙があふれ出してくる。痛い、痛い。こんな痛みは生まれて初めてだった。


「はい時間切れ、答えられなかったから罰ね」


 瀧くんの言葉で、ようやく自分が彼に殴られたのだと知る。まさか同級生の男子に、思い切り顔を殴られるなんてことになるとは思わなかった。


「あのさあ、扇さん。君なにか萱愛に告げ口したでしょ? 今日の朝さあ、萱愛に言われたよ。『瀧くん、扇さんが君に心を開いていないみたいだけど、諦めずに話し合えば、きっと仲良くなれるわ』って。また面倒なことしてくれたねえ!」


 怒りに満ちた叫び声を上げながら、瀧くんは私のお腹を踏みつけてくる。お腹の中の物が逆流するような感覚に襲われたが、かろうじて抑えた。


「なんで! 僕がこんな目に遭わないとならないのかなあ!? 高校に入っても上手くやれる自信はあったんだよ!? 教師の機嫌を上手く取って! 可愛い彼女との付き合いも続けて! 誰が見ても充実した生活を送る自信があったんだ! なのに君のせいで全部台無しだよねえ! どうしてくれんの!?」


 尚も怒りながら、私の身体を踏みつけてくる。『どうしてくれんの?』と言われても、私が悪いんじゃない。そしてきっと、萱愛先生も瀧くんも悪くない。先生も私を気遣って行動したわけだし、瀧くんも萱愛先生に私の世話を押し付けられなければ、ここまで歪まなかったかもしれない。今の状況は、様々な偶然か重なり合った結果だ。

 だけどそれを指摘しても、瀧くんの怒りが収まる筈はないし、かえって火に油を注ぐだけだろう。そうだ、私はこのままこの暴力を受けていればいいんだ。そうすればこれ以上、事態が混乱することはない。表向きは瀧くんと仲良くしていれば、萱愛先生も何も言ってこないだろう。それでいいんだ。


「ああくそ、どうにもイライラが収まらないなあ! 扇さん、君もちょっとはさあ、反省してんの!?」

「……はい、すみません……でした」


 身体のあちこちが痛みを訴えながらも、私は辛うじて謝罪の言葉を口にした。それを聞いたことで瀧くんも少しは落ち着いたのか、ポケットからハンカチを取り出して、私の顔の血を拭き取る。


「ふん、そんな顔して教室に帰ってきたら、また萱愛になんて言われるかわからないからね。ほら立ちなよ、一緒に昼ご飯食べよう。なんたって僕たちは『友達』なんだから、ね?」

「……はい」


 瀧くんの言葉にうなずきながらも、心に確かな気持ち悪さを感じながら、私は教室に戻った。



 ――それから。


「ぐぶっ! おええええ……」

「あーあ、汚いなあ。学校を汚しちゃだめだよ扇さん」


 私は毎日のように、瀧くんから暴力を振るわれ続けた。男子による暴力は私の身体を十分すぎるほどに痛めつけたが、それ以上に私の心を蝕んでいた。

 こわい、こわい。瀧くんがこわい。彼の暴力がこわい。彼の理不尽な怒りがこわい。だけど私はそれ以上に、彼に逆らうのがこわい。もし彼に逆らったら、もしかしたら私は殺されてしまうのかもしれない。

 萱愛先生に相談することはできなかった。萱愛先生は瀧くんのことを、『明るくていい子』だと信じきっているし、何より私の話をまるで聞いてくれない。それに萱愛先生に相談すれば、瀧くんのことを余計に怒らせる可能性があって、それがこわかった。

 私の身体はアザだらけになり、夏服を着ることは出来なかった。もしこのアザがみんなにバレたら、それこそ大ごとになる。

 だから私はこれでいい。このまま一年間我慢すれば、私だけが傷つくだけで済む。それでいいんだ。


 そう思い続けて、気が付けば一学期が終わりつつあったある日。昼休みに入り、いつものように瀧くんたちのグループとお昼ごはんを食べようとした時だった。


「扇さん、ちょっといいか?」

「……蓬莱くん?」


 入学式の日から、ほとんど会話していなかったはずの蓬莱くんが私に声をかけてきた。



「あのさ、今日は俺と一緒にご飯食べない?」

「え?」

「あ、いや、迷惑かもしれないけど、ちょっと話したいことがあってさ……」

「わ、わかりました……」


 少し意外だったが、蓬莱くんの話が気になったので、私は彼と一緒にご飯を食べることにした。


「……」


 蓬莱くんは黙ってご飯を食べていたけど、ただ黙っているというより、何かを話そうとして躊躇している感じだった。だけど彼は、意を決したように顔を上げ、私の目を見た。


「なあ扇さん。アンタ、何か隠していることないか?」

「え?」

「いや、実は俺、見ちゃったんだよ。アンタが瀧と一緒に体育倉庫に入っていくとこ」

「……!」


 見られてた!? いや、この言い方だと、私が瀧くんに殴られているところは見ていない。なんとか誤魔化さないと……


「あ、あれは、私が体育倉庫に落し物をしたので、瀧くんに一緒に探してもらったんです……」

「……本当か?」

「……」

「俺が見たのは、アンタが瀧と体育倉庫に入っていくところだけだが、倉庫の中で瀧が怒鳴っているのも聞いたぞ」

「……」


 だめだ、多分蓬莱くんは、私が瀧くんに何をされているのか薄々気づいている。だけどここで私が彼に相談すれば、彼を巻き込んでしまう。いや、それどころか瀧くんを怒らせてしまうかもしれない。そうなれば私は本当に……


「なあ扇さん。アンタが何も言わないのなら、この話はこれで終わりにする。だけどな……」


 蓬莱くんは立ち上がって私を見下ろす。


「助けてほしいなら、『助けてください』って言わないと、誰も助けてはくれないぞ」


「……あ」


 そうだ、私は彼に何も言わなかった。だから彼は私を助ける義理は無い。彼は私の話を聞いた上で、自分が何をするかを判断したいんだ。

 どうしよう、ここで助けを求めれば、蓬莱くんが瀧くんを止めるかもしれない。だけどそれに失敗すれば、瀧くんが私をさらに痛めつけるかもしれない。私には助けを求める勇気が無い。


「本当に……なんでもないんです」

「……そうか」


 私の言葉に頷いた蓬莱くんは、それきりこの話を切り出さなかった。



 だけど私のこの臆病さが、あの終業式の日に……最悪の結果につながることになる。

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