萱愛先生に促され、強引に教室に戻された僕だったが、結局は何も得られないままだった。
未だに扇さんがなぜ僕に暴力を振るうのかもわからないし、赤尾さんが本当に僕の彼女だったのかもわからない。扇さんの暴力については、萱愛先生も知らないというより、信じていないようだった。あの調子だと、先生は僕が記憶を失った顛末についても何も知らないと見ていいだろう。
そうなると、また一から調べ直すしかない。だけどこのままでは手がかりがなさすぎる。どうすればいいのか。
ここまで考えてみて、僕の心に再び暗い感情が生まれた。
そもそもどうして僕がここまで苦労しなければならないのか。どうして皆と同じように高校生活を送れないのか。どうして僕だけが記憶を失わなければならなかったのか。
もし本当に赤尾さんの言う通りだったとすれば、全ての元凶はあの扇綾香にあることになる。そう、彼女のせいで、僕はここまで苦しんでいるのだ。
扇綾香は僕の記憶を奪っておいて、それを反省することもなければ、それを利用して僕を虐げている。そう考えると、やはり僕の心には憎しみが芽生えてくる。こんなバカなことがあってたまるか。僕の人生は彼女に振り回されるためにあるんじゃない。
……いけない、冷静になろう。とりあえずまだ赤尾さんの言葉が真実だという確証は得られていないんだ。結局、萱愛先生からも何も有益な情報が得られなかった今、次の手を考えないといけない。
そう考えていると、始業のチャイムが鳴り響くと同時に萱愛先生が教室に入ってきた。
「はい皆さん、ホームルームを始めますよ。席に着いてください」
萱愛先生の言葉に従い、話し込んでいたクラスメイトたちも席に着く。そしていつも通りに先生の話が始まると思っていた。
「さて、今日はホームルームを始める前に、皆さんにお話したいことがあります」
だけど萱愛先生は、なぜか悲しそうな顔をして、こう切り出した。そして僕の方を見ると、手招きをする。
「蓬莱くん、前に出てきてちょうだい」
「え? は、はい……」
先生に促されるままに、教壇まで歩いて行く。そんな僕をクラスの皆が何事かと見ているので、なんだか気まずい。
そして萱愛先生は教壇に上がった僕を見て、こう言った。
「蓬莱くん、大丈夫よ。先生はあなたを信じているから、きっと良い子に戻れるわ」
「は、はい?」
事態がよくわかっていない僕をよそに、先生は皆の方を見た。
「さて皆さん。実は悲しいお知らせがあります。先ほど蓬莱くんが先生の所に来て、扇さんに暴力を受けているなんてデタラメを先生に教えました」
「はっ!?」
僕は萱愛先生の言葉に耳を疑う。クラスの皆も、扇さんも、先生の言葉に目を丸くしている。
いやいや、萱愛先生は何を言ってるんだ!? 普通そんなことを、皆の前で言うか!? しかも僕の発言は、デタラメだと決めつけられてしまっている。これじゃ、僕の印象は最悪だ。
「静かに! 皆さんが驚くのも無理はないと思うわ。だけど先生はきっと何か理由があると思うの。先生は、蓬莱くんのことも、扇さんのことも、みんなのことも信じているもの。このクラスにそんな悪い子がいるはずないわ。だからね、きっと蓬莱くんもそうしないといけない何かがあったんだと思うの」
「あの、萱愛先生。僕は……」
「大丈夫よ蓬莱くん! 先生がきっと、君を良い子にしてあげるから。何も心配しなくていいわ」
僕の言葉は、萱愛先生の言葉によって遮られてしまった。
「だからね、みんなでなぜ蓬莱くんがあんなデタラメを言ったか考えてみよう? 大丈夫、みんなが力を合わせれば、きっとこの困難にも立ち向かえるわ。今日の放課後までに、一人ずつ蓬莱くんがどうすれば扇さんと仲直りできるか考えてみよう? 先生も、ちゃんと扇さんと蓬莱くんが仲直りできるように努力するから」
「……」
僕は萱愛先生に何も言えないまま、クラスの視線に晒されている。みんなは僕のことを冷ややかな目で見ている。『面倒なことをしやがって』と言いたそうな目で見ている。一方の萱愛先生はそのことに気づいていない。うっとりした顔で、自分が考えた『理想的な解決策』を語っている。
このままではまずい。クラス内での僕の評価は更に落ちただろうし、この事態を受けて扇さんが僕への暴力を強めるかもしれない。なんとかして萱愛先生の誤解を解かないといけない。
「さあ皆さん。これから一人ずつに紙を配るから、この紙にどうしたら蓬莱くんと扇さんが仲直りできるか放課後までに書いてね。大丈夫。みんなは良い子なんだから、きっと仲良くできるわ。そう、みんなも蓬莱くんのことを信じているものね」
萱愛先生はみんなに紙を配っているが、みんながゲンナリした顔になっているのは気づいていないようだ。どうやらこの人は何も見ていないし、何も聞こえていないのかもしれない。この人は、自分の理想しか見えていない人なのかもしれない。
「じゃあみんな、放課後にまた会いましょう。みんなの意見、期待して待っているわ」
そう言って、萱愛先生は教室を出て行った。
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